大阪狭山市半田一丁目 狭山神社
天照皇大神と素戔嗚命を主祭神する式内社で、現在の社殿は室町時代中期の明応二年(1493)の再建と推定されています。
境内に、茅葺の建物があります。何の建物でしょうか?
正徳五年(1715)、江戸中期の手水盆。
『牛頭天皇』とあるのは、室町時代ごろから江戸時代までは「牛頭天王社」とも称していたからです。神仏習合で、素戔嗚尊は仏教における祇園精舎の守護神である牛頭天王と習合したから、こう呼ばれたと思われます。
この手水盆にも盃状穴が開けられています。
境内には多くの常夜燈がありますが、その中一基、ぽつんと太神宮灯籠があります。
さほど、大きくない目立たない石灯籠ですが、これが南河内で一番古いとされる「宝暦十年(1760)」の銘の入った「太神宮灯籠」のうちの一基です。
銘:「太神宮夜燈」
銘:「宝暦十庚辰年九月十六」かな?
大阪狭山市池之原四丁目にある「太神宮夜燈」と同一年月(月まで同じ)です。
ほかの二面には銘はありませんでした。
神社に奉納された常夜燈は二基一対のものが多いのですが、太神宮灯籠に関してはほとんど一基で、一対になっているものはありません。
最初からこの場所に据えられたとはどうしても考えにくいです。
関連記事:南河内で一番古い太神宮灯籠 2016.8.27.
撮影:2016.8.28.
2016.9月01日 (HN:アブラコウモリH )
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