〈画面をクリックすると拡大します〉
富田林市伏山一丁目-9 安楽寺
富田林市には伏山の安楽寺(浄土宗)と 喜志 平の安楽寺(融通念仏宗)の同じ名前のお寺があります。
門前に「太神宮夜燈」(伊勢灯籠)と二つの西国三十三度供養塔があります。
鬼の賽銭箱が目印の本堂。現在は無住です。
中高野街道沿いに面した門前右に天明五年(1785)の「太神宮夜燈」があります。
〈画面をクリックすると拡大します〉
うちのメンバーが詳しすぎるくらい詳しい調査書を作成しました。これ作るのにどれくらいの時間がかかるのだろう?
門前にはほかに目立つものとして「西国三十三度供養塔」が2基あります。
まず、左側の詳細です。寛政三年(1791)に行者の浄眼さんの満願供養の為に「村中」によって作られたものです。富田林の「嬉組」の行者さんだと解っています。
34基ある富田林の西国三十三度供養塔の中でこのような観音像を有する供養塔が6基あります。
もう一つ右にも同じような宝篋印塔(ほうきょういんとう)形の供養塔があります。
右のは「花山院御法流」「四人行者」と彫られているので、太子町の「葉室組」の行者さんと解ります。
この供養塔も「伏山新田村中」とあるので、村の人たちがお金を出し合って建之されたもののようです。
また境内にも2基の西国三十三度供養塔があります。
左側の石柱型の供養塔は明治41年(1908)のものです。6つある組のうち「四人行者」は「葉室組」だけなので、そこの行者さんの供養塔だと解ります。
右側の立派な宝篋印塔も西国三十三度の供養塔なのですが、他の3基と少し彫られている内容が異なります。
「奉供養西國六十六度塔」
三十三度ではなく、その倍の六十六度です。
行者さんは富田林村の宗音さんです。
西国三十三所観音霊場を1番の青岸渡寺から33番の谷汲山華厳寺までが990km、元の青岸渡寺に戻ると1500km、そして行者さんがあちこちの「宿」と言われる檀家さんを寄道して回ると1780km、これが1回に回る道のりです。
それを33回回ると58740km、これで満願になります。これで約15年以上かかります。
ところが、宗音さんはこの倍の66回回りました。つまり距離にして117480km。年数にして約33年。これ凄くない?
日本で一番多く回った行者さんであろうと思われます。
*西国三十三度供養塔については次の投稿の『須賀 旧神宮寺「太神宮夜燈」と「西国三十三度供養塔」』でもう少し掘り下げてお伝えします。
〈画面をクリックすると拡大します〉
富田林市域の大字図 旧村の場所はこちらを参照してください。
〈画面をクリックすると拡大します〉
幕末頃の富田林市域の領主と石高はこちらをごらんください。
富田林市には民衆信仰の石灯籠が34基あります。そのうち「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」が25基(74%)と非常に多く、次に「金毘羅灯籠」が5基(15%)と続きます。そのほか、愛宕山灯籠や大峯山上常夜燈、秋葉大権現灯籠、弘法大師夜燈が各1基あります。
*この記事は「とんだばやし灯籠めぐり」(2018.3.7 「富田林百景+」の仲間たち)より引用したものです。
関連記事:
2つ並んだ民衆信仰の灯籠~嬉「太神宮夜燈」「弘法大師夜燈」 2024.1.25
西板持の「大峯山上常夜燈」 2024.1.24
火除け地蔵とともに~毛人谷「金毘羅大権現」灯籠 2024.1.23
分解されて置かれている南甲田の「金毘羅大権現」灯籠 2024.1.21
彼方「太神宮常夜燈」・五軒家「太神宮・常夜燈」&夜燈講 2024.1.15
北別井「太神宮常夜燈」 2024.1.14
錦織 聖音寺 「太神宮」・「金毘羅」・「秋葉山」の灯籠 2024.1.13
廿山(つづやま)「太神宮・常夜燈」 2024.1.12
川西新家「太神宮夜燈」 2024.1.11
南甲田 養楽寺「太神宮」灯籠 2024.1.8
新堂 大工町「太神宮」灯籠 2024.1.4
北甲田「太神宮」灯籠 2024.1.2
喜志 平町「太神宮常夜燈」 2023.12.30
毛人谷「愛宕山夜燈」 2023.12.28
喜志 川面町の「金毘羅夜燈」 2023.12.27
2024年2月2日 HN:アブラコウモリH
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます