道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。

2016-03-23 13:14:19 | 縄文・インディアン・アトランティス・ムー

2016-03-22 23:13:58NEW !
テーマ:

ジョン・タイターの予言は既に着々と実現しています。「蝦夷共和国」はユダヤ人を北海道に移住させる「河豚計画」の一環として誕生する予定です。
http://rapt-neo.com/?p=36874
果たしてこれが人工地震なのかどうかは分かりませんが、この「浦河町」では1982年の3月21日にも震度7.1の地震が起きています。
 
浦河沖地震 – Wikipedia
 
1982年というと、ちょうどトマムのリゾート開発が始まった頃のことです。やはり何らかの関係がありそうです。
 
さらに、その3日前の1月11日にも実は「青森」の「三八北」で震度5弱の地震が起きたようです。(「1月11日」といえば、「南あわじ市」が独立宣言を行った日です。詳しくはこちら
 

 
このように「北海道」と「青森」に人工地震を起こして、「蝦夷共和国」のために必要な土地を強奪しようとしたのではないでしょうか。
 
しかも、この「青森」と「北海道」をつなぐ「北海道新幹線」が今年の3月26日に開通します。
 
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3月26日というと、「3+2+6」で「11」ですね。
 
しかも、「北海道」の旗のマークは見ての通り「七芒星」です。
 
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「七芒星」の「7」と「3月26日」の「11」を足すと、これまた「7+11=18」で「18=6+6+6」、「ミロク」ですね。
 
しかも、上のポスターを見ると、ものの見事に「6」という数字から「新幹線」が飛び出していますね。単なる偶然でしょうか。
 
さらに言うなら、「北海道新幹線」の色はこれまた「緑」ですね。「ジョン・タイター」の地図でも「北海道・青森」は「緑」の線で囲まれていました。
 
やはり「蝦夷共和国」というのは「緑」と深い関わりがありそうです。
 
ちなみに、「満州国」の旗は以下のように黄色がベースになっていました。
 
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〈満州国の旗〉

 
「黄色」といえば「月派」です。
 
「ユダヤ人」が「月派」なのか、それとも「ユダヤ人」を移住させたいと思っていたのが「月派」だったのか……。
 
その辺のことはよく分かりませんが、いずれにせよ、「河豚計画」には「月派」が大いに関わっているようです。
 
ということは、「緑」もまた「月派」の色なのではないかと勘ぐってしまいます。
 
で、さらによく調べてみると、実は今から150年前にも「北海道」では「蝦夷共和国」が実際に誕生していたようなのです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
明治元年(1868年)の12月、今から150年近く前に、現在の北海道で「蝦夷共和国」が誕生した。しかし、その新しい国は約半年後の明治2年5月の函館戦争終結によって消滅することとなる。
 
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〈蝦夷共和国の旗〉

 
大政奉還により江戸幕府が消滅したのち、幕府海軍副総裁だった榎本武揚は、旧幕臣の保護と北辺防備を目的として蝦夷地(現在の北海道)に向かい、会津戦争で敗走した伝習隊、旧新選組や彰義隊を北海道に集め、五稜郭を拠点に蝦夷全島を支配下に置いた。
 
しかし、明治新政府との交戦は箱館湾海戦による全艦喪失など劣勢は決定的となり、降伏を余儀なくされ蝦夷共和国は短期間で消滅した。
 
----------------(転載ここまで)
 
蝦夷共和国 – Wikipedia
 
私は前の「ジョン・タイター」についての対談の中で、この「蝦夷共和国」のことを「えみし・きょうわこく」と呼んでいましたが、正しくは「えぞ・きょうわこく」のようです。
 
一応、「蝦夷」と書いて「えみし」とも「えぞ」とも読みますが、過去に誕生した「蝦夷共和国」が「えぞ・きょうわこく」と呼ばれていたのであれば、これから誕生する「蝦夷共和国」も「えぞ・きょうわこく」と呼んだ方がよさそうです。
 
ちなみに、北海道の旗はこれまでに以下のような変遷を辿ってきているようです。
 
20120317_2246111
 
最初に作られた「蝦夷共和国」の旗が、フリーメーソンの「カレルギー」の提唱した「汎ヨーロッパ運動」の旗と配色が似ています。(カレルギーについての詳細はこちら
 

 
ということは、過去に誕生した「蝦夷共和国」もフリーメーソンと関係があることは明らかです。
 
そもそも、北海道には「カレルギー」と結婚した「青山家」がニシン御殿を建てていますし、そのニシン御殿を建てた人の孫が「東出融」氏で、彼は幼少期を北海道の最北端である「稚内」で過ごしています。
 
カレイドスコープの記事にもありますように、北海道がフリーメーソンと深い縁があることは間違いありません。
 
で、さらに補足しておくと、「蝦夷共和国」の一部となるであろう「青森」の「弘前市」の市章が以下になります。
 
弘前市 – Wikipedia
 
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まさに「赤」の「卍」です。これには私も度肝を抜かれました。
 
で、「赤」の「卍」といえば、それこそ「世界紅卍会」が頭に思い浮かびます。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
世界紅卍字会(せかいこうまんじかい、The World Red Swastika Society)は、道教系の宗教団体「道院」に付随する修養慈善団体。
 
戦前の中華民国及び満州において赤十字社に準ずる組織として活動した。略称として「紅卍会」とも呼ばれる。
 
----------------(転載ここまで)
 
見ての通り、「紅卍会」もまた「満州」を拠点にして活動していました。そして、この「満州」はかつての「河豚計画」の拠点でした。
 
で、「弘前市」も「蝦夷共和国」の一部であり、その「蝦夷共和国」は将来の「河豚計画」の拠点となる予定である……。
 
そして、その「弘前市」がなぜか「紅卍会」と同じシンボルマークである……。これが単なる偶然であるわけがありません。
 
しかも、かつての「紅卍会」のメンバーは、「出口王任三郎」など錚々たる「悪魔崇拝者」たちばかりです。
 
以下、「紅卍会」の主な会員です。(出典はこちら
 
----------------
 
出口王仁三郎(註:「大本教」の教祖)
出口すみ
内田良平
張海鳳
陳漢森
今小路了円
浅野和三郎
林出賢次郎
岡田茂吉
植芝盛平
堀川辰吉郎(註:陰謀論者「中丸薫」の祖父)
谷口雅春(註:「生長の家」の教祖)
出口日出麿
出口直日
安岡正篤
笹川良一(註:右翼であり、「日本財団」の創始者)
笹目秀和
中西旭
五井昌久(註:「白光真宏会」の教祖)
伊與田覺
呉清源
西園寺昌美
 
----------------
 
言うまでもなく、彼らがフリーメーソンと関わりがあることは明らかです。
 
しかも、「青森」についてはある読者の方から以下のようなメールもいただきました。
 
----------------
 
木村氏は対談で「フルボ酸鉄」の話をしていましたが、彼は青森県北津軽郡中泊町小泊地区で、そのフルボ酸鉄使った資材で「磯焼け現象」の改善に取り組んでいたことがあります。
 
http://jkk-kouhou.co.jp/attachfile/sav00064a.pdf
 
この中泊町に、東北新幹線と北海道新幹線をつなぐ「奥津軽いまべつ駅」がこの3月26日に開業します(東出氏は「下北半島」と言っていましたが、正しくは「津軽半島」です)。
 
http://www.town.imabetsu.lg.jp/shinkansen/shinkansen.html
 
そしてこの中泊町の西のはずれに、木村氏がフルボ酸鉄で実績を出した小泊地区(こどまりちく)があるのですが、この小泊地区、なんと、徐福伝説があるのです。
 
http://www.densetsu-tobira.com/jofuku/aomori.html
 
平川市からも決して近いとは言えない距離(約70キロ)にあるし、ほんと「さびれた漁村」という感じのところなのでどういう経緯があったのか不思議に思 い、縄文開発に伺ったとき「なぜ小泊だったのですか」と訊いたら、「町長が知り合いだったから」と言っていました(「村長」だったかも。小泊村と中泊町は 合併しています)。
 
つまりコネがあったのですね。
 
そして、対談81で「蝦夷共和国」の首都は青森だとRAPTさんはおっしゃっていましたが、「奥津軽いまべつ駅」なら山の中だし土地も値段があってないようなものだし人も少ないし、災害がなくても福島とおなじくらいただ同然で手に入ると思いました。
  
小泊村長や中泊町長と木村氏の具体的なつながりはネットで探すことはできなかったのですが、中泊町のマークと平川市のマーク、色使いがいずれも赤を青と緑(緑と濃い緑)が囲むもので、似ているように思えます。
 
○中泊町
http://www.town.nakadomari.lg.jp/index.cfm
 
○平川市
http://www.city.hirakawa.lg.jp/
 
それから、読者の方のコメントにジブリの『借りぐらしのアリエッティ』の話が出てきていましたが、この作品のモデルとなった「盛美園」は、木村氏の「縄文開発」の前の通りを2キロほど東に行ったところにあります。
 
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〈盛美園〉

 
よく見ると縄文開発の住所も「八幡」崎なのですね。
 
----------------
 
「徐福」といえば「秦氏」ですね。(詳しくは以下のリンクをご参照ください。)
 
「秦氏=ロスチャイルド」は日常的に虐殺と人身供養を行っていた「秦の始皇帝」の末裔です。
 
で、木村氏が住んでいる「八幡」もまた「秦氏」と深い関係があります。(詳しくは以下のリンクをご参照ください。)
 
秦氏の正体はロスチャイルドでした。
 
で、「紅卍」の「紅(赤)」も「秦氏」のシンボルカラーですね。
 
「青森」はこのように「秦氏」づくめの県なのです。
 
しかも、「青森」には偽の「キリストの墓」があって、このためか、フリーメーソンの前身である「テンプル騎士団」は古来から「青森」に注目していました。(詳しくは以下のリンクをご参照ください。)
 
ナポレオンがワーテルローの戦いに敗北し、ロスチャイルドが世界屈指の大財閥になったときから、日本中心のNWO計画は確定していました。
 
で、この「テンプル騎士団」の旗が以下になります。やはり「赤い十字架」です。
 
170px-Templar_Flag_6.svg
 
また、「テンプル騎士団」の衣装が以下です。
 
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で、「卍」はもともと「太陽十字」から発生したと言われていますので、「卍」も「十字架」も実は同じものです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
卍(まんじ)とは、ヒンドゥー教や仏教で用いられる、吉祥の印である。現代の日本では仏教を象徴する記号としてよく知られる。
 
同様の記号は世界各地にあり、西洋では太陽十字からも発生した。
 
----------------(転載ここまで)
 
このように、「卍」はもともとドルイド教のマークである「太陽十字」なのです。
 
日本の歴代首相も天皇もみんな古代ケルトの悪魔教「ドルイド教」の僧侶の末裔です。
 
ということは、「紅卍会」も「弘前市」もドルイド教と深い関係がある、ということは間違いありません。まあ、「悪魔教」と深い関係がある以上、当然のことではありますが。
 
そもそも、「秦氏」も「ドルイド教」の僧侶でしたからね。
 
「青森」という土地がここまで「秦氏」と関係があり、「ドルイド教」と関係があるとは思ってもいませんでした。
 
で、その「青森」に「縄文環境開発」の木村氏がいて、その木村氏と「東出融」氏がタッグを組み、「イヤシロチ」詐欺を行いつつ、私に接触してきた……。
 
キリストとルシファーの合体を試みたのでしょうか……? (意味のわからない方は以下のリンクをご覧ください。)
 
RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。
 
最後にもう一つ。
 
これはある読者からの情報なのですが(現段階ではあくまで噂話に過ぎないのですが)、次の北海道知事選にかの「鈴木宗男」氏が立候補する予定だとのことです。しかも、その指南役が「佐藤優」とのこと。
 
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〈鈴木宗男(左)と佐藤優(右)〉

 
二人とも「ロシア」に近い人物ですから、「鈴木宗男」が知事になれば、一気に「北海道」と「ロシア」が近くなります。
 
それこそ「北方領土返還」という話も現実になるかも知れません。
 
そうすると、北海道の議員たちも喜んで「国際ハイウェイ」のために予算を計上しようとするでしょう。
 
さらには「ロシア」に住んでいた「ユダヤ人」が北海道に移住してくるという流れになるかも知れません。
 
現にロシアには「ユダヤ自治州」なんてものがあるようですし……。(しかも、日本からかなり近いところに。)
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
ユダヤ自治州(イディッシュ語: די יידישער אויטאָנאָמע געגנט‎, di yidisher oytonome(r) gegnt, ロシア語: Евре́йская автоно́мная о́бласть)は、ロシア連邦を構成する唯一の自治州。極東連邦管区に位置する。
 
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面積36,000平方キロ、人口190,915人。民族構成はロシア人、ウクライナ人が多く、ユダヤ人は全体の2%に過ぎない。鉱業、林業、農業が主要産業。首都はビロビジャン。
 
----------------(転載ここまで)
 
そんな運びになることが、今からなんとなく透けて見えてきてしまいます。
 
そして、もちろんそのユダヤ人たちは本物のユダヤ教徒ではなく、偽物のユダヤ教徒、つまりは「悪魔崇拝者」に違いありません。
 
なので、日本はますます「悪魔崇拝」の拠点として色を濃くしていくことでしょう。
 

民族移動時代

2016-03-13 10:09:36 | 縄文・インディアン・アトランティス・ムー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
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2世紀から5世紀にかけての民族移動の図

民族移動時代(みんぞくいどうじだい、英語: Great Barbarian Invasion)は、西暦300年から700年代にかけて、ヨーロッパで起こった人類移住の時代のことである。この移住が古代を終わらせ中世が始まったと考えてもよい。

この移住はゲルマン系及びスラブ系の移住、更に東方系の諸民族の侵略を主体としている。これは中央アジアでのトルコ系民族の移動や、人口爆発、気候変動疫病の蔓延、高齢化人口の増大などが要因とされる。

 

ゲルマン系民族の移動[編集]

西ローマ帝国の領域内に居住していたゲルマン系の移動である(参考:ゴート族ブルグント族ランゴバルド人アングロ・サクソン人ジュート人)。最初にローマ帝国の領域に侵入したのは西ゴート族であり、続いて侵攻したのがテオドリックに率いられた東ゴート族である。彼らはいずれも東方民族であるフン族からの略奪・虐殺を受け、逃げ延びる形でローマ領内に殺到していた。それに続く形でブルグント族がフランス北部に、ランゴバルドがイタリアに、アングロ・サクソン人とジュート人(ゲルマンではなく、スキタイ系との説もある)がブリタニアに、アラマンニ人(ケルト系と深く混血していた)が南西ドイツに侵入していった。

そして最終的にフランク人というケルト系やスラブ系・ラテン系の民族とゲルマン諸族が連合したグループがヨーロッパを担うようになっていく。

またゲルマン系の故郷とされる北欧の人々はヴァイキングとして盛んに活動して各地に血統を残している。

西ゴート王国[編集]

もともと、ゴート族は、ドニエプル川両岸に居住していたが、アッティラによる圧迫により、イタリア半島へと移住を開始した。時の西ローマ皇帝ホノリウスは、西ゴート族によるローマ陥落の報を受けても、ラヴェンナへこもりきりであった。その後、ローマ帝国の支配権が及ばなくなったガリアとヒスパニアへ西ゴート族は移動、この2つの領域を支配するようになった。

ガリアは、フランク王国との抗争で、6世紀初頭には王国の領域から外れ、王国の重心はイベリア半島に移らざるを得なくなった。その後も、イベリア半島を中心に支配が続いたが、711年に、ウマイヤ朝の攻撃を受け、滅亡。イベリア半島は、その後、レコンキスタの舞台となる。

東ゴート王国[編集]

フランク王国とブルグント王国、ランゴバルド王国[編集]

5世紀にはガリアにおいてフランク人が西ローマ帝国との宥和政策を採用しながら、ブルグント王国、ランゴバルド王国を滅ぼして勢力を広げた。

アングロ・サクソンの七王国[編集]

ヴァイキング[編集]

東方系民族の移動[編集]

ゲルマニア東半分(現在のポーランドチェコ等の地域)や、サルマティア(現在のベラルーシ南部からウクライナ)には、スキタイサルマタイの影響を受けた、スラヴ人の文化圏が形成されていた。彼らはPrzeworsk文化やZarubintsy文化などの主体をなし、周辺のケルトやゲルマンの諸族と相互に影響を与え合っていた。彼らもまたフン族に押される形で東ヨーロッパ全土に進出し、スラブ系がこの地域の支配していくことになる。

近年では古代のケルト系民族の研究に影響されてか、プロト・スラブ人についての研究も深まりつつある。その最たる例はヴァンダル人で、彼らは元々はPrzeworskに属する部族である事が判明しており、何らかの理由(恐らくは近隣のゴート族との交流)でゲルマン系言語を用いるようになったと考えられているが、しかし実際のところヴァンダル語についてはほとんど資料がなく、彼らの日常言語が本当にゲルマン系言語であったかどうかでさえも定かではない。語彙の上でゴート語の影響を受けていることははっきりしているが、スラヴ語も語彙においてゴート語の影響を強く受けた言語であり、ゴート語の影響をもってヴァンダル語がゲルマン語であったとは言えない。ヴァンダル人は南欧や北アフリカに侵入していくが、このころまでには彼らがゲルマン語を話していたことがわかっている。(彼らが古い時代からのリンガ・フランカとしてゲルマン系の言葉、新しい時代のリンガ・フランカとしてラテン語、伝統的な民衆語としてスラヴ祖語を使用していたならばこの謎は解決され、当地の考古文化の変遷の仕方がその有力な傍証となっているが、ヴァンダル人がプロト・スラヴ人であることを示す決定的証拠は見つかっていない)。

また同地にはサルマタイと呼ばれるイラン系の諸族も定住していた他、古代末期にはフン族アヴァール族などの騎馬民族が侵入し、スラヴ系・ゲルマン系の諸民族を次々と征服していった。彼らの出自は明らかではないものの、推測される使用言語からテュルク系に属するという意見や匈奴との関係を論じる意見が一般的である。アヴァール族はチュルク系とされるが、その共通言語としてスラヴ祖語が広く使用されていたという説もある。

フン族[編集]

サルマタイ[編集]

サルマタイ人はイラン系民族で、長らく遊牧民の覇者であったスキタイ人を滅ぼして勢力を広げた。民族移動時代に入ると、フン族と共に西進を開始して東ゴート族を破り東ヨーロッパに侵入した。後にスキタイ人の系統を継いだとされるスラブ人に吸収されるが、ポーランド近辺ではスラブ文化だけでなくサルマタイ文化も残存して強い影響を残した。近世・近代にはポーランド・リトアニア連合の貴族達がサルマタイ人の末裔である事を強調している(サルマティズム)が、これは単にサルマタイ風の服装や髪形およびサルマタイ的な気質が、非常に多様な民族的・文化的・宗教的出自から構成されていたポーランド貴族(シュラフタ)社会の連帯感を示すものとして流行したもの。

中世ヨーロッパの騎士道文学の最高峰であるアーサー王伝説がサクソン人に対抗したケルト人の伝承がベースであったことは近年知られるようになっているが、さらにそのベースはサルマタイ人の伝承であるとする仮説がある。これはローマ帝政末期にサルマタイ人の傭兵団が大量にブリテン島に移住していた事と、アーサー王伝説とサルマタイ神話が奇妙なほどに一致している為である。

またサルマタイ本体が滅んだ後もアラニ人などの分派勢力が活動を続けている。

アラニ族[編集]

スラブ族[編集]

系統不明[編集]

ヴァンダル王国[編集]

ヴァンダル人はゲルマン語に属する言語を使用していた民族グループで、アラン人と共にイベリア北アフリカに進入し、破壊の限りを尽くした事で知られている。言語的にはゲルマン系に分類されるものの、彼らの故郷はプロト・スラブ系の文化圏であった事が近代の研究で明らかになっている。何故イベリアや北アフリカに侵入した時点で彼らがスラブ系言語ではなく、ゲルマン系言語を話すようになっていたのかは不明である。

スエビ王国[編集]

 

北枕と宇宙の情報について ~縄文時代から学ぶ~

2016-02-01 11:05:23 | 縄文・インディアン・アトランティス・ムー
あんずと桃 より転載
 
2016-02-01 06:13:18NEW !
テーマ:

くるみ あんずのもう1つのブログ新・タエヌのスピリチュアル日記  より転載しました。

北枕と宇宙の情報について ~縄文時代から学ぶ~

★。、:*:・'゜☆。:・'゜★。、:*:。'゜☆。:・'゜★。、:*:。'゜☆

縄文時代の日本の波動はとても高い状況にありました。私たちが学校教育で習ってきた縄文時代とはちょっと違っていて、知性あふれる縄文人は、宇宙の本質を直感で把握していて、自然との調和の中で文明を築いていました。

私たち地球人類の中でも準備の整った人は、まもなく3次元世界を卒業して4次元そして5次元まで昇っていくわけですが、卒業間近とはいっても地球上の物理世界にとっぷりとつかってしまい、あらゆる宇宙の本質や住まわせていただいたいる地球への感謝や自然との本来在るべき関係を忘れてしまい、ネガティブな要素の多い選択をしている人が、いまだに多くいるのが事実です。

ここで、縄文時代初期の頃の縄文人の意識の在り方や生活の一部を紹介しますので、ご参考いただき、縄文のエネルギーを感じつつ、取り入れられる内容がありましたら、より一層波動を高めるためにご活用いただければ幸いに思います。

以下の内容は
Projegt Vega より転載させていただきました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪ 環太平洋レムリア文明と縄文文明≫

紀元前約9,000年頃、日本の縄文文化が始まる。これは中南米で文明を築いたカ・インの子孫が世界中に広がり、日本では縄文文化として発展していった。彼らは大洪水の時に船で助かったように、航海術には優れていたので、中南米から南北アメリカ大陸、ミクロネシアやポリネシア、そして、日本まで広がっていた。この一大文明圏が後にレムリア文明と呼ばれた。

≪レムリア文明圏の中心地は日本だった≫

中南米でも良かったが、そこでは飲料水の確保が難しい。神々はそれまでに、地球の様々な気候変動を見てきた。それからすると、いずれ、中南米では飲料水に困ることになると予見された。それ故、飲料水が豊富で気候も良く、将来的に人類が目覚めるまで隔離しておける場所として、日本が最適だった。

更に、日本には金鉱脈も豊富だった。よって、“その時”が来るまでの封印の地として、日本が選ばれた。地震や台風の影響はあるとしても。つまり、レムリア文明の真相は、日本が中心となった一大環太平洋縄文文明圏のことである。

アバエルは牧畜、カ・インは農耕を教えられたので、この文明圏では農耕が基本となった。よって、日本では農耕儀礼が神事の中心となった。かつて、日本の縄文時代は狩猟ばかりのように思われていたが、20世紀後半からの発掘調査で、かなり早い時期から農耕が行われていたことが証明された。

(アトランティス文明末期の)大洪水によって、人々の生活は原始的なものへと戻った。その中で縄文土器の出現や竪穴式住居の普及、貝塚などが生まれた。北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になった。元々日本列島にはすでに原住民が暮らしていたが、大洪水前の高度の知識をもった移住者たちが主導権を握って、地球規模の大異変で原始時代に戻った文明を、再び発展させていった。

≪縄文時代の円形の生活空間≫

日本列島では、非常に直感的なセンスを持った人々によって、現代人の想像をはるかに上回る、整然とした自然界との調和文明が完成されていた。彼らは宇宙の本質を直感によって把握しており、それを数百人規模の小都市がそれぞれ正円形になるような配置によって表し、それが集まった全体の配置も正円形になる完全な計画都市文明を開花させていた。それは、彼らがMUと呼んだ偉大なる大自然の母なる力を受容するために必要な構造であった。
 
現代人は初歩段階として、人々が円形に集まるとき、現代人のように直線状に対面する時とは違う、それとは異なった意識が形成されることを認識する必要がある。まだ理解されていないが、人間の潜在意識は他のどんなことよりも、空間によって決定されるのである。空間とは自分達の意識の母体である。すべての意識というものは、空間から生み出される。現代人は物を中心に物を作るが、太古の祖先は、空間に合わせて物を作り、村を作った。人間という存在の偉大な点は、その空間を変容させる力を持つことにある。空間の把握は意識の把握であり、空間を把握するものは意識をも把握する。

空間と自分との関係をわかりやすく、意識レベルで説明する。人と人とが向かい合い、直線的な関係にある時、相手と自分という相対的な意識が形成されやすい。それは潜在意識に二元的認識構造を植えつけることになる。だが、人々が円的空間を形作る時、相対意識よりも人間の本質的な共鳴性をより増幅させやすくなる。人と人とが円形に集まり、すべての人々が円形の中央に体を向けるとき、隣に座る人々はみな、同一の対象へと向かう共感する人として意識される。

こうした形でのレベルが自分達に与える潜在意識への影響は、言葉による意識の形成よりもはるかに深く、潜在意識の根本の領域を形作るものである。なぜならそれは、人間の心の世界は宇宙と同質の構造を持ち、それによって成り立っているからである。

現代人は、平面に描かれた図形などに神秘的な働きを求めたりしているが、空間の持つ力は、それとは桁違いに根本的なものであることを知る必要がある。人間の祖先たちはそれを実際の生活に用いていた。空間と一つになると、人々の魂も一つに結ばれ、その集合した霊の焦点はその中央で一つになる。その共感された意識を持ちながら人々は調和のあるつながりを実現し、深い魂の結びつきを実現させた。

若者たちは、隣に並ぶ長老たちの所作から無意識のうちにすべてを学んだ。これらは教えることなく共感的に伝えられ、自分の隣に自分と同じように並ぶ何人もの人々を、彼らは自分とつながる連続する仲間として意識していた。人間の祖先のこの円形空間の場は、極めて高度な共感意識による社会を生み出すために、不可欠な基本的条件であった。

ほんの1ミリの角度のずれが、1キロ先では何十メートルものずれをもたらすように、それが直線状か円形状かの違いが生み出すものは、現代人にはわずかな違いにしか思えなくても、人類文化の決定的な違いをもたらすことを、人間ははるかな太古に認識したのである。その違いは宇宙の陰陽性を象徴するもので、すべては場、つまり空間によって決まる。この叡智のルーツは、前文明における人間の祖先の叡智にある。

この理解が進むほど、現代の社会はそれとは正反対の直線的な構造の社会であることがわかる。現代人は、直線意識のエネルギーの持つ象徴文化の中で育ち、生活している。そのために宇宙領域とは同調しにくいバリアー(壁、障害物)のような性質が、人々の中に形作られてしまっている。

子供たちは学校で大半の時間、みんな同一方向に向いて座り、先生と対面して育つ。すべては直線ライン上に意識が向かい合っている。それは子供たちの育ち方だけではなく、大人になってからも同じである。劇場の公演でも、演技者と観客は直線的関係であるし、オフィスでもやはり机は対面する形で並べられ、一つのライン上で向かい合っている。住居の中もほとんどが直線的に作られており、街の構造も直線である。

この直線空間か、円形空間かの決定的違いは、意識的、無意識的にかかわらず、中心を共有する意識を持てるかどうかである。すべてに中心が存在するこの宇宙の構造と同じ意識を、一人一人が育てることができるかどうかにあるのである。

≪北枕と宇宙の情報について≫

寝るときに頭を北に向けると地球の磁力線と同じ方向になるので、縄文人は北枕が常識だった。気が多くあるから気多、すなわち北である。古代の日本人は、地球そのものが巨大な磁石であり、北枕で寝ると地球の磁力線によって乱れを正常に戻せることを知っていた。

日本では北枕は死人の寝かせ方だとして不吉とするが、じつは釈迦(しゃか)が入滅した際の頭北面西(ずほくめんさい)をまねたもので、健康的な寝方である。日本には伝統的に北方を避ける習慣があり、北には寒冷・暗黒・冬・夜・死者などのイメージがつきまとう。同時に静寂の意味もあり、寝殿造の北の対屋には貴人の妻が住んだので、北の方・北の台・北の政所といった呼び名が生まれた。

方位磁石は、人間が「北」と呼んでいる方角を指すが、なぜ北なのかというと、そのはるか先には、創造の湧き出す「泉」のようなものがあるからであり、宇宙の情報は北からやってくる。頭を北の方角に向けて寝ると、夢を鮮明に覚えていられる。北枕にして寝ると、実は頭が冴えてスッキリし、多次元の情報に簡単にアクセスできる。夢の調査をするにあたっては、頭を北に向けて寝ることは非常に大切なことで、もし北枕で寝ることを禁止されたら、「夢の調査員」としてはまったく機能しなくなるほど重要なことなのである。それほどに、宇宙の情報がやってくる北に頭を向けることは重要なことなのである。「地球という惑星は、磁気を帯びた大きな磁石のようなもので、そこに存在するすべてのものは地球と同じように磁気化されている。それは人類も例外ではない。そのために南北のラインに沿って身体を横たえることで、地球の磁気の流れに逆らうことなく循環できるのである。

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テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 16

2015-12-29 18:59:03 | 縄文・インディアン・アトランティス・ムー

縄文人が 世界へ・・・!

今日の 破・常識!
日本語が 文字のはじまり!


ムーの文明の波動を受け継いできた縄文人が
絵文字を考え 作り出した・・・
それが 言語を文字にしたはじまりなのです。

アトランティス文明の流れを受け継ぐ地域では、
その時代(縄文時代初期)には 文字というものはありません。
そして 支配者たちは アトランティスの人々に 
文字というものを作らせないようにしていたのです。
それは なぜか?

ここで ムーとアトランティスの話に戻ります。
ムー大陸の人間たちは 文字を使っていました。
しかし アトランティス大陸では 神官(上層部)だけしか
文字を使っていなかったんです。
文字を使うと 知性が芽生え いろんなことを記録し
個人の考えが他の人々に伝わるようになる・・・
それを 嫌がったのです。

ということで・・・
縄文時代初期、縄文人は 
ムーの文明の流れを受け継いでいたので、
当然 文字というものを作り出し 
自由に使うことができたのです。
しかし 他の地域は 
アトランティス文明の流れを受け継いでいるので
文字を使えたのは 神官(上層部)だけで 
一般の人々は 当然教えてもらえなかったし 
また、書くという行為自体 
禁止されているようなものでした。
つまり、地球上で文字を言語として自由に使い始めたのは
間違いなく 日本が最初であり 縄文人が作ったものなのです!

少し 世界に目を向けてみましょう!
日本語に似た言語が 日本から遠く離れた地域で話されている・・・
という話を あなたは聞いたことがありませんか?
私も ちょっと調べただけですけど いろんな方々の いろんな説が
あるようですねぇ~~!
これって どういうことか さくやさんに聞いてみたら・・・
超アルレロ~~~(驚)!!

縄文時代の初期の頃 地球の波動が下がり始めたので
波動(エネルギー)の流れを整え バランスをとるために
ドラコニアン(水棲 龍族)が 宇宙船で連れていき
世界の拠点(エネルギースポット)に
縄文人を定住させたのです。
エネルギーの管理人として・・・
もちろん 無理やり連れて行ったんじゃないですよ~~(笑)
縄文人たちは必要とされれば、私がお役に立つのなら・・と、
喜んで その仕事を引き受けたんです!

その主な拠点(エネルギースポット)とは?
ヒマラヤ山脈(チベット)
アラスカ(アメリカ)
セドナ(アメリカ アリゾナ州)
ウルル エアーズロック(オーストラリア)
シナイ山(イスラエル)
アンデス山脈(南米)
南極
など・・・他にもありますが、こんな感じです。

ここで さくやさんが
「今までの歴史の中で、また 現在においても、この地域の民族が
どのような扱いを受けて来たのか?・・
どうして いまだに このような扱いを受けているのか?・・
これで わかるでしょう・・
もちろん 日本も 沖縄も ・・ね!」 ・・だって(汗)!

アトランティスの支配者たちに 知られないよう 
そっと移住したんだって!
そりゃそうですよねぇ~~(笑)

この拠点の近くにいた民族は、
ムーの波動を受け継いだ縄文人の子孫なんですよ~~!
だから 文字を知っているし 書くこともできたんです。
縄文時代の後期までの長い間に 文字を使う民族(縄文人)から
そこに近い地域の人々は 教えてもらって次第に自分たちの言語を
文字として書くようになったのです。

その広がりは さすがに支配者たちも食い止めることが
できなかったんですねぇ~~~、
まさしく 今のインターネットのようなものです。

その文字を教えた人々(縄文人)の言語は 日本語だったのです。
それが 長い間に少しづつ変化はしたものの 日本語に似た言葉が
残ったのは 当然のことのように思えます。


破・常識 あつしの歴史ドラマ ブログ!より転載

 


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 20

2015-12-17 19:39:48 | 縄文・インディアン・アトランティス・ムー

邪馬台国 卑弥呼の真実!

今日の 破・常識!

参考資料が 真実でなかったら

歴史の真実にたどり着けない!




邪馬台国・・・
中国の魏志倭人伝に記された 日本の古代の国をめぐり
江戸時代以降、様々な論争が繰り広げられているみたいですねぇ~~
学会の関心事が、現在では 多くの人々に注目されるようになり
新たな説が出るたび 世間でも そりゃ大騒ぎさぁ~~(笑)
しかし 今なお 解決を見ていないのです。
はたして 邪馬台国はどこにあり その女王 卑弥呼は
どのような人物だったのでしょう?

興味のある方は ちょっと古いですけど・・こちらをご覧ください。
邪馬台国論争 

・・ということで さくやさんに教えてもらいましたぁ~~~!
まず この年表を見てください.
日本と中国の歴史年表

日本の歴史が 資料に記録され年表に最初に登場するのが
紀元前後「漢書地理志」にあった・・・
倭国百余国に分かれ その一部は 
漢の楽浪郡(現在のピョンヤン付近)と
交渉を持っていた…ということ。

57年とはじめて年代が記録されていたのは、
「後漢書 東夷伝」
そして 卑弥呼について 年表に登場するのは
「魏志倭人伝」からの記録によるものです。

いやいや 弥生時代あたりの日本の歴史は
大陸の国の記録の中から 引っ張ってきたものなのですねぇ~~
その資料は 渡来人がわたってくる前にいた大陸の国の本なんです。
前にも書きましたが 渡来人が来る前の縄文時代の真実の記録は

すべて消されました。
渡来人が増え 弥生時代が 
渡来人によって進んだ文明が取り入れられ
日本が進歩したことを 印象付けるため 
支配者である渡来人(弥生人と呼びます)に
都合のいいように作られた記録なのです。
だから これらの資料は 日本の歴史の真実を知る上においては

意味がないんです~~よ!
ただ 違う意味で 参考にはなりますけどね(笑)

卑弥呼とは?
神官として 神のお告げを聴ける少女のことなんですって。

大陸の国の意図で 日本列島を自分たちの属国にするために
その少女を支配者が利用したんです。

縄文人は ドラコニアン(水棲龍族)と 
普通にテレパシーで話してたんですが
純粋な縄文人が長い間に少なくなって 弥生人が増えていきました。
弥生時代の後半になると 
弥生人のほとんどが超感覚を忘れてしまっていました。
それらの人々を 支配するために 
卑弥呼という 少女の神官を作り上げたのです。

日本列島は 龍の形をしていて その背骨や手足に当たる地域に
最初に来た縄文人は 百か所くらいに集落を作りましたよね。
その縄文人の それぞれの集落の中に 渡来人が入ってきて
弥生人の集落になったのです。
その集落が 弥生時代の後半には 村ではなく 邑と呼ばれるくらいの
大きな地方都市のようなものになっていました。
そこで 日本列島のすべての邑を支配しようとしたのです。

実は、卑弥呼は 一人じゃないんです!!
卑弥呼は 8人くらい存在したのです!!
超アルレロ~~! 8人もいたの~~~???

日本列島を 8分割くらいにして その一地域にひとり、
卑弥呼を作り上げ 支配しようとしたのです。
それぞれの 卑弥呼には マネージャー的存在がいました。
当然 男性です。
大陸の国の命令を受け 裏で卑弥呼を操っていました。
神のお告げに従わないと 大変なことになる・・と
人々に恐怖を与え 支配していったのです。

が、思ったほどうまくいかなかったんですねぇ~~。
弥生人が増えたといっても 邑によっては 縄文人のDNAが残る人々が
大勢いたのです。
しかし 一か所 うまく思い通りにいった邑がありました。
それが 邪馬台国です。
現在の説では 邪馬台国の候補地は 60以上あり 
遠くは海外に求める説まであるんですって。

(畿内)大和説 と 九州説が 代表みたいですね。

では 邪馬台国は どこなのか?
じゃ~~~ん! 現在の和歌山で~~す。
そんなぁ~~、論争に終止符 うっちゃったあ~~!
ま、信じる人が何人いるかですけど~~~(笑)

現在の和歌山あたりの邑に存在した 卑弥呼とそのマネージャーは、

結構 長けてたみたいです。
思うように 人々を支配していき 勢力を拡大していきました。
その邑を 日本列島の支配の足掛かりにして 勢力を広げ
この後 国家(大和政権)が 成立することになるんです。

破・常識 あつしの歴史ドラマ ブログ!より転載