富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

〈リバイバル・アーカイブス〉南河内で一番古い太神宮灯籠

2019年05月07日 | 石灯籠❤

〈リバイバル・アーカイブス〉2023.7.24~8.7

原本:2019年5月7日

『とんだばやし灯籠めぐり』 2018年3月発行

富田林市立中央公民館 市民大学講座『富田林百景+(プラス)』の仲間たちより

〈クリックすると拡大します〉

 

 『とんだばやし灯籠めぐり』において、「南河内で最古の太神宮灯籠」を宝暦十年(1760)の造立と紹介させていただきました。ところが、百景のブログを見ていただいた方から、さらに古い伊勢灯籠があることをご連絡いただきました。そこで、再度調査させていただいて、このブログにまとめました。

 〈クリックすると拡大します〉

河南町神山の「太神宮夜燈」について状況をまとめたものです。

 

2019年3月15日 18:13 南河内郡河南町神山(こやま)

千早川のすぐ横の橋のたもと、千早街道(府道705号)沿いに神山の地車庫があり、その横に馬場地蔵が祀られています。地蔵祠の左脇に、大阪府で一番古いといわれている伊勢灯籠があります。

 

 正面に「太神宮夜燈」と記銘された、この民衆信仰による伊勢灯籠は神前型で、火袋が新しく作り直されているようです。地震等で倒れ破損したので新調したのかもしれません。

石灯籠の部位構成については、ここをクリック

 

 

 とちらかいうと不揃いな大きさの字で、「太神宮夜燈」と彫られています。

 

 正面の裏には、非常に判別しにくいですが、「寳歴四甲戌歳九月十六日」と彫られているようです。

黒雲母の粒が粗い花崗岩製で、かなり風化している感じです。

左面・右面は、記銘なしか判読できない状態です。

神前型にしては、たて長に見え、全体的にスリムな感じの灯籠です。

この灯籠が南河内はもとより大阪府で一番古い灯籠と確認されているようです。

 

 馬場地蔵祠

神山の集落のはずれにあり、地元の方々のお花やお線香が絶えません。

 もともと、 北東約二百メートルのところ、字名「馬場」の地にあったものが、神山に移されたと云われているそうです。

 

 馬場地蔵

結構大きく、しかもお顔も大きく、少し上を向いてほほえんでおられるような、親しみやすいお地蔵さまです。

古く南北朝の時代の造られたと云われています。

 

 灯籠とは少し離れた小高い丘の上に、式内社 鴨習太(かもならいた)神社があります。

 

鴨習太神社 拝殿

鴨習太神社は 延喜式に河内国石川九社として記載されている式内社。

祭神は、饒速日命(にぎはやひのみこと)および高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)です。

主祭神は饒速日命で物部氏の始神であるため、物部氏系の神社という説がありますが、龍泉寺が蘇我氏の氏寺であるように、この地を含む旧石川郡一帯は古来蘇我系の本貫地であり、違和感があります。

むしろ頭に「鴨」という名を有する神社であることから、物部氏や蘇我氏が台頭する前の葛城連合 鴨氏に関わる神社と私は考えています。

5世紀にヤマト王権に大きく関わった葛城氏の一翼をなす鴨氏、大和 葛城地方(今の御所市南部)に鴨氏の本貫地があり、金剛・葛城山を隔てて南河内とは隣同士です。距離もわずか10kmくらいしか離れていません。水越峠を介して、当時も物資・文化・言葉・思想の流通があったと考えられます。

現に、御所市には高鴨神社、鴨山口神社、鴨都波神社や葛城御歳神社、高天彦神社、葛木坐火雷神社、葛城一言主神社など鴨氏や葛城氏に関わる神社が多くあります。

大和の葛城地方から朝鮮の文化や物資、特に鉄素材(鉄鋌)を入れるためには、どうしても水越越えをし、その先にある南河内南東部を手中に収める必要があるわけです。そこに敵対する勢力がいると、安心して堺の石津あたりから瀬戸内海を経由して朝鮮に行くことができません。よって、鴨氏も葛城氏も旧石川郡、今の河南町や富田林市に基盤を求めたと思われます。その名残りが鴨習太神社と考えることはできないでしょうか?

さらに、御所市の南部に西佐味(さび)・東佐味という地区がありますが、富田林市にも佐備(さび)がありますね。さびは鉄の錆と音が同じです。葛城氏や鴨氏が当時最先端の鉄製品の加工に携わっていたことから考えると、やはり葛城氏や鴨氏はこの南河内南東部に関わりを求めたのではないでしょうか?

なお、5世紀において、鴨氏の本貫地である葛城地方南部(御所市南部)から大阪方面に行く主要道路は丹比道(竹内街道)ではなく、水越街道(水越峠)と思われます。

 

 凝灰岩の層塔

境内にあるこの塔はかなり風化していますが、鎌倉末期の二上山産凝灰岩の層塔と思われます。

三重の塔に見えますが、五重の石塔だそうです。

このタイプの層塔は南河内南東部に広く分布しています。

〈確認した凝灰岩製の層塔〉

不本見神社(千早赤阪村東阪)

咸古(かんこ)神社(富田林市龍泉、龍泉寺内)

慈眼(じげん)寺(富田林市別井)

叡福寺 2基(太子町太子)

中佐備墓地(富田林市佐備)

誉田八幡宮(羽曳野市誉田)

安福寺(柏原市玉手町)

西方院 三尼公御廟所(太子町太子)

 

 これは何?

1個の丸い花崗岩の自然石。これ何でしょね?これも神社に祀ってあります。

結界石か法界石か、賽の神か、あるいは牓示(ぼうじ)石(境界石)か、詳しいことは解りません。

 

ここから、大阪府で2番目に古い伊勢灯籠、大黒(おぐろ)の「太神宮」灯籠です。

 〈クリックすると拡大します〉

 羽曳野市大黒の「太神宮」灯籠について状況をまとめたものです。

 

 2019年3月25日12:50 羽曳野市大黒496 大祁於賀美神社(おおおかみじんじゃ)の参道

大黒地区の大黒寺に程近い式内社 大祁於賀美神社の参道の急な階段。ここを登り切って左側、拝殿とともにこの「太神宮」灯籠があります。

 

 大祁於賀美神社の拝殿 

集落を見下ろす小高い丘の上にあります。祭神は高龗神(たかおかみ)で式内社。 龗は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されています。

かつては現在地より東方の丘の頂上にあり、江戸時代までは山王権現と称していました。明治初年(1868)に村社に列格したが、明治40年(1907)神社合祀令により、近隣の村社、八幡神社(現 壷井八幡宮)に合祀されました。後、昭和30年(1955)旧氏子の希望により、大黒寺の所有地を借用して再建されています。

 

 拝殿の左側、一番手前にこの「太神宮」灯籠はあります。

 

「太神宮」灯籠としては、数少ない四角柱型の灯籠で、材質も珍しく凝灰岩と思われます。なお、火袋のみ花崗岩でできています。火袋が後の時代になって作られたものかどうかは不明です。

 

 正面は東を向き、「太神宮」としっかり記銘されています。基礎部分は地中に埋まっています。

 

 正面の裏側は「寳歴五 乙亥 六月十六日」と記銘されています。これは、大阪府で2番目に古い伊勢灯籠です。なお、左右の面には記銘がありません。

 

傘の反りはありません。傘の一辺が 47cm、高さが143cmと比較的小さな灯籠です。

 

 境内から見下ろすと急崖になっています。下部大阪層群の地層になります。

 

天童山 大黒寺(だいこくじ) 羽曳野市大黒 曹洞宗

大黒の集落の北の端にあります。歴史は古く、役行者創建の日本における大黒様の発祥の寺と云われています。

高屋城に近く、織田信長の河内攻めに巻き込まれ、灰燼に帰したそうです。境内には大きな七福神の石像。また、「太神宮」灯籠のある大祁於賀美神社もここの境内地ということです。

 *************************************************************************

 この南河内地域には今回ご紹介した神山や大黒の伊勢灯籠のほか、宝暦十年(1760)の古い4基の伊勢灯籠(寛弘寺、狭山神社、大阪狭山市池之原、河内長野市喜多)があります。

また、富田林市においても、遅れること10年、平町の「太神宮常夜燈」と錦織 聖音寺の「太神宮」灯籠が明和元年(1764)の造立をはじめとして、市域の24基の伊勢灯籠の内、明和年間の造立は7基に及びます。

南河内における民衆信仰の伊勢参りや伊勢灯籠の造立が、他の大阪府域に先んじてこの時期から盛んになったと考えられます。

 

参考:富田林市の民衆信仰の石灯籠について *『とんだばやし灯籠めぐり』より抜粋 

星 デコメ絵文字 分布表については、ここをクリック

星 デコメ絵文字 建造年表については、ここをクリック

星 デコメ絵文字 「石灯籠から知る近世の民衆信仰」については、ここをクリック

 

関連記事(伊勢灯籠):

南河内で一番古い太神宮灯籠 3 2016.9.6.

南河内で一番古い太神宮灯籠 2016.8.27.

南河内で一番古い太神宮灯籠 2 2016.9.1.

撮影:2019年3月15日、25日、4月20日

 2019年5月7日 (HN:アブラコウモリH )

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二上山からの日の出ー美山台... | トップ | 〈リバイバル・アーカイブス... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
江戸以前の石灯籠について (せーねん)
2019-06-10 22:58:18
はじめまして。石灯籠・道標などに興味を持っている者です。
明治より前(慶応以前)の街道の常夜灯・道標などについて調査しリストにまとめている岡山大学の先生がいらっしゃいます。
こちらのサイト
http://www.kinsei-izen.com/
リストの中の写真のないもの、あるいはそもそもリストに記載されていないものでも、情報提供して、調査対象に該当すればリストに入れていただけます。

写真とか提供可能であれば、提供されてはいかがでしょうか?
私も何枚か提供しています。
南河内地区はあまり写真・情報がないものも多いので、喜ばれると思います。
返信する
情報ありがとうございました。 (油香森)
2019-06-14 07:34:06
情報ありがとうございました。いろんな地域のいろんな石造物情報が載せられているサイトですね。すごいボリウムでびっくりしました。検討します。
返信する

コメントを投稿

石灯籠❤」カテゴリの最新記事