富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

❤富田林の石灯籠―3.川面町の金毘羅夜燈

2017年07月02日 | 石灯籠❤

 〈画面をクリックすると拡大します〉

御承知のように、「金毘羅大権現」―金毘羅さんは、船の安全の神様-かつては、川面浜に行き来する剣先船の安全を見守っていました。

 

 

 富田林市川面(かわづら)町一丁目8 川面町会館前の「金毘羅夜燈」

道路側には何も「銘文」がありません。

 

 その裏側には、「金毘羅夜燈」の銘文が...

「あれ、これ逆向いているのと、ちゃう...」

いえいえ、灯籠の正面は東を向いてます。つまり、江戸時代に剣先船が就航していた石川の川面浜の方を向いているのです。

ですから、移築はされていますが、これが正しい向きなのでしょう...

 

 

 風情のある川面の町。比高差5mの河岸段丘面にあります。

となりのお宅(うち)は、大和棟、つきあたりには別の灯籠、富田林市では一番大きい伊勢灯籠のひとつ、「太神宮夜燈 川面中」安永七年(1778)建之があります。

突き当りに見えますが、下に降りる急な細い坂道があり、下は氾濫原、「除ケ淵(どんがぶち)」という剣先船の転回場所で安永年間までここで船が転回していたそうです。

 

 かつては、川面浜に到着する剣先船を見守った「金毘羅夜燈」―嘉永五年(1852)建之された当時は段丘下の川面浜にありました。

「竿」部分の正面からみて左面に「村内安全」の記銘、「基礎」上段には「川面中(右読み)」

村の人達が、船の安全と村の安全を願って、建之した石灯籠です。

 

 ・「喜志の川面 小ざいしょなれど 浦にどんどと舟がつく」 

― 江戸時代、大坂難波橋より、喜志 川面浜まで七里半、剣先船が石川を行き来して、 米・木綿・酒などの物資を運搬していました。  

 

 

関連記事: 喜志 川面浜の剣先船 1 2015.6.24.

        喜志 川面浜の剣先船 2 2015.6.25.

        喜志 川面浜の剣先船 3 2015.6.26.      

同じ喜志、木戸山 極楽寺前の役行者さん

2017.7月2日 (HN:アブラコウモリH )

 


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