富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

〈リバイバル・アーカイブス〉黄檗宗 智福山龍雲寺の蓮

2016年07月21日 | 草花

〈リバイバル・アーカイブス〉2021.8.23.~9.6

原本:2016年7月21日

2016.7.19.富田林市加太 智福山 龍雲寺(黄檗宗)境内

大輪の大賀ハスが咲いています。

 

 二千年前の古代ハスといわれている大賀ハス。みごとな大輪の花。

 

 境内ではピンクと純白の蓮華が見られます。

仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされています。

 

 如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であったり、石灯籠の 基礎の部分やいろんなところに蓮華が使われていますね。

 

龍雲寺は、狭山藩(大阪狭山市)1万石、北条家(小田原北条氏の子孫)の菩提寺として、享保九年(1724)、藩主 北条氏朝の援助のもと、独園和尚が黄檗宗として河内長野市石見川地区より移し開山しました。

 

 富田林市には江戸の始め、隠元禅師が開山した禅宗の黄檗(おうばく)宗のお寺が3つもあります。

一つはここ、加太の地に、智福山龍雲寺 宇治黄檗山万福寺末 (狭山藩北条氏菩提寺)

あつ2つは、甲田二丁目(北甲田) 静雲山養楽寺 大阪府堺市美原区今井の法雲寺末 天誅組 水郡善之祐ゆかり 

文久三年(1863) 8月16日夜 天誅組大和義挙 五條代官所征圧の折り、 吉村寅太郎他 土佐出身者が宿泊。 

別井三丁目(南別井) 宝塔山慈眼寺(じげんじ) 宇治黄檗山万福寺末 (楠木正成ゆかり) 寺宝に正成直筆『軍檀眼鏡(くんだんめがね)』

 

 いずれも、歴史に名高い禅宗のお寺です。

 

 山門に「智福山」の山号。

  境内には、北条家子女のお墓、狭山藩士のお墓、また宝永年間に開発された加太新田農民のお墓があります。

 

本堂のすぐ西側に 北条氏ゆかりのお墓があります。

北条氏家紋 「三つ鱗」でもお判りのように、白壁の塀に囲まれた中に、藩主の子女のお墓が16基現存します。

 

 同寸で仲良く並ぶ北条氏朝(うじとも)第14子 双子の兄弟 兄 氏曉(うじあき)右側と 弟 氏経(うじつね)の墓 左側

仲良く「江白石」「江白玉」と刻みます。お兄さんの氏曉(江白石)は悲しいかなわずか19歳で病気で亡くなるも、その墓碑に追悼文を寄せた弟 氏経は、安永八年(1779)55歳で亡くなりました。

亡くなった年は36年も違っていましたが、双子の兄弟ということもあってか、同じ形の墓碑で隣同士、今もおだやかにひっそりとたたずんでおられます。

 

 子女のお墓といえども、立派な墓碑ですね。戒名も最高位の「院殿号」がつけられています。

 

 「観月院殿慧明仁珠大童女」 文久3年(1863) 第11代北条氏燕 側室の女児のお墓です。

 

 蓮華の上に立たれている地蔵菩薩様と家紋 三つ鱗が印象的です。

 

 藩主北条氏、子女墓地前にある蓮池の白蓮華

うつくしい蓮の花とひっそりとたたずむ、狭山藩北条氏の子女のお墓。

 歴史を感じさせる戦国の雄 小田原北条氏、直系子孫がいまもここに眠っています。

2016.7月21日 (HN:アブラコウモリH ) 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 〈リバイバル・アーカイブス... | トップ | 彼方の夜燈(やと)さん »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

草花」カテゴリの最新記事