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腰椎椎間板ヘルニアの手術についても掲載しています。

腰椎椎間板ヘルニア 手術について その16 費用

2012-06-17 22:41:55 | 腰椎手術

私は100%相手方過失による交通事故が原因で腰椎椎間板ヘルニアとなり、今回の手術に至った。支払いは相手方の保険会社である。

しかし腰椎椎間板ヘルニアは交通事故だけが原因ではない。誰でも突然発症する可能性がある。自身の生活の中で発症した場合、病院への支払いは当然自分自身の財布からとなる。

私の手術では検査入院で約23万円、手術入院で約440万円という会計である。

これは相手方保険会社へ行く自由診療での請求金額であり、私からの支払いは0円である。もし、交通事故ではなく健康保険での診療となる場合は3割負担分の約139万円を財布から支払うこととなる。

ポンと出せる金額ではないので、高額医療費の還付制度や、自身が加入している保険の中身を確認するなどして、負担軽減に努める必要がある。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その15 退院・退院後

2012-06-10 17:24:45 | 腰椎手術

5月17日の抜糸の時点で医師から「来週には退院できますよ」と見通しが示され、週明けの5月21日に「いつ退院します?」
実家に帰っている母が私の退院に合わせて私の家に来ることとなっており、また、病院まで迎えに来て下さる近所の知人のスケジュールを調整して、退院日は5月26日となった。

退院の日10:30頃、近所の知人が車で迎えに来て、私の荷物を抱えて車に運び込んで下さった。退院するとはいえ、荷物を持つことができないのだ。
車はセダンタイプ。というか、メルセデスベンツ。車に乗り込むのは良かったが、降りようとすると、体が座席に沈み込んでいるために動けない。革張りの座席でジタバタと格闘し、何とか降りることができた。
帰宅途中で昼食をとり、自宅には12時頃に到着。自宅マンションは4階建てでエレベーターは付いていない。階段には手摺もない。しかし、リハビリと自主トレの成果もあり、難なく3階の部屋にたどり着けた。

退院時に誤解することがないように述べておくが、体は完全な状態ではない。健常な状態と比較すると、できる動きはあまりに限定的すぎる。

  • ごく軽いものしか持てない。
  • 腰を大きく曲げることができない。靴下などを履くときは相当苦労する。
  • コルセットは3ヶ月から6ヶ月は装着し続けなければならない。
  • リハビリ程度の運動は必要だが、走るなどの激しい動きはできない。
  • 坐骨神経痛は数ヶ月かけて徐々に消えるため、退院時点では痛みがキツイこともある。

退院後も定期検査のため、通院することとなる。
私は6月6日にチョット早めの手術後1ヶ月検査で、レントゲン撮影があった。経過は順調らしく、主治医は「うん! これはきれいな写真だ!」と喜んでいた。
次回の検査は7月4日に予定されており、手術後半年間は月に一度の検査があるようだ。

屋外を歩くとき、医者からは既に必要なしと言われているのだが、杖を突くようにしている。外は病院と違い、自転車が飛び出してきたり人ごみでぶつかったりと危険がいっぱいである。健常者であれば、杖を突いて歩く人を見かけたら自然と道を開けるだろう。杖は露払いの役目を果たしてくれるため、俊敏な動きが戻るまでは杖はあったほうが良い。なお、「杖を突く」と書いたが、体重を杖にあずけているわけではない。数歩に一度コツンと突く程度である。杖に体重をあずけるような歩行方法では、本当に杖が手放せなくなってしまう。

職場には6月1日に復帰、母は6月3日に実家に帰宅し、日常が戻ってきた。

【2012年6月30日追記】
退院してから1ヶ月が過ぎての状態を追記。

現在の体の状態は、コルセットを装着したままの現段階で回復できる上限まで到達したように感じている。
午前中、体はスイスイと動かせる。昼休み中はソファーに横たわり、午前中に上半身の重みでめり込んだ腰を回復させている。
しかし午後になると徐々に腰に疲れがたまってきて体の動きがギクシャクとなってしまう。
仕事の内容はずっと座っての事務仕事なので、重量物を持つことや、動き回っての腰への負担はない。しかし、夕方にはかなりの疲れを感じるので、削げ落ちた背筋を回復させなければならないと感じている。

今後、更なる回復を感じられるのは、コルセットが外れてからだと思っている。

また、本日より背筋トレーニングのため、近所の温水プールで水中歩行を始めることにしている。
毎日通っている接骨医から、「週1回では筋肉痛だけで終わってしまい効果がない。最低週2回は通いなさい」と指導された。

【2012年7月8日追記】
7月4日に手術後2ヶ月検診で大学病院へ行った。レントゲンを4枚撮影し(正面正立、側面前屈、側面正立、側面後屈)、主治医の診断によると、「その日の体調を見つつコルセットを外しましょう。」とのこと。普通3ヶ月から6ヶ月かかるところを2ヶ月で通過できたことになる。上出来!
次回の検診は8月。このときに状態が良ければ、その後の検診は3ヶ月に1度になるそうだ。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その14 入院生活

2012-06-06 11:46:06 | 腰椎手術

【一日の流れ】
6:30頃  起床。深夜番担当看護士がおはようございますと挨拶しながら部屋の明かりを点灯。患者の体温と血圧を測って廻る。

7:40頃  朝食。
朝食後は患者各自が洗面したり朝の自主トレをしたり、好きに過ごしていた。

9:00~10:00   日勤の担当看護士が挨拶に来る。その日の診察、リハビリ、入浴などのスケジュールを確認し、前日のトイレの回数を質問される。

12:20頃  昼食

13:00(日祝は10:00)~19:00  面会時間

17:30頃  夜番の担当看護士が挨拶に来る。

18:30頃  夕食

21:30頃  深夜番の担当看護士が挨拶に来る。消灯。

【食事】
健康食であり、味は当然薄味だ。ただし、私は元々塩辛い味付けが嫌いなので、薄味は歓迎だった。アレルギー対応食や減塩食などの特別メニューもある。
私は自他共に認める痩せの大食いで、おかずの量が多くなければダメなタイプである。病院の食事の量では全く足りず、院内のコンビニで弁当やカップ麺を調達。病院食を含めて一日6食を取っていた。最後の3日間は私の飢餓を見かねた看護士のはからいで、おかずとデザートの量が1.5倍に増量され、大変助かった。
整形外科病棟の患者はケガで入院している。感染症や循環器障害、臓器不全というわけではなので、勝手に病院食以外の食事を取っても文句を言われることはない。私の場合、「飯が足りない」と訴えると、主治医は「院内にコンビニがあるから好きなだけ食べて」と笑っていた。
私は退院後、顔を会わせた知人全員から「痩せたな」と指摘された。大喰らいの生活だったが、自主トレの運動量が摂取エネルギー量を上回っていたようだ。
歩行開始後も安定して座り続けられる状態ではないため、手術後しばらくの間は寝たまま(ベッドの頭の部分を持ち上げるが)食事を取る。汁物や箸から滑り落ちやすい料理もあるため、スプーンがあると良い。

【風呂】
風呂(と言ってもシャワーだが)は週3回となっており、入浴の日は日勤担当看護士が挨拶に来たときに時間を確認する。私は13時頃からリハビリのスケジュールが入っていたため。入浴はリハビリ後に予約し、汗を流すようにしていた。
また、体の動きに問題があったり、処置のため体を濡らせなかったりするに患者のために、体拭き(週3回)や洗髪 or (週3回)もやってくれる。私は手術後、抜糸が済むまで入浴できなかった。また、ドレインが抜き取られるまでは体拭きや洗髪すらできなかった。
私の入院中の入浴関連は以下のとおり。

5月 9日夕方  シャワー
5月10日早朝  シャワー  ※手術前
5月12日午前  体拭き    ※ドレイン抜き取り直後
5月14日午前  洗髪
5月15日午前  体拭き
5月16日午前  洗髪
5月17日午後  シャワー  ※午前に抜糸
5月19日午後  シャワー
5月22日午後  シャワー

以上からわかるとおり、10日から14日まで洗髪がなく、非常に辛かった。手術後の状況は想定していたので、入院前日に髪の毛をバッサリと切り落とし、スポーツ刈りにしておいた。
女性だとスポーツ刈りというわけにはいかないだろうが、可能な限り短髪にすることをオススメする。

抜糸後はシャワーを浴びることができたのだが、当然入浴中はコルセットを外した状態だ。床や足裏に残っていた石鹸で滑り転倒するなどして手術部位を損壊しないよう、動作には細心の注意が必要なことは言うまでもない。腰を激しくひねったら、腰椎にねじ込まれたボルトが折れたり緩んだりして再手術だ。

【睡眠】
仰向けの姿勢で寝ていると、手術部位をを圧迫し続け痛みが出てくるため、寝返りを打つことになる。
健常者は寝返りを打つとき、まず上半身を回転させ、続いて下半身がついてくる。このとき、腰をひねる形になる。しかし、腰椎固定術の手術を受けると、移植した骨の癒合を損なうため、腰をひねることができない。
安全に寝返りを打つためにはコツがある。仰向けで寝ている姿勢のまま膝を立てる。そして下半身と上半身を同時に倒す。こうすれば腰をひねらずに寝返りを打つことができる。
しかし、不自然で気を遣う動作になるため、一旦目を覚ますことになる。結果、入院中だけでなく退院後も充分な睡眠を取ることができない。常に浅い睡眠状態となるため、睡眠時間は通常よりも長い時間が必要になる。

【面会】
先述のとおり、病院の面会時間は13:00(日祝は10:00)~19:00となっていた。面会者は各病棟のナースステーションで受付し、看護士が患者の状態を確認した後に病室へ通される。
私の病室は6人部屋で手狭だったで、歩行ができるようになって以降は病棟内の談話室でお見舞いに来てくれた人と会うようにしていた。
面会謝絶部屋での面会は身内のみであるが、子供は患者につながっている管や医療機器を破損する危険性があるため、面会はできないと思ったほうが良い。
面会ではないが、手術時の家族の待機のため、家族待機室が病棟内に設けられていたほか、手術によっては長時間に及ぶものもあるため、待機中の家族の仮眠部屋やシャワー室などもあった。

【散髪】
入院期間が長期になる場合、散髪が必要になってくる。私が入院した病院には理髪店があったが、理髪店まで移動できない患者も多数いる。このため、院内の理髪店は病棟出張サービスも行なっていた。

【ベッドの周囲】
各病床には棚が大小1つずつ備えられており、このほかベッド上で食事ができるように配慮された構造の移動式テーブルが1台あった。しかし、全てが手の届くところにおいてあるわけではなく、棚の奥に置いた荷物などは立ち上がって取りにいく必要がある。
立ち上がるということは傷の痛みが伴うということ。しかも健常者のように体を大きく曲げることができないため、靴を履きにくい。ここでマジックハンドと柄の長い靴べらが大いに役立った。
マジックハンドは手が届かない場所に置いてある物を立ち上がらずに取ることができ、結果、痛い思いをせずに済む。棚に置いたおやつを取る。食事のとき、棚に置いた箸箱を取る。立ち上がるとき、靴を足元に引き寄せる。風呂のとき、パンツやズボンを引き上げる。などなど大変役に立った。私の入院生活中のMVPはマジックハンドだったことは間違いない。
また、体を折り曲げることができないため、靴を履くときには柄の長い靴べらが必要になる。マジックハンドでも届かない場所の物を取る、風呂、トイレ、洗面所、リハビリ、レントゲン撮影など、立ち上がる機会は無数にあるので、必ず用意しておきたい。
ベッド脇の小さな棚には有料カードで視聴できるテレビが置いてあり、その近くには電気コンセント、テレビアンテナケーブルの取付口、ナースコールの取付口、読書灯があった。私はテレビを見ない人間なので、テレビのコンセントを抜き、ノートパソコンの電源を挿していた。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その13 歩行とリハビリ

2012-06-04 22:49:37 | 腰椎手術

ドレインが抜き取られたら、歩行が可能になる。私は手術の2日後の5月12日から歩行するようになった。
病棟の構造上、一周約150mの周回できる廊下があったため、歩行開始以降これを何周回ったか記録をつけておいた。

また、5月15日よりリハビリ室でのトレーニングも始まり、退院前日の5月25日まで続いた。リハビリのトレーニングは僅か40分だが、理学療法士が上手にメニューを組み立ててくれており、終わるときには気持ちの良い疲れがあった。

歩行に際し、手術後の痛みや背筋の衰え(手術創があり背筋を一切使えない)で腰がギクシャクする感覚により、自然とつま先から着地する用心した歩き方になってしまうが、これは下半身に余計なに力が入って良くない。かかとから着地する正しい歩き方を心がけなければならない。

【私の自主トレとリハビリの実績】
5月12日 歩行器で3周。

5月13日 歩行器で5周。

5月14日 歩行器で15周。この日はリハビリ科で診察があり、左足の筋力が衰えていることが判明。翌日よりリハビリ室でトレーニングすることとなった。

5月15日 歩行器で25周。加えてリハビリ室でトレーニング開始。リハビリ室内では歩行器を使用せず杖歩行のみ。スクワットや、左足横に重りを置いてこれを押しながらの蟹歩きなどのメニューをこなした。40分間だったが終わると疲れを感じた。特に左前の太ももが筋肉痛になり辛かった。

5月16日 歩行器で30周。リハビリ室では前日と同様のトレーニングだったが、歩行は杖なし。左前太腿の筋肉痛が激化してきた。

5月17日 杖歩行で30周。階段を昇り8F、降り8F。朝、主治医から整形外科病棟内は杖歩行でよいとの判断が出た。階段昇降の練習も可とのこと。リハビリ室では階段昇降のトレーニングも加わった。階段は昇るよりも下るほうが難しい。特に筋力低下で踏ん張りが効かない左足が危なっかしい。

5月18日 杖歩行で15周。階段を昇り4F、降り4F。リハビリでは屋外に出て坂道の歩行練習も加わった。廊下周回と階段昇降の自主トレは左足の筋肉痛が我慢ならない状態なので半分に減らした。

5月19日 杖歩行で35周。階段を昇り4F、降り9F。リハビリ室のスケジュールは入っていなかった。

5月20日 杖歩行で25周。階段を昇り4F、降り9F。この日は日曜日でリハビリ室はお休み。

5月21日 杖歩行で5周。階段を昇り1F。リハビリでは歩行と筋力トレーニング、屋外で坂道歩行。前々日、前日の自主トレを頑張って筋肉痛なので、自主トレは軽め。

5月22日 歩行15周。階段を昇り6F、降り6F。遂に病棟内の歩行でも杖がなくなった。リハビリは歩行、階段、坂道、筋トレ。

5月23日 歩行20周。階段を昇り6F、降り6F。リハビリは歩行、坂道と「脱力」。理学療法士が私の姿勢を見て、「常に姿勢が良いので、リラックスしているつもりでも体に力が入り続けている」とのこと。肩こりや筋肉痛の原因となるため、脱力する練習メニューが加わった。

5月24日 歩行20周。階段を昇り11F、降り11F。リハビリは歩行、坂道、階段、筋トレ、脱力。

5月25日 歩行11周。階段を昇り10F、降り10F。リハビリは歩行、坂道、筋トレ、脱力。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その12 点滴

2012-06-03 20:26:54 | 腰椎手術

点滴を刺されている間は体の動きが制限されるため、非常に邪魔に感じる。
私の場合、検査入院時は検査開始直前(4月11日13時)から翌日の朝食後まで、手術入院時は手術直前(5月10日9時)から5月14日夕方まで続いた。

手術入院時の点滴については(私の記憶では)下記の内容だった。
◎栄養剤(5月10日9時~5月14日夕方)
◎麻酔薬(5月10日9時  手術中は不明)
◎自己血(手術が終わる頃?~5月10日昼)
◎抗生物質(手術以降、一日2回)

手術後、食事を取るようになってからは、栄養剤は500mlを24時間かけて落とすという超鈍足点滴だった。
抗生物質の点滴は5月14日で終了したが、その後は錠剤の内服に切り替わり、20日夕食まで続いた。

点滴は高いところから重力で体内に落としていく仕組みなので、薬剤の入ったパックは点滴棒という長い棒の上から吊り下げられている。
検査入院のときは、体そのものは自由に動き回れたので、キャスター付きの点滴棒を手で押してベッドからトイレへ移動した。また、これは場所をとらないため、トイレの個室にも運び込めた。
しかし、手術後は痛みのために動きが制限され、そこに点滴が刺さっているためにますます制限が加わる。5月13日には傷の縫い目の痛みを避けながら寝返りを打つコツをつかんだのだが、点滴が邪魔になり、自由に寝返りを打てなかった。

また、歩行開始の5月12日から点滴が終了した5月14日までは、歩行器に点滴棒を装着していたため、大きな歩行器をトイレに連れて行かなければならず、車椅子用のトイレしか利用できなかった。しかも、車椅子用トイレは数が少なかったために待たされることが多く、この頃は痛みのために立ち上がりにも苦労していたので大変だった。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その11 手術後の痛み

2012-06-03 12:02:56 | 腰椎手術

私の手術は長さ8cmにわたって腰を切り裂いている。さらに腰椎の椎間板を撤去したり、ボルトをねじ込んだりしているため、普通のケガに例えると重傷だ。痛くて当たり前なのだ。
テレビドラマや映画で、刺された人が苦しみながらも歩いたり走ったり頑張っているシーンがあるが、あれは大嘘だ。管理された手術でさえも、この耐え難い痛みである。

手術後の痛みは3種類あった。
1.傷そのものの痛み
2.傷の縫い目の痛み
3.後遺症の痛み

1.傷そのものの痛み
  手術後、目が覚めた時点で、手術部位に焼きごてを当てたような痛みがあり、麻酔が完全に切れてくるに連れて激しくなってきた。このため、手術後から翌朝まで痛み止めを投与してもらい何とかやり過ごした。
  ところが手術後4日目の夜になって、手術部位の体の奥で疼痛が発生。眠れないほどの痛みになったため、痛み止めを投与され、その後3日間、就寝前に頓服薬を服用した。
  この痛みは日が経つに連れて治まってきて、手術後2週間経つ頃にはほとんど気にならなくなった。

2.傷の縫い目の痛み
  傷そのものの痛みも辛いが、傷の縫い目の痛みが最も厄介だった。
  手術後48時間は寝たきりだったので何も感じなかったが、動き出すと縫合部が引っ張られるような鋭い痛みに悩まされる。日常では感じることのない痛みなので、一度この痛みにさらされると次から体を動かすとき、痛いかもしれないという恐怖で体が緊張し、動かせなくなってしまう。実は緊張すると体に力が入るため、痛みが増幅するのだが…。
  咳、くしゃみ、大笑いのときも非常に痛い。
  この痛みは抜糸するまで続いた。

3.後遺症の痛み
  手術により、ヘルニアで圧迫され、炎症を起こしていた神経が即座に治まるわけではない。私の場合、腰椎4番と5番の部分と下半身全体に痛みがあったのだが、手術後、現在のところ左の下半身に痛みが残っている。また、左足のすねの部分には手術前には感じられなかった逆なでするような不快感(痺れ?)がある。また、仰向けに寝ると移植用の腸骨を採取した部分に鈍痛がある。なお腰椎と右下半身の痛みは、手術後いきなり全快した。
  今後、後遺症がどのように変わっていくか、追記していきたい。

【追記 2012年6月7日】
3.後遺症の痛み
  6月6日の検診で判明。腸骨採取部分の痛みを述べていたが、私は腸骨を採っていないとのこと。ここでの痛みは、背筋が衰えたため、ボルト等の金属性突起部分が皮膚に近い部分の神経組織を刺激して発生している痛みだそうだ。

【追記 2012年6月30日】
3.後遺症の痛み
  左足のすねの痺れはほとんど感じなくなった。しかし、左足の坐骨神経痛は残ったままである。ただし、痛みを感じる頻度は少しずつ減少しているように思う。回復は進んでいるようだ。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その10 手術後24時間、48時間

2012-06-02 23:27:08 | 腰椎手術

【手術終了~手術後24時間】
5月10日

医「麦雄さん、麦雄さーん」
私「ん? はいはい」
医「終わりましたよ」
私「今、何時?」
看「11:30ですよ」
私「あー、お疲れさまでした」

以上のやり取りは手術終了後、私が麻酔から覚めた時のものだが、私の感覚では「あー、気が遠くなってきた…」と話をした直後である。
麻酔で眠っている間の時間経過の感覚や痛みの感覚は全くなく、夢も見ていない。確かに腰の辺りに手術前にはなかった手術創の痛みがあったので、手術終了は認識できたのだが、狐につつまれた気分だった。
いつの間にか私の病室(6人部屋)から手術室に私のベッドが運び込まれており、このベッドに寝かせられていた。
顔には酸素マスク。左腕には点滴。右腕には事前に採血していた自己血を戻すための点滴。右手人さし指に血中酸素濃度のセンサー。両足の裏にはエコノミークラス症候群を防止するためのポンプ(足の裏を圧迫したり弛めたりする)。腰からはドレイン。おちん●んからは排尿管。

全く身動きできない状態のまま病棟の面会謝絶部屋(個室)に運び込まれた。ここで母と対面。ついてきた主治医が母に対し手術が問題なく終了したこと、出血量は約80ccで済んだこと、輸血の必要はないが自己血なので体に戻すために点滴していることなどを説明した。

美人看護士が1時間毎に病室に来て、体温、血圧、心拍数、ドレインで排出される体内からの出血や体液の重量を計測し、尿を捨ててくれたのだが…。
13時の見回りのとき、美人看護士が私の異変に気が付いた。「麦雄さん、傷が痛いでしょ。さっきよりも眉間にしわをよせて苦しそう。痛み止め持って来るね」。
私は母と話をしていたので、自分では気付いていなかったが、言われてみると確かに痛い。
そして美人看護士が持参した痛み止めは…、何と坐薬。人生初の坐薬は美人看護士さんからでした。手馴れた手つきでT字帯を外され、ひょいと片足を持ち上げられ、肛門に狙いを定めてプスリ。恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。こんな思いをするなら男の看護士から処置された方がましだよ。
痛み止めは効き始め、1時間後には痛みも落ち着いた。自己血戻しの点滴は程なく終了。

夕方、母は帰宅。何か美味いものでも食べたい気分だったが、手術当日は引き続き絶飲絶食だった。暇で身動きもできないので眠ろうと思ったが、痛み止めで傷の痛みは完全に消えるわけではなく、酸素マスクが鬱陶しく、足に装着されたポンプの圧迫による不快感、またポンプそのものの音(ブイーーーーン)がうるさくて眠れない。


エコノミークラス症候群防止のためのポンプと装具

18:20頃、痛み止めが切れてきたらしく傷が痛くなってきた。だんだんと痛みが強くなり、自然にうめき声が出て止まらなくなってきた。19時にナースコールで看護士を呼ぶと、昼間の美人看護士は勤務時間終了で帰宅しており、夜間番のスキンヘッドに黒縁眼鏡の男性看護士がやってきた。
男に肛門をさらけ出すなんて…、助けてっ、うわーーーーっ。やっぱり恥ずかしくても女性看護士の方がいいや。

この痛み止めの坐薬は効力が6時間のようだ。投与されてからしっかりと効くまで1時間かかるので、次は夜中の0時にお願いしよう。と思っていたのだがそうは問屋が卸さなかった。

5月11日

日付変わって0時過ぎ、予想通りじわじわと痛みが強まり始めたのでナースコール。深夜番はとても可愛らしい看護士だった。が、「麦雄さん、この痛み止めは6時間以上間を空けないと投与できないんです」。可愛くない。
やはり痛みはぐんぐんと激しくなり、再びうめき声が出て止まらなくなってきた。1時にこの看護士から痛み止めを投与してもらった。

10日朝の起床が6:30だったので、薬が効いて痛みが落ち着いてくると眠くなってきた。しかし、眠りに落ちかける絶妙なタイミングで足のポンプが作動して目が覚めてしまう。
結局、ほとんど眠ることができなかった。

7:00  4回目の痛み止め坐薬を再びとても可愛らしい看護士から投与してもらった。痛み自体は前日よりは僅かに軽くなった感じだが、まだ痛み止めなしでは耐え切れない。

7:30  待望の食事がやってきた。電動ベッドを動かし、頭を20度くらい起こした状態での食事なので食べにくい。量も全然足りず3分で平らげてしまったが、約36時間ぶりの飲食はとても嬉しかった。また、この時点で右手人さし指に付いていた血中酸素濃度センサーは外された。

10:00  看護士と実習の男性学生2名がやって来て、面会謝絶部屋から元の6人部屋に移動することになった。この時点で酸素マスクが外れ、口の周りの鬱陶しさから開放された。


手術部位に挿し込まれたドレインを通じて体内から排出される血液と体液

10:30  医師の回診。ドレインから排出された血液・体液の量を見て、翌日に抜き取ることになった。つまり、それまでは歩行できず寝たきり。つまり、もう一晩足のポンプに悩まされるということだ。

【手術後24時間~48時間】

左手の点滴はずっと続いている。

12:00  手術後、ずっと仰向けの姿勢で寝ていたため、尾骨周辺が痺れて感覚がなくなってきた。看護士に訴えると大きな枕を用意され、これに左半身をあずけて体勢を変えることができた。体勢は自力で変えられないので看護士が手伝ってくれたが、傷の痛みのため、涙を流しながらの作業だった。

13:00  痛み止めの効果が切れる頃だが、痛みの具合はそれほど強くなく、薬は求めなかった。母と妹が見舞いに来た。人と話をしているとリラックスでき、痛みも感じない。妹は私の暇つぶしに漫画本などを持参したが、大きくて分厚いため、重くて持てない。手術前なら持てたのだが、手術後は背筋が使えないため、体が著しく不自由になる。

15:00  膀胱が張り詰めているように感じられナースコール。やってきたのは昨日の初坐薬の美人看護士だった。排尿管につながっている尿瓶に尿が全くたまっていないとのこと。排尿管の具合が良くないようだが、おちん●んに挿し直すと苦痛を伴うため、美人看護士曰く「抜き取りましょう」。この美人看護士、昨日は肛門、今日はおちん●ん。もうどうにでもして。これ以降、尿は尿瓶で出すこととなったが、仰向けに寝た不自然な格好で排出することとなり、なかなか出なくて困った。

15:30  母と妹は帰宅。母の証言によると、妹は私の自宅に上がりこみ、冷蔵庫に入れていたおやつや、本棚に入れていた漫画(全11巻)すべてを持ち帰りやがった。

16:00  どうも熱っぽく感じられた。体温を測ると39.0℃ありナースコール。美人看護士がやって来て有無を言わせず熱冷ましの坐薬。手術後5日間、高熱が続いたのだが、主治医曰く「大怪我を負ったのと同じ状態だから体が反応して熱を出している。正常な反応なので気にしなくて良い」。

夜は足のポンプが邪魔で、あまり眠ることができなかった。

5月12日

10:00  医師の回診。ドレインが抜き取られた。すぐにスキンヘッドの男性看護士がやって来て体拭き。続いて歩行器が用意され、立ち上がり歩行練習。

点滴が刺さったままなので、管がわずらわしい。また、手術創の縫い目が引っ張られるような感じで筆舌に尽くしがたい痛さ。ベッドに寝た状態から立ち上がるまでに10分かかった。体を起こした時点でコルセットを装着する。

そのまま歩行器でトイレに行ったが、点滴棒が歩行器に取り付けられているため、車椅子用の大きなトイレに歩行器と共に入った。トイレでは洋式便器に座るときや立ち上がるときに傷から激痛が走り、脂汗を流しながらの荒行だった。また、傷の痛みのために力むことができず、大便がなかなか出なかった。


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その9 手術前夜から直前まで

2012-06-02 10:43:09 | 腰椎手術

私は体毛が薄いので必要なかったが、濃い人は手術部位周辺を除毛されるらしい。
前日の夕方、看護士がやって来て、サージカルストッキングとT字帯を持って行った。手術室の担当看護士に渡しておくとのこと。また、手術後はしばらく起き上がれないため、このときに寝たままうがいをする練習をした。
手術に備え腹を空にするため、前夜の就寝前に下剤を服用した。また、日付の変わる0時以降は絶飲絶食である。
下剤服用後、すぐに腹がゴロゴロと騒ぎ出すわけではなく、普通に眠り、翌朝は快便だった。仮に当日朝になっても便通がなければ、浣腸で強引に抜き出される。

手術は9時の予定だが、起床は6時半頃だった。食事が停められているため暇だったが、看護士が来て「しばらく体を拭くこともシャワーを浴びることもできなくなるから、今のうちにシャワーをどうぞ」と優しいお言葉。7時からシャワーを浴びた。

8:40  実家から出てきて私の家に泊まっていた母が病室に到着。
8:50  看護士が私のベッドに迎えに来て、車椅子で手術室に向かった。母も付き添い。
8:54  手術エリアに入る。ここから先は家族も立入禁止となるため、母は病棟に戻った。
8:55  手術室が並ぶ区画の手前にある待機部屋に到着。この病院の手術は朝9時から一斉に始まるため、待機部屋は多数の患者、医師、看護士でごった返していた。手術室担当看護士が体温と血圧を測定。
8:58  執刀する主治医、麻酔医が待機部屋に到着。
      医「麦雄さん、おはようございます。眠れましたか? 今日はよろしく!」
      私「おはようございます。快眠でしたよ。こちらこそよろしく!」
9:00  待機していた患者達が続々と手術室へ。私は随分奥の部屋だった。手術室は広く、小学校の教室くらいの広さがあった。

車椅子から手術台の横にある簡易ベッドに移されると、麻酔医が左腕に点滴の針を刺した。看護士はサージカルストッキングを両足に装着。心電図をとるためのセンサーが体のあちこちに貼り付けられたり、総勢5~6名で私はいじられ放題。
医師が手術同意書、輸血同意書、麻酔同意書、私の氏名、年齢、性別、患部、術式を声に出して確認。
そして顔面に酸素マスクを近付けられ、「深呼吸してくださいねー」。深呼吸しているうちに麻酔医が点滴管に枝分かれの管を取り付け、「●●(麻酔薬の名称?)100mlいきまーす」。
10秒くらいで急に意識が薄らいできて、私は「あー、気が遠くなってきた…」


腰椎椎間板ヘルニア 手術について その8 全身麻酔

2012-06-01 23:51:33 | 腰椎手術

手術は全身麻酔が効いた状態で実施される。健康そうに見える人でも、麻酔薬に対して異常な反応を示し、突然危険な状態に陥ることがあるため、手術中は麻酔医が患者の状態を監視する。
手術前日、手術に立ち会う麻酔医から麻酔についての説明があり、あわせて麻酔前調査が実施された。


【麻酔前調査の問診内容】
1.今までに手術や麻酔を受けたことがあるか。

2.輸血を受けたことがあるか。

3.下記病歴があるか。
  心臓病、高血圧、脳卒中、肺疾患、喘息、アレルギー(じんましんなど)、肝臓病、腎臓病、糖尿病、バゼドウ氏病、筋肉・神経・精神の病気(運動麻痺、しびれ、てんかん(ひきつけ)、うつ病、統合失調症など)

4.下記の薬・注射・点滴等を長期間投与されたことがあるか。または現在投与中か。
  降圧剤(血圧を下げる)、強心薬(心臓の働きを良くする薬)、インシュリン、副腎皮質ホルモン(ステロイド)、抗血液凝固薬、抗血小板薬、睡眠鎮静薬、抗痙攣薬

5.注射・薬の服用・食物で気分不快や発疹が出たことがあるか。

6.現在、下記状態に該当するか。
  1) 風邪を引いている、発熱している、咳、痰、鼻汁、のどの痛みがある
  2) 動悸、息切れ、立ちくらみがある、階段を上がったり、少し走ったりするとすぐに息苦しくなる。
  3) 鼻づまりなどの鼻の病気がある。鼻血や皮下出血などが止まりにくい。
  4) 目が見えにくい、耳の聞こえが悪い。
  5) 頸の動きが悪い、口が開きにくい、入れ歯・挿し歯・虫歯がある。
  6) 妊娠中である。
  7) ぐっすり寝ている時に大きないびきをかく、寝ている時に枕をすると楽である。
  8) ほとんど毎日、タバコ●本、ビール・日本酒・ウイスキーなどの酒を●ml嗜好する。
  9) 指輪・マニキュア・コンタクトレンズ・眼鏡をしている。

7.血縁の人(親・子・兄弟・親戚)の中で、手術や麻酔の際に高熱やショックなどで危険な状態になったことがあるか。

【全身麻酔の合併症】
1.歯、口唇の損傷
  手術中は呼吸も停まるため、口から気管チューブが挿し込まれ(気管挿管)、人工呼吸器が装着される。このため、歯が損傷したり抜けることがある。歯槽膿漏でグラグラしている、前歯が高額な挿し歯である、子供の歯が生え代わりでグラグラしているなどがあれば、麻酔医に話をしておく。また、口唇部分が手術器具に挟まれて腫れることがある。

2.のどの痛み、腫れ、声のかすれ
  気管チューブの挿入、留置、抜管により、のどの痛み、腫れ、声のかすれなどの症状がおこることがある。たいていは数日で治まる。
  しかし、声帯を動かす神経が麻痺したり、声帯を支える軟骨(被裂軟骨)が脱臼したりすると声のかれが持続することがある(発生率0.1%)。この場合、耳鼻科的処置が必要。

3.誤嚥性肺炎
  飲物を飲み損なって激しく咳き込むことがあるが、麻酔中は咳ができない。麻酔中に、まれに胃内容物が逆流(嘔吐)することがある。この吐しゃ物が胃液と共に肺に流れ込むと(誤嚥)、強酸性の胃液のために肺炎を引き起こす(誤嚥性肺炎)。このため、手術中は胃の中を空にしておく必要があり、手術当日の0時以降は絶飲絶食となる。また、胃液の酸度を抑える薬を内服か点滴する。
  計画された手術では事前に絶飲絶食して胃の中を空にできるが、緊急手術では胃腸が張った状態で麻酔を行うこととなり、誤嚥性肺炎の危険性が高まる。

4.循環器系の障害
  全身麻酔中は血圧や脈拍が変動しやすくなり、手術中に狭心症や心筋梗塞を起こすことがある。麻酔偶発症での心停止(発生率0.06~0.07%)、高度低酸素血症(発生率0.04~0.14%)など、危機的偶発症による死亡率は26.5%。
  高血圧症、不整脈、狭心症、心筋梗塞、心不全などの病歴のある患者で循環器系の障害が発生する危険性が高くなる。
  手術の影響から、手術後に心筋梗塞や脳卒中などの合併症が起こることがある。糖尿病、腎不全、高齢症など、心臓疾患を起こしやすい要因を持つ患者で確率が高くなる。

5.悪性高熱症
  遺伝性の疾患であり、麻酔薬による重篤な合併症。高熱、筋肉のこわばり、不整脈、腎不全などの臓器障害が起こり、劇症型では死亡する場合もある。発生頻度は成人の麻酔で1/50,000、小児の麻酔で1/10,000~20,000。近親者で手術、麻酔中に危険な状態になった事例がある場合、時々赤ワイン色の尿が出たことがある場合、必ず麻酔医に知らせること。

6.アレルギー
  喘息やアトピー、薬に対する過敏症のある患者では、麻酔薬や気管挿管の刺激などにより、喘息のような症状やじんましんが出ることがある。また、手術、麻酔の際に用いられる手袋や器具に対してアレルギーを起こす場合もある。

麻酔薬そのものは手術前に装着される点滴を通じて体内に注入された。点滴の管は枝分かれしており、枝に麻酔薬がセットされた後、麻酔医が「●●(麻酔薬の名称と思われる。名称は忘れた)100mlいきまーす」と合図。
それから10秒くらいで意識が薄らぎ、「あー、気が遠くなってきた」としゃべった記憶があり、直後に「麦雄さん、麦雄さーん」と呼ばれて目を覚ましたら腰に手術創の痛みがあり、手術は終了していた。いや、直後と感じたが、実は2時間30分経っていた。手術中の記憶はおろか、時間経過の感覚も全く無い。