キッチンをリフォームしようという話の続きになります。
大した内容は無いですが進捗報告ということで書いていこうかと思います。
以前からボチボチと整理をしていってたのですが、ブログで日記として書いたのが前回のスクラップを持って行った時からなので
今回が2回目になります。
我が家は店舗付き住宅だったので一階は店舗と台所、それに風呂とトイレがあって、それに物置として増築したコンクリート土間の部分があって
その半分だけフローリングを貼りリビングとしています。
要するに住居部分は台所とリビングだけになります。
増築した倉庫部分は親父がまだ生きていた頃に建てたもので、置かれていたモノはというと仕事の材料やガラクタ。
それと自分達のバイクとやっぱりガラクタが・・・・。
親父が死におふくろが病床に伏せ、もう余命が無いと分かったときに自宅で一緒に過ごしたいと思い、倉庫の一部を介護部屋にすることにしました。
時間を掛けることもできず、費用も気持ちの余裕もなくて取りあえずといった感じで床を貼ったため、床束は展示台のアジャスターボルトだったり、
不足しているところは単管パイプ、大引きはツーバイフォー材だったりと適当な作りでした。
床の水平と足下が寒くないようにと根太の間にはスタイロフォームだけは真面目に施工しました。
2007年の出来事でした。
病院から帰る時、おふくろを残して病室を出るのがすごく辛かったです。
半年ほどここでおふくろの世話をしました。
先は見えていましたがそれでも家に帰るとおふくろが居てくれるというのは、その時嬉しく思ったものでした。
2007年の師走のこと。また病院に運ばれそれで終わりになりました。
その後、その部屋は自分達のリビングになり、仲間が集まったら宴会をしたりと今に至りました。
元々の台所は老朽化が進み床はグサグサで修繕が必要。
でもリフォーム中も二間しかない住居に住みながらなので、先にリビングを台所に改造し、その後台所をリビングに改造する方法で行くことにしました。
(今年の8月のバイク仲間が集まっての焼肉宴会)
そのリビングですが適当な床束だったため歩くとキシミが出ていました。
床が抜けるとかは無いですがせっかくなので床束を入れ直してからキッチンユニットを置くことにしました。
床を一旦剥がすためテレビなどは壁に棚を取り付けて作業出来るようにして、最低の生活用品だけ残しました。
荷物が多かったので単管パイプを張り巡らし棚を作って片付けしてきましたが、一時は荷物を収納できることで満足していた時期もありました。
収納性は高くなったのですが見た目スッキリとはほど遠いものでした。
片付けをしている内に色々と学びました。
断捨離という言葉が流行る前に、ガラクタは子孫に残したらダメだと言うことに気付きました。
壁は裏から見たら舞台のセットのように地が露出したままの部屋でした。
単管パイプは四方の壁に突っ張らせて安定化させているので、分解するのも順序よくしないと耐力が低下するので、今となっては面倒なものになってしまいました。
それでも少しずつ棚が減り単管パイプが無くなるとスッキリして気持ち良くなります。
おふくろの介護部屋を作りだしたころからこの十年あまり、片付けが自分の中で大きなウエイトを占めていました。
整理していく内に荷物が減ることが快感になってきたり、きっちりと整理できてないとイラッとしたり。
とりあえず、今はこんな感じです。
ではまた
リビングから倉庫への扉が・・・
扉の格好からは、想像付きませんでした・・・
こんにちは
ブログをやっていると自分のプライベートな事があらわになってしまいがちで、それもある程度はありかと思っているから
記事が書けるんですが、普通なら他人の家庭の事って分からないですよね。
もし我が家に訪ねてこられることがあったとしたら、その時には、「あ~こうなってたんだ」というのも楽しいかもしれないので、いろいろ妄想してみておいて下さい。
我が家も2014年に私が北海道バイクツーリングから帰った直後に
母か病に倒れてそのショックで父が壊れ今や立派な在宅介護家庭で
寝たきり要介護5の母79才と認知症要介護3の父80才を
私一人で親孝行させてもらってます。(他は逃げちゃったなぁ)
人生まさかの坂はありますがお子さんの成長を見るのはとっても楽しいのでありがたく見させてもらってます。
それではまた・・・。
お久しぶりです。
ご両親二人の面倒を同時にとは大変ですね。
親の介護はある時期になると巡ってくるのですが、そこから逃げ出す人と、背負う人がでてきて、
面倒見がいい人が一人で苦労するパターンが多いように思えます。
つらいことも多いと思いますが、ここで逃げ出す人は後々この話題に触れることができず、
一生懸命面倒みた人は、大手を振ってお天道様の下をあるける、そんな風に思えます。
頑張ってください。