麦は放浪癖

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土佐くろしお鉄道 宿毛線

2011-11-04 15:12:48 | 旅行

10月29日~30日

22:30に銭湯を出発。水島ICから瀬戸中央自動車道 → 高松自動車道 → 高知自動車道 → R56を経由し、目指すは高知県四万十市。
と言っても遠いし、夜も更けてきたので、どこかのPAで力尽き、寝ることになるだろう。

高速道路に乗って間もなく瀬戸大橋区間を通過する。瀬戸大橋を鉄道で通過したことは何度かあるが、車では初めてだ。
メインケーブルのの電飾を楽しみにしていたが、節電のためか明かりが消えていた。点灯していたら与島PAの展望台で写真を撮るところだが、真っ暗では意味がないので停まらずに通過。
瀬戸大橋は多くのトラックが行き交うものだと思っていたが、土曜日から日曜日という曜日の関係か、驚くほど高い通行料のためか、交通量はわずかだった。

香川県の通過中に讃岐うどんを食べたいと思っていたが、既に時刻は0時近くになっており、諦めていたのだが…。ところが豊浜SAのスナックコーナーが営業中で、鳴門わかめうどんにありつけた。

讃岐うどんを食べると、今まで食べていたうどんは何だったのかと思ってしまう。東京、名古屋、大阪などの高級店で食べるうどんよりも遥かに美味いものが、駅の立ち食いや高速のスナックコーナーで味わえる。香川県民がうらやましい。

高松自動車道、高知自動車道も相変わらず交通量はわずかなままで、まるで貸切道路。走りやすかったので随分先まで進むことができ、仮眠場所は土佐PAにした。

10月30日

4:00に起床。高速道路末端の中土佐ICから四万十市 旧中村市街地まではR56を進んだ。
R56は直轄道路だが、途中いくつか越える峠付近や海岸沿いは急カーブやむ急勾配が残っており、未明の暗い状態ではやや走りにくかった。しかし、痩せても枯れても直轄国道。車線の幅員は広く、登坂車線も整備されているところはさすがだ。

さて、本日の第一目標は土佐くろしお鉄道の宿毛線。同社の中村線は20年前に乗っていたのだが、1997年に開通した宿毛線はまだ乗っていなかった。
中村駅の外観は20年前とほとんど変わっていなかったが、駅の中に入ると、なかなか良くできた案内装置が動いていた。

この案内装置、行先、出発時刻はもちろん、編成、停車駅や先の駅での接続列車なども表示されており、大変助かる内容だ。

中村を6:24に発車した列車は、30分ほどで終点の宿毛に到着。新しい路線なので高架とトンネルを贅沢に使った線形の良い造りだったが、列車は大したスピードを出すわけでもなく、のんびりとした雰囲気だった。

宿毛駅は2005年に起きた特急の高速激突事故で有名になってしまったが、今は写真のとおり。側面はのっぺらぼうのようだ。

宿毛市は果ての果てのような場所。おいそれと出かけられるようなところではない。次に訪れるのはいつになるだろうか。いや、もしかしたらこれが最後になるかも知れない。


井原鉄道・水島臨海鉄道

2011-11-03 21:00:31 | 旅行

10月29日

岡山総社ICを降りて約20分ほどで清音駅に到着。駅の裏手は新しそうなロータリーがあるが、誰もいない。
周辺の道路も駐車禁止の標識もなかったので路上駐車させていただき、駅構内へ。

やってきた井原鉄道の車両は和風仕立ての車両。内装は木を多く使い、カーテンも細い木を組み上げたものだった。
どう見ても特別製の目玉車両。どうやら当たりを引いたらしい。

1999年開業の新しい路線なので、ほぼ全線高架で眺めが良い。踏切はほとんど見当たらなかった。
眺めが良いと書いたが、眺望がきくだけの話。車窓そのものは典型的な地方の農村や町の風景で、秘境を通過することもなければ、海が見えるわけでもなく、特に取り上げる所はない。紅葉の時期はもう少し楽しめるかもしれないが…。

終点の神辺から福塩線(これも20年ぶりに乗車)で福山へ、更に山陽本線の快速で倉敷まで乗車。本日の第三目標の水島臨海鉄道を目指した。

倉敷駅前の広場。かつてのチボリ公園の名残か、デンマークの街を模した塔が建っており、ライトアップされてきれいだった。
肝心のチボリ公園はショッピング街へと姿を変えていた。

水島臨海鉄道の車両は1990年代製造の比較的新しいタイプだった。しかし、その性能は全く生かされておらず、起点から終点まで変速段のみの使用。一度も直結段にギアチェンジせず、中心街から住宅地を経て工業地帯に至る路線をゴロゴロと無骨に転がって行った。
倉敷市から終点の三菱自工前まで約10kmだが、30分近くもかかった。

倉敷市駅を出たときはほぼ満席だったが、終点の三菱自工前で降りたのは私の他、男性1名のみ。つまりまともな乗客は1名ということになる。  私たちを乗せてきた列車はそのまま引込み線へと走り去っていった。
駅は工業地帯のド真ん中。周囲は工場と、誰も走っていない片側2車線の贅沢な道路。歩行者も一人もいない。時刻は18:30で、空は既に暗い。
男性はあっという間に暗闇の一部となり、折り返し列車を待つ私だけが取り残されてしまった。具合の悪いことに雨が降り始めたが、傘は清音に停めた車の中だ。折り返し列車までの36分間、今年の最も退屈な時間だった。

20時過ぎに清音駅に戻って車に乗り込み、まずは銭湯へ。1時間ほどゆっくり温まり、翌日の目的地へ向かうこととした。


一畑電車

2011-11-01 21:34:52 | 旅行

10月28日 夜

22時過ぎにレンタカーで東海市を出発。目指すは神話の里、出雲の国。
島根県松江市から宍道湖の北岸を経由して出雲市を結ぶローカル私鉄「一畑電車」の乗りつぶしが第一目標。

今回は3泊4日の自動車旅行。日中はローカル私鉄に乗り、夜間に移動する計画なので、車内に防寒服や毛布を積み込むという普段とは一味違う準備を整えた。

伊勢湾岸自動車道 → 東名阪自動車道 → 新名神 → 名神 → 京滋バイパス → 名神 → 中国自動車道 の王道コースをたどり、大佐SAで力尽きて車内泊。本当はもうひとつ先のSAである七塚原SAまで進んで給油がてら泊まりたかったのだが限界だった。
そう言えば、9月に九州まで走ったときも大佐SAで車中泊だった。このときは寒くてろくに眠れなかったのだが、今回は毛布が活躍し、すぐに寝付けた。

大佐SAでは2時間ほど仮眠を取ったが、足りない。結局、七塚原SAで給油がてら、改めて1時間ほど仮眠を取って、朝5時過ぎに再出発した。

10月29日

三次ICで高速を降り、R54を北上。途中から県道を経由して出雲市街には7時に到着。そのまま市街地を通過して一畑電車の出雲大社前駅近くの公共無料駐車場に車を停めた。天気は曇り。

出雲大社前駅は、出雲大社の参道に通じる門前町に面しており、洋館造りの可愛らしい駅舎だった。内部はドームになっており、ステンドグラスやシャンデリアの明かりがやわらかな照明になっていた。

駅のホームには南海ズームカーが黄色に塗られて停まっていた(写真右)。思いがけないところで20年ぶりの再会だ。ズームカーの車内は、南海を走っていた当時のままの木目の化粧版が使われており、懐かしかった。ズームカーで北松江線と接続する川跡まで乗車。

川跡で乗り換えた松江しんじ湖温泉行きは、元京王5000系だった(写真右)。大学時代には随分お世話になった車両だ。これも約20年ぶり。ところが走り始めると、モーター音が京王線で聴いたものと明らかに違う。
それもそのはず。京王のケージは1372mmだが、一畑電車は1067mm。車体は京王5000系だが、台車は営団地下鉄3000系のものだそうな。

松江しんじ湖温泉駅からJR松江駅まで徒歩で移動。松江から出雲市まではJRの特急で移動し、電鉄出雲市駅から再び一畑電車で出雲大社前へ向かった。
私を含め、出雲市で下車したJR特急の客が20名くらい一畑電車に乗り換え、更に川跡で乗り換えて出雲大社前まで乗車していた。大赤字で先行き不透明な一畑電車だが、この客の流れを上手くつかめば観光鉄道としての光明が見えるかもしれない。

時刻は11時。出雲大社前駅近くで出雲そばを食べてから車に乗り込んだ。次なる第二目標は「井原鉄道」の乗り潰し。

米子自動車道の蒜山高原SAでちょっと休憩。蒜山名物のジンギスカンを食べたかったが、レストランが満席だったために諦めた。


蒜山高原SAの展望台から眺めた大山。


こちらは蒜山。