11月27日
6:30頃に起床。
8人部屋で寝たのだが、窒息しそうないびきをかく者や、夢の中で仕事をしているのか、寝言で懸命に部下に指示する者などがいて、とても楽しい夜だった。
朝風呂を浴びた後、体を冷ましに外を散歩。晩秋の山の朝らしく、冷たい空気がぴんと張り詰めていた。しかし、工業地帯の東海市と違い、空気はとても美味しかった。
朝食の後、旅館を出発。
大鹿村は中央構造線が南北を縦断する村。村の中心部には中央構造線博物館なるものがあり、断層の東西で採取された全く違う質の岩石が多数展示されていた。大学で地理学を専攻していた私にとっては興味津々の展示品だった。
学芸員さんは予約なしで突然20名の団体が訪れたので驚いていた。
千畳敷カールの散策の後、再びマイクロバスで大鹿村の鹿塩(かしお)温泉に向かった。大鹿村は居酒屋の大女将の出身地だそうだ。
狭い険道を東に進むこと約1時間で鹿塩温泉の「塩湯荘」に到着。
山峡の温泉宿といったたたずまい。空気が美味しく、川の流れる音が心地よい。
今夜は我々の団体で貸切とのこと。
夕食は鯉と岩魚を中心としたもので、鯉の塩焼きは圧巻だった。あっさりとした味で食べやすかった。
約30年ぶりに食べる鯉料理にむさぼりつき、満腹。
さらに23:30頃まで酒を呑み続けたが、満腹なので酔いが廻らなかった。
温泉は名前の通り、塩水。昔々この地が海底だった頃に地中に海水が取り込まれ、そのまま隆起した後に温泉として湧き出しているのだろうか?
宿屋のすぐ隣では、温泉水を煮詰める製塩所があった。
(追記)
鹿塩温泉の塩水の由来は全く分かっていないそうだ。上記化石海水説は否定されているとのこと。
11月26日
足繁く通っている居酒屋の関係者、常連客、総勢27名? マイクロバスで長野県大鹿村に一泊旅行!
東海市から2時間少々で菅の台バスセンターに到着。この先は一般車の通行ができないので、路線バスに乗り換え約30分で駒ケ岳ロープウェイのしらび平駅に到着。
ロープウェイはぐんぐん登り…
千畳敷カールに到着。ここは日本国内でなかなか見ることができない氷河地形。一度は訪れたい場所だっただけに感激。
気温は氷点下だったが、無風で快晴だったので暖かく感じた。空気も澄んでおり、遠くまでくっきりと見えている。既に積雪が20~30cm程あったが、カールを一周できる遊歩道に踏み出した。
眼下には駒ヶ根市街地があり、正面には中央アルプスの山々が広がる眺め。その先には…
富士山だっっっ!!
完璧な天気に恵まれ、大満足!
この先、生きているうちに何度かここを訪れるかもしれないが、ここまで良い気象条件に当たることは二度とないだろう。
御坊駅を発車した列車はすぐに左にカーブを切り、JR紀勢本線から離れた。
はじめは田畑の中を走ったが、やがて市街地へと入っていった。御坊駅は街外れにあるようで、紀州鉄道は市街地とJR駅を結ぶ役割があるようだ。
列車は8分ほどで終点の西御坊に到着。建て込んだ住宅街の中に溶け込んだ、古い民家のような駅で、母屋は傾いていた。
紀州鉄道は「ものすごい」スピードで走り、私を驚かせた。
起点から終点まで時速25kmを越えることは一度もない超鈍足ぶり。
こんな旅客鉄道線は他にあるのだろうか??
甲浦駅からR55を徳島市に向けてひたすら進んだ。
天気はますます悪くなり、時折土砂降りにもなった。
徳島市には19時過ぎに到着。スーパー銭湯でゆっくり温まり、21時過ぎに出発。
鳴門ICより神戸淡路鳴門自動車道、淡路島経由で本州入り。明石海峡大橋を楽しみにしていたが、土砂降りで見物どころではなかった。この橋は長大な吊橋という構造のため、渡り始めは急な登り勾配、渡り終える頃は急な下り勾配。下り勾配では勝手に加速するのでエンジンブレーキを使わないと恐ろしい道だ。
山陽道、中国道、近畿道を経由し、阪和道に入ったところで時刻は0時過ぎ。そろそろ眠くなってきたが、翌朝に乗る紀州鉄道に近い場所まで行っておきたいので、岸和田SAでコーヒーを注入し、何とか吉備湯浅PAにたどり着き就寝。
10月31日
朝5:30頃に起床。PAに同居するコンビニで買ったお茶を飲み、御坊駅に向かった。
御坊ICから10分かからずに御坊駅に到着。どこから見てもJRだけの駅に見えたが、紀州鉄道のホームもあると言う。
切符売場はJR線のみの販売。JRの駅員に「紀州鉄道に乗るのだが」、と話しかけたら「どうぞ入って左です」。紀州鉄道は無改札なのか、切符の提示を求められない。
結局、運賃は車内の運賃箱に入れる方法をとっていた。
5分ほどでオモチャのような単車が入線して来た。
阿佐海岸鉄道阿佐東線は1992年開通でわずか8.5kmの路線。終点の甲浦駅は小奇麗な駅舎だったが無人。
駅前には無料駐車場があったが、このときの利用者は私1人だった。写真右側の階段を上ると片側1面のみのホームがあった。
16時前に甲浦着の単行気動車が到着したが、乗客はゼロ。折り返しの乗客は私の他にもう1名。お遍路さんの格好をしており、雨天なので列車で移動しようとしているのだろうか。途中の宍喰駅でも乗客はゼロ。
すなわち地元の利用者はゼロという惨状だった。
全線にわたって高架や高台に線路が敷設されているため海が良く見えると思いきや、山が海岸まで迫っている地形が災いし、トンネルが多い。数えたら17本あった。
もちろん、外を走る区間は見晴らしが良い。
起点の海部駅まで10分ちょっとで到着。JRの特急(左)が接続していた。特急と言っても海部からしばらくは普通列車として走るようだ。
すぐに折り返して甲浦に戻った。帰りの列車の乗客は10名未満。
申し訳ない言い方だが、10年後には廃線になっている公算大の路線だ。
甲浦駅から次なる目的地へ移動開始。次は和歌山県御坊市。徳島からフェリーで和歌山に抜けるルート選定が普通だが、鳴門橋と明石海峡大橋を走りたいので、紀伊水道と大阪湾をぐるりと周回する経路で御坊市を目指した。
車に戻り、奈半利駅から阿佐海岸鉄道の甲浦駅を目指して出発。
室戸岬経由のR55は、20年前にバスで通っているので、両駅間をショートカットしているR493を走ることとした。この道は酷道との事前情報を仕入れていた。。しかも天気は雨。落葉でスリップしたり、落石を踏んだりしないように慎重なハンドル捌きが必要だ。私は緊張の面持ちでハンドルを握った。
走り始めは暫定開通した高速道路があり、スムーズに通行できたが、すぐ酷道になった。
狭い道幅、急カーブ、落石、路肩崩落など、酷道の称号を得るに相応の放置ぶりである。
9月の台風12号による爪痕が至る所に残っており、中には谷を形成する尾根が崩落して谷幅が広がり、道路が流出してしまったところや、路面や橋が山と共に消えたところもあった。さすがにこれらを放置するわけにはいかず、仮設道路も至る所にあった。
こんな道でも交通量はそれなりにあり、約30kmの酷道区間で20台くらいと離合した。車によってはブラインドカーブなのに警笛を鳴らさないどころか、カーブの内側をショートカットする不届者がおり、恐ろしかった。
皆さん、酷道では日中でもライトを点灯し、徹底したキープレフト、ブラインドカーブでは警笛を鳴らし、事故の芽を摘む運転に心がけましょう。
奈半利から約1時間で甲浦に到着。
中村に停めていた車に戻り、今度はR56 → 高知自動車道 → R55経由で土佐湾をぐるりと半周、奈半利町を目指した。
朝食のため道の駅に立ち寄り、地元のおばちゃんの握りたてのおにぎり3個入りパックを購入。朝8時過ぎで開店したばかりなので、まだ温かく美味しかった。さすがに3個食べると満腹になった。
しかし、満腹になったはずなのに、食いしん坊の虫が騒ぎ出した。高知県と言えば鰹を食べなきゃ!!
我慢できずに南国SAで鰹のたたき丼を食べ更に満腹に。
奈半利駅には12時前に到着。本日の第二目標の土佐くろしお鉄道の阿佐線(ごめん・なはり線)に乗り込んだ。
この路線も2002年に開通した新線で、やはり高架区間が多く土佐湾の眺望を楽しめた。奈半利から安芸までは海側に展望デッキの付いた車両だった。残念ながら雨だったが、晴れた日はさぞかし良い眺めだろう。
安芸で快速に乗り換えて御免に向かった。ローカル線の快速列車は速達性を求めるものではなく、利用者の少ない駅に停車したり加速したりする燃料費節約のために駅を通過する目的のものが多い印象だが、ごめん・なはり線の快速は違った。
次々にギアチェンジしてグングン加速し、時速100kmを越える速度で快走。すれ違い駅の線形も一線スルー式で、速度を落とさずに通過できるものだった。
あっという間に御免に到着。
今度の奈半利行き快速は阪神タイガースカラーを身にまとった車両で、車内もタイガースの選手の写真がいっぱいだった。まもなくタイガースが秋季キャンプに訪れる安芸市営球場のすく横を通過する縁もあるのだろう。
快速は爆走し、1時間かからずに奈半利に到着。