goo blog サービス終了のお知らせ 

スピルバーグと映画大好き人間、この指とまれ!

カフェには、映画が抜群に良く似合います。
大好きなスピルバーグとカフェ、アメリカ映画中心の映画エッセイ、
身辺雑記。

「シンドラーのリスト」

2008-02-26 05:52:18 | わたしのスピルバーグ監督作品感想集!

「シンドラーのリスト」(1993

 

スピルバーグのルーツ、ユダヤ人をめぐる作品。実話を基にモノクロ撮影、移動型カメラを使用しシリアスなテーマだがエンターティメントに仕上げた。念願のオスカー監督賞受賞を始め作品、脚色、撮影、美術、編集、作曲賞受賞。

原作は、ドキュメント作家であるトーマス・キー二リー。彼は、この作品で1982年のイギリスのブッカー賞を受賞している。

実話を基にしたストーリーを脚本にするには、時間がかかり10年という歳月がかかった。この間に何人もの脚本家が断念した。結局、スピルバーグの満足がいく脚本に仕上げたのは、やはり、実話を基にした「レナードの朝」でオスカーにノミネートされたスティーブン・ザイリアンだった。彼の脚本の力とスピルバーグのこの映画に構想10年をかけた情熱と準備がこの映画を大成功に導いた。

 まず、映画の冒頭シーンが印象に残る。ユダヤ教の祈祷の声をバックにカメラは、燭台にある蝋燭の火をクローズアップで映す。火が消え煙が白く天井高く長く立ちのぼり場面は、雪で覆われたポーランドのクラクフに変る。雪のシーンが大部分を占めるのは、恐怖や悲しみを表現する手段。

 1939年9月1日。第2次世界大戦。ドイツのポーランド進攻が始まる。ポーランドの南部の都市クラクフにナチスが台頭する。その時、チェコスロバキアからオスカー・シンドラーがこの国にやって来る。彼は、ナチ党員であり多額の賄賂でナチス党員をたらし込む事業家、女とコニャックに酔いしれメルセデスを乗り回す道楽者。商売で一儲けしょうとこの国にやってきた。まず、彼は倒産した工場を手に入れ軍用のホーロー容器工場の経営に乗り出す。

 1941年3月。総督府44/91によりユダヤ人たちは、住み慣れた家を追われゲットー(臨時強制労働収容所)で暮らす。この労働力に目を着けたシンドラーは、ゲットーのユダヤ人たちを自分の工場に集めた。

 1943年2月。ゲットーの解体。ゲットーの閉鎖の日にシンドラーは、小高い丘の上からその様子を見る。住民を家畜のように追い立てる親衛隊。抵抗する者は殺される。隠れようとする子供たち。悲惨な光景を見つめるシンドラーの目に「赤いコートを着た一人の幼女」の姿が目に入る。とことこ歩いているなか目の前で少年が銃殺される。行列についていこうとした幼女は、脇の建物に消える。プワシュフ所長にアーモン・ゲートが赴任すると収容所は恐怖の場所と化す。ユダヤ人に襲いかかる過酷な運命に同じナチであるシンドラーが我慢できなくなる。

1944年ソ連が急速に西への攻勢に出る。ナチスは、死の収容所の一掃を始める。プワシュフでは、1万人以上の囚人が殺される。シンドラーは、あの赤いコートの幼女の死体を見つける。シンドラーの収容所が閉鎖。どんなことをしてでも自分の工場で働く者だけは守り抜こうとする。

モノクロ映像の中に赤いドレスを着た幼女が1人とことこ歩き母親を探しているのを丘の上から見ているシンドラー。ここから彼に善の心が芽生え始める。1200人のユダヤ人の救出が始まる。

 印象に残るシーンを挙げてみよう。アウシュビッツへ向う囚人が乗っている列車は、直射日光にさらされている。それをシンドラーは見て列車にホースで水をかける。ホーロー容器工場。砲弾の小さな細い所を磨くにはこの女の子の手が必要だとナチスの軍に連行されていこうとする子供を必死で連れ戻したシンドラーの表情。良心の芽生え。アーモン・ゲートを演じたラルフ・ファインズの狂気迫る演技がすごい。早朝起きて煙草をふかし用を足した後に暇つぶしのようにライフルを片手に持ちユダヤ人を次々と撃ち殺す。冒頭で夜、ナチが番犬を連れて狭く暗い細道の通路を通り抜けユダヤ人たちが住んでいる家を襲う。ここは、移動型カメラの効果と「第三の男」のような光と影の演出が素晴らしい。ユダヤ人の子供たちが、ナチに捕まらないように逃げる。ある男の子が泥水で一杯の地下水路に逃げ込みその上を捜索するナチ。捕まらないように殺されないようにと脅える男の子のアップ。そこへわずかな光が差し込む。希望の光。ユダヤ人たちが男女問わず裸にされ収容所を走りまわり殺される。ナチがユダヤ人たちを殺し高くうずまった多数の死体に火を放つ。

 そして、何と言ってもこの映画のなかで感動的な場面は、次の2つである。

 まずは、シンドラーが、ありったけの金をトランクに詰め、ゲートとの直談判に出かけチェコスロバキアに工場を移転し、熟練工と共にプワシュフの役に立ちそうな者たちも連れてゆくことに成功したが、その内の何十人かが何かの手続上の間違いでアウシュビッツ収容所へ移送され、地下のガス室で殺されそうになることを知った彼は、あらゆる手段を使って自分の元へ戻すことに成功するシーンがあるが、ここだけはこの映画の中でスピルバーグはドキュメンタリータッチを表現する移動型カメラを使用せずにいつものカメラでカットバック、テンポの速いクロスカッティングを多用して緊張感のある映像に仕上げている。しかも、シンドラー扮するリーアム・ニーソンの迫力ある演技に脱帽する。これは、彼自身の演技力とスピルバーグの演出の賜物である。カリスマ性を持ち身体が大きいリーアムをキャスティングしたスピルバーグ、オスカー・シンドラーの役に惚れ込み研究し尽くした感のあるリーアムの努力の結晶である。シリアスな映画でありながらエンターティメント性が感じられるのは、あのインディ・ジョーンズのようなヒーロー性がシンドラーにあるからだ。

 次に、シンドラーとユダヤ人の囚人たちの最後の別れのシーン。戦争終結、ドイツの敗北でアーモン・ゲートを始め多数のナチスが処刑される中、シンドラーに命を救ってもらったユダヤ人たちが、感謝のしるしに仲間の1人の金歯を抜いて指輪に加工してプレゼントする場面は、涙を誘う。また、映画の最後のシーンで画面がカラーになりオスカー・シドラーの墓をリーアム・ニーソンを始めとする演じた俳優たちと実際にシンドラーに命を救ってもらった人々が一緒に訪れる場面。批評家の人々は、この映画を大絶賛しながらもこの2つのシーンだけは「スピルバーグは、おセンチになり過ぎ」との批判の声があったが、私は、センチメンタルのどこが悪いのかと思う。むしろ、彼のセンチメンタリズムは私は大好きである。

 この作品がなぜ大勢の人々に評価されたかを考えてみると、やはり、「人間の良心の存在」を追求したからである



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。