
「未知との遭遇」(1977)
自分の宇宙観を出した最初の作品。自分の原案で脚本を書いていることからとても思い入れの強い作品。リチャード・ドレイファス、フランソワ・トリュフォー、テリー・ガー、メリンダ・ディロン主演。
メキシコのソノラ砂漠で第二次大戦中に消息をたった戦闘機が姿を現す。インディアナポリスでは、航空路管制センターで未確認飛行物体が確認され小さな町では少年バリー(ゲイリー・グッフィク)が不思議なオレンジ色の光に誘われ暗闇に向って走る。一帯には原因不明の停電事故が発生。
主人公である電気技師のロイ・二アリー(リチャード・ドレイファス)が夜中に会社から電話で呼び出され調査に出かける。そこで、UFOと出会う。北インドでは、フランスのUFO学者ラコーム博士(演ずるは、フランソワ・トリュフォー監督)がヒンドゥ教徒たちが天から聞こえてきた謎の5音階を分析したところアメリカのワイオミングが問題の場所である事がわかる。
バリーは、シロフォンで5音階を弾く。ジリアン、変な山の絵を描く。その夜、雲の中から突然、異様な光があらわれる。ジリアンの家を襲う。バリーは光に吸い込まれるように去ってゆく。ロイ、マッシュポテトの山をつくる。部屋の中に土を盛り山をつくる。妻(テリー・ガー)は、夫の態度に呆れ果てて、子どもを連れて家を出て行く。鮮やかな光を発して巨大な宇宙船が降りてくる。宇宙船の下部から第三種接近遭遇を体験した人々が帰ってくる。バリー少年もでてくる。母との再会。胎児のような姿態をした異星人たちがでてくる。ロイをはじめ地球人のあらたな代表がゲストとして宇宙船に招かれてゆく。地球人が抱く宇宙への夢。異星への夢。異星人と地球人の友好という願いをこめた。ユニバーサルとの契約が切れて、フリーになっての少年時代からの念願の題材。父と見た流れ星の思い出から空想が拡がった。作品に不満が残り1980年、「未知との遭遇・特別編」を撮る。これは、ラストでロイが異星人と共に宇宙船の内部に入ってからの特撮を追加。
メキシコのソラノ砂漠、アメリカのインディアナポリス、北インドの各地に異変な出来事が同時に発生している様子を一度期に緊張感をもった映像で見せている。これは、アメリカ映画の父、デビットワーク・グリフィス監督が「国民の創生」や「イントレランス」でみせた映画技法を上手く取り入れている。しかも、グリフィス監督の今、挙げた映画はその最後には同時期に別の場所で発生していた出来事が1つの同じ意味を持つ重要な出来事としてクローズアップされ、結末はそのうちのある場所が主要な舞台になる。スピルバーグもこの映画のなかでその手法を使って観客の目をスクリーンに釘つ゛けにさせている。一連のUFO目撃の出来事が発生している問題の場所をアメリカのワイオミング州のデビルズタワーに集約させているところが素晴らしい。また、これらの地をスピルバーグの指示のもとにロケ地を探した美術担当は、ジョー・アルブスである。特にワイオミング州のデビルズタワーやアラバマ、インドの丘陵などの風景は映像とマッチしている。
リチャード・ドレイファス扮するロイの家庭、メリンダ・ディロン扮するジリアンの家庭をアメリカの郊外に住むごくどこにでもある平凡な中流家庭として描いているところに共感が持て感情移入できる。私は、映画でアメリカ郊外を舞台にしたもののうちこれほどまでに夜空が美しいと感じた作品はない。とりわけ星の光が明るい。また、田園風景の中をUFOが飛んでいるシーンは宇宙にロマンを感じさせる。
この映画が最初に怖いと感じさせたシーンは、バリーがシンフォンで5音階のシグナルを弾いた直後、母親のジリアンが家から外にゴミを出しに行った夕暮れ時、空を見上げると台風や竜巻や雷でも起きそうな煙幕のような雲の中から突然、異様な光りがあらわれジリアンの家を襲いバリーが光に吸い込まれるように去っていってしまうシーンだ。家の外の異様な空の風景は、撮影監督の功績が大きく、家の中が襲われるシーンは、スピルバーグの演出の賜物である。
素晴らしい撮影監督たち。中心的な役割をしたビルモス・ジグモンドを始め後で付け加えられたアメリカの撮影監督にウィリアム・フレイカー、インドの特別なシークエンスは、ダグラス・スローカム、特殊なシーンの撮影には、ジョン・アロンゾとラズロ・ヴアックスの5人が担当している。
特殊撮影の素晴らしさを挙げたい。特に宇宙船が降りてくるデビルズタワーを実写と特撮撮影を使い上手く合成させている。しかも、大規模なセットを造っておこなっている。この特殊効果の視覚効果部門を担当しているのは、ダグラス・トランブルである。彼に関してスピルバーグは「次のウォルト・ディズニー」と言わしめ人で、「2001年宇宙の旅」を手がけている人物。宇宙に詳しくスピルバーグが、この人でなければだめだとして選んだ人。デビルズタワー上空の夜空の美しさ、星の美しさ、流れ星の美しさには息がとまるほどだ。また、 この上空に宇宙船がやってくる前にやはり雲が煙幕化した様子をみせている。そして、宇宙船を様々な角度から撮影しているのでその見せ方に脱帽。
ジョン・ウィリアムズの音楽の貢献度も「ジョーズ」と同様大きい。彼が作曲した宇宙人との交信をテーマにした5音階の曲を始めとして前衛的なスコアは未知なる飛行物体との遭遇に恐怖を、そして、人間が宇宙に対して夢を馳せる姿を美しい曲で表現している。
エンディングのシーンもいい。エンド・クレジットが流れる。スピルバーグ監督の名前が出る。そして、映画「ピノキオ」の”星に願いを”が流れる。
この映画のことを今のこの時点で振り返る時に一番感じることは、この映画は宇宙人と地球人の友好を描いている作品で、主人公を通して夢を持ち続ければいつかは叶う。夢を追い続けることは素晴らしいこと。しかし、一家の父親として家庭を顧みず宇宙船に乗り込んでしまう姿に二児の父である私は罪悪感を覚える。そして、何も宇宙船に乗らなくても家庭の中にも夢はあると思うのである。
スピルバーグの映画の中でこれほどまでに日常生活の平凡な描写にこだわり、そのデティールを積み重ねてゆくものは他にない。だから宇宙人との遭遇が本当のように感じられる。前作のジョーズ同様の「恐怖」と同時にこの映画には、人間が宇宙に抱く「美しさ」や「夢」がある。
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