2021年3月29日 13:27 大阪狭山市池尻北 狭山~大阪狭山市駅間
今年は全般的に桜の開花が早く、現在この辺りでは「散り初め」状態です。
狭山駅~大阪狭山駅間はもともと狭山池ができる前に川が流れていて、その氾濫原(河川敷)であった場所のため、その河岸段丘面に立地する狭山駅や大阪狭山池より標高が低く、狭山駅は標高69.5m、大阪狭山駅は標高84.7mで、煉瓦暗渠の標高65.2~68.0mより高く、駅間を土塁を築いて線路の比高を維持したことにより、水路の維持や人や荷車の通行の必要性から暗渠が生まれました。
土盛りした線路に植えられた桜の老樹
この駅間は東除川暗渠を入れて7つの煉瓦暗渠がありますが、明治30年代の最強の構造物、煉瓦構造物により作られました。その後大正期に入り鉄筋コンクリートに代わっていきます。
1号暗渠(第40号拱渠(こうきょ)) 標高66.6m
トンネル道はもともと狭山池から、子池の太満(たいま)池に至る幹線水路(人工の水路)が通っており、現在は水路を暗渠にして人や自転車の通行が可能になっています。
しかしトンネルの高さは低く、うっかり縁を歩くと頭をぶつけてしまいます。
120年以上電車の重量を支え、振動に耐えているのに、現役でビクともしません。
しかも、当時は河陽・河南鉄道(現近鉄 長野線)と先を争って長野駅、ひいては三日市、橋本、高野山までの伸延を計画していたのも関わらず、計画的で丁寧な最新の土木工事で、120年を経ても現役の見事な煉瓦構築物を完成させた技術の高さは特筆すべきことであり、称賛に価します。
2号暗渠(第41号拱渠)標高65.2m
ここは受け石を置いて、欠円アーチで作られています。受け石は花崗岩を台形状に水平面と角度持たせた高度の技術で加工されています。
同じように見える煉瓦暗渠ですが、それぞれ暗渠はその場所に最適な設計をされているようです。
というのは、トンネルの径間(中心の高さ)は7つのトンネルですべて異なっており、さらにねじりまんぼ(斜拱渠)あり、半円アーチ・欠円アーチあり、端巻き煉瓦の巻き数の違いなどが見られるからです。
共通点もあります。積み方はすべてイギリス積みで積まれていて、当時のイギリスの技師かその教えを受けて技術を習得した日本人技師が担当したものと思われます。
トンネルの設計には一貫性があり、同じ技師か同じグループで設計・施工しているようですが、トンネルはそれぞれの場所にに最適な選択をしているようです。
現在は歩行者、自転車専用です。
比較すると、同じ時期(明治31年(1898)3月)に河陽鉄道(現近鉄 道明寺線・南大阪線・長野線)が柏原~古市間を開通させていますが、柏原駅寄りの2つの溝橋だけがフランス積みで、それ以外は後に河南鉄道が長野まで伸延した線路まで含めてもすべてイギリス積みになっているのとは異なります。途中で工法が替わります。河陽鉄道は柏原側から作っていますが、最初の2つだけフランス積みというのは謎です。
池尻中二丁目6 3号暗渠(狭山里道暗渠)標高66.2m
ここも水路と道路の併用で、ときどき自動車が通過します。
現在も美しさを感じる煉瓦暗渠。桜と煉瓦がよく合います。
桜が均等に植えられていますが、植えられた時期はよく分かりません。桜の種類はソメイヨシノ。樹勢から考えて60~80年位?戦前・戦後に植えられたものと推定しています。
4号暗渠(第42号拱渠)標高66.8m
7つの暗渠の中で一番小さい。水路専用ですが、しっかりと造られています。高さは1.5mと低い。
盛り土の高さから見ても小さいのがわかります。
こちら(西)側は私有地にため近くまでは行けません。東側は他の暗渠と同じく鉄筋コンクリートで拡幅。昭和12年、複線工事に伴い拡幅した鉄筋コンクリート製の追加部分です。
一番大きな煉瓦暗渠 5号暗渠(狭山里道架道橋)標高67.3m
高さ6.1m、府道203号 富田林~狭山線が通ります。特急「こうや」がさらに暗渠を引き立たせています
覆いかぶさるように2本の桜
7つの暗渠の中で、唯一バスやトラックも通れる高さがあります。
ただしトンネル部分は交互通行、幅が2車線分ありません。この当時、地車などの高さのあるものが通れるように工夫されたようです。
近くで見ると圧巻の5号暗渠
受け石を伴う欠円アーチを採用し空間を確保し、巻き煉瓦は5枚重ねと強度を確保しています。
これらの7つの煉瓦暗渠は歴史的文化的価値が認められ「土木遺産」と認定されています。
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また、その積み方のイギリス積みは明治中期から大正期までのこの地方の代表的なレンガ積みとして再評価されつつあります。
5号暗渠付近の土盛り
昭和に植えられた桜が満開。さりげなく特急「こうや」が顔を覗かせます。
通勤に南海電車を利用しているのですが、この時期やっぱり左側の車窓が見えるところに座ります。普段は金剛、葛城、二上山が見える右側車窓を眺めますが...
6号暗渠(第43拱渠) 標高68m
半円アーチとイギリス積みの煉瓦がきれいな暗渠。小さいながらも端巻き煉瓦は4層。
もともと水路と農道であったようです。頭を下げないと当たってしまいます。横断するのに中腰で苦しいです。桜はここで終わりです。
東除川暗渠のねじりまんぼ(7号)標高75.9m
今までの6つの暗渠に少し離れて(600m)、大阪狭山駅近くの東除川を通過する暗渠です。
川のほとりの一部の桜がクビアカツヤカミキリにやられて枯死してしまい、さびしい桜だよりとなりました。
狭山池における片桐且元の慶長改修で作られた人工の水路 東除川(400m先で廿山川に合流)を、明治31年(1898)高野鉄道(現南海)が狭山駅~長野駅間の伸延時に作った東除川暗渠です。
「ねじりまんぼ」というアーチの煉瓦が螺旋状に積まれたトンネルで現在全国でも30か所しか残っていない貴重なものです。
この斜めに積み上げられたレンガ積みは耐久性を上げるための工法だそうです。
行かれる方はこの地図を参考にして下さい。
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関連記事:南海電車 狭山駅周辺の桜 2020.4.10.撮影:4月3日


写真撮影:2021年3月29日
2021年4月2日 ( HN:アブラコウモリH )
撮り鉄がいっぱい来ていました。
きれいでした。
氾濫原ということが、想像しにくくて。
そうなんですね。
でも川なんてほとんどない。
国土地理院の電子国土Webで標高を調べるとすぐ解りますよ。
同じ緯度を比較すると、西より、
下高野街道(池尻中)73.6m 河岸段丘面
1号暗渠地点 66.6m 氾濫原
太満池南 64.7m 氾濫原
大阪狭山北小校庭 66.9m 氾濫原
府道198号河内長野美原線上 70.7m 河岸段丘面
つまり、太満池南付近が一番低く、狭山池ができて1400年、ある程度の変化はあるかもしれませんが、すでに水路が管理されている時代ですので、大きな変化はないと考えると、おそらく太満池の南北の筋に旧河川があったと考えられます。
太満池の北にも、この緯度で一番低い60.7mの地点があり、ほぼ間違いがないかと思っています。