富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

〈リバイバル・アーカイブス〉近鉄フリーハイキング 「ごきげんさん 富田林ごりやくハイキング」第3弾 レポート

2019年02月17日 | 旅行・登山

〈リバイバル・アーカイブス〉2022.11.14~11.28

原本:2019年2月17日

 

 2019年2月16日(土) 9:38 近鉄 富田林駅南改札口

近鉄フリーハイキング ご利益巡りハイキング第3弾

「ごきげんさん富田林ごりやくハイキング」

 

 富田林ごりやくハイキングは、コースを変えて、今回で3回目になります。

今回も600人以上の方が参加されたということです。

 

受付でいただいたパンフレット(部分)

もともとは、富田林市中央公民館 市民講座「富田林百景+」の仲間たちが作った 「ごきげんさん❤富田林 旧街道で、ごりやくめぐり」〈MAP〉が原本となっています。

「ごりやくめぐり(表)」はここをクリック

「ごりやくめぐり(裏)」はここをクリック

 

 9:36 受付

電車の到着とともに多くの参加者が受付を済ませました。

 

 9:37 それでは、まず「歯痛の観音さん」へ

 

     

 9:51 ①歯痛の観音さん到着。

葛井寺へ向かう巡礼街道の脇の「西国三十三度満願供養塔」の塔身におられる観音さまです。

「歯痛の観音さん」は「歯痛の観音さん」ではありませんが、そのお姿から、歯が痛そうにしておられるので、「歯痛の観音さん」と呼ばれ、慕われていますとのこと。

 これから向かう新堂(現 若松町)の地図はここをクリックしてください。

 

 9:48 すぐ横の近鉄の線路

奈良時代に造られたと思われる農業用水路「深溝(ふこうど)井路」をまたぐ、明治31年(1898)頃に造られたイギリス積みの橋梁

 

 9:49 富田林駅を発車する「あべの橋」行き準急

 

 9:56 次は清水大師堂に向かいます。

 

      

     

     

 9:59 ②清水大師堂

入口に「弘法大師遺跡 清水井」の石碑があります。井戸水は電動ポンプで汲み上げられ、持ち帰ることができます。現在も沸かして飲むことができます。

 

 

     

 10:02 パンフレットには書かれていませんが、途中旧新堂 大工町には、③大工町太神宮灯籠(伊勢灯籠)があります。

詳しくはここをクリックしてください。

 

 10:03 お家の梅も咲き始めました。

 

     

 10:05 ④新堂の役行者さん 

民家の庭先に祀られた役行者様。やさしい顔立ちが特徴的。「アルカイックスマイルじゃ。」

私は仕事の都合でここまでで終了。あとはパンフレットのポイントを紹介します。

 

     

こちらは、東高野街道の西側のある⑤庄屋町の太神宮灯籠。

詳しくはここをクリックしてください。

 

 

 町内北側、東高野街道の食い違い

新堂はおそらく江戸の初期につくられた計画都市で、東高野街道を町の真ん中に取り込んでいます。それ以前は奈良時代に条里地割がひかれた田んぼでした。

起源の古い村は町の入口の道路を食い違いににして、直進してくる「厄」や「魔物」を入れないようにしています。この辺では、古市・広瀬・富田林などにその痕跡が残っています。

ここで東高野街道に沿って、新堂小学校の前を北に進んでいくと...

 

 

新堂小学校の斜め前、民家の庭先にも⑥「常夜燈」がありました。「太神宮灯籠」とか「金毘羅大権現」とか記銘されていないので何の灯籠かはわかりません。

 

 そして、⑦旧宝海寺跡のお地蔵さん(南側)

 

 すぐ20m北にまたお地蔵さん⑧

ここで右(東)に90度折れるのが元の東高野街道ですが、途中で道が切れてしまうので行けません。

現在はまっすぐ北へ。

ここが新堂の北の入口になります。

 

      

中野の太神宮灯籠

東高野街道沿いに北に進み、途中2つのお寺(西徳寺・正受寺)のある方向に東に進み、さらに西徳寺の角を北に進むと、中野町の長壽会館があります。(行程:新堂旧宝海寺のお地蔵さんより約850m)

ここには、中野の地車庫と地蔵祠、そして太神宮灯籠と力石があります。

詳しくはここをクリックしてください。

 

   

桜井の井戸

現在水が枯れていますので、とりあえず「水が溜まっているがザリガニのいる写真」を採用しました。

ここはその痕跡しか残っていませんが、享和元年(1801)に出版された河内名所図会(ずえ)にも記事が載っています。「水、清烈にして甘味なり。」お茶の水としても汲まれたようです。

当時の東高野街道を往来する人々ののどを潤したようですね。

弘法大師の井戸として、また聖徳太子の伝説もあり古くから慕われてきた井戸。今は蛇口に手を向けるだけで水が出る時代ですが、当時は竹筒の水筒に汲んだ貴重な水であったのでしょう。

ところで、弘法大師伝説と聖徳太子伝説の2つのゆかりがある井戸は珍しいと思います。ここから500mほど北に行くと、東高野街道といせ道の分岐があり、東高野街道は高野山、いせ道は聖徳太子の御廟がある太子町叡福寺に通じます。その距離感からこういう伝承が自然に語られたのかなと思います。

 

     

桜井の太神宮灯籠

桜井の井戸を過ぎて、東高野街道(ここでは旧国道170号線)の次の信号を左(西)に行くと櫻井町青年会館があり、地車庫とともに桜井の太神宮灯籠があります。

記銘は「太神宮常燈」、「天明八年(1788)」製作、231年前の灯籠です。もとは喜志桜井の町なかにありました。

詳しくはここをクリックしてください。

 

 桜井の櫻地蔵尊

東高野街道(ここでは旧国道170号線)から東に、桜井の町内に入る角地にあります。

 

          

 木戸山の役行者さま

極楽寺の門前の祠におられます。豪快に厄や病気を蹴散らしてくれそうなお姿で、新堂の役行者様と対照的ですね。

云われは地元の喜志小学校編集の『郷土のすがた喜志』(昭和48年(1973)発行)によりますと、『行者様は、もと、金剛山にまつられていたのが、およそ百年ほど前(明治の始め)、どこかの人が、それをもらって帰る途中、川面(川面町)へおいていきました。これをこの村(木戸山町)の四人の人が迎えて祭り始めたといわれています。』とのことです。

 

 帰路途中の喜志の墓地には、天保四年(1833)の寺子屋の先生の墓があります。

 

 大碇(おおいかり)の墓

相撲さんの墓もあります。ごりやくハイキングはこのあと近鉄 長野線 喜志駅でゴールとなりました。行程約6km。

関連記事:近鉄 ごりやくハイキング 2018.2.18. 201.2.20.

      近鉄フリーハイキング 「ごきげんさん富田林ごりやくハイキング」 2018.2.15.

      きんてつ 「ごきげんさん 富田林ごりやくハイキング」 2017.2.13

2019年2月22日(HN:アブラコウモリH )

 


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