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オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage

大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

ハイエースを板金塗装屋さんに預け、くら寿司食べて万博公園で遊んだ 11キロの歩き

2022-05-10 00:37:49 | 歩き旅

ハイエースを買うことになっていろんな人の動画やブログ、ネットの記事を見させてもらって、車が来たらやっておきたいことがありました。

板金屋さんは市境のすぐ先にあって家から7〜8キロほど。

少し預けないといけないので一人で行って帰りは走って帰ろうかと思ったのですが、せっかくなので回転ずしと公園遊びでとら母(嫁)と娘を誘惑し

みんなで行くことにしました。

 

ハイエースを預けて帰る時、何ででしょうか、ノアの時には感じなかった後ろ髪惹かれる思いがしました。

ファミリーカーとしては優秀なノアに比べハイエースは丈夫さだけでファミリーカーとして見れば未完成な部分が多いです。

その未完成さがイジってやろうという気持ちにさせてくれて可愛く思えるのかなって思ったりします。

 

 

 

車屋さんを出ると懐かしいホンダのエンジン音。多感な頃によく聞いたそのエンジン音はそれが何のバイクかすぐに分かりました。

CBX400F 珍しいインテグラ、それも2台も。

そう言えば今日のヤフーニュースで520万円で買って納車して間もないこのバイクが盗まれたって載ってましたが、

定価が50万円くらいだったので10倍の値段。旧車のプレミアム感がすごすぎです。

高校生のころ初めて付き合った女の子と見に行った映画「ハイティーンブギ」で当時大人気だったマッチの乗るバイクがコレでした。

当時人気だった"たのきんトリオ"の他に三原じゅん子、武田久美子が出てました。

マッチカッコよかったなあ。

でも今となったら俊ちゃんの方が好きです。 って誰が分かる話やねんて。

 

ハイティーンブギ・映画予告

 

 

デザインはすごくカッコよかったけどエンジンがそんな強くなくて、暴走族のようにフォンフォン空ぶかししまくったらメタルがチビッてクランクがガタガタに

なってアクセルを閉じたらアイドリングしなくてエンジンすぐ止まるってよく聞きました。。

奇麗そうだったので大事にしてほしい。盗られないようにね。

 

 

 

幹線道路を歩いて先ずは"くら寿司"へ。

くら寿司までは3.5キロほど。

いつもは車だとブ〜って走り抜ける道も歩くと新鮮。

 

 

 

 

公園で久しぶりに白いハトを見た。白いハトって手品出てて来るヤツか平和の祭典で飛び立つヤツって印象しかありません。

どこかから逃げてきたの?

 

 

 

 

娘の産毛を「赤ちゃん筆」にした散髪屋さん。

「赤ちゃん筆」なんてその時になるまで知りませんでした。

作って以来見てないですが、多分そんな存在の物だと思います。次見るのは娘に子供が生まれた時だと思います。

 

 

 

 

端っこや縁石を歩くのは昔から変わらぬ娘の癖。

小さい子ってこんなちょっとしたことでも楽しくて、大人になるにつれて忘れてしまう。

私もちょっとしたことを楽しめるようになろうといつも思うのであります。

 

 

 

一時間ほど歩いてようやく"くら寿司"に到着。結構かかった。

 

 

 

 

何食べたい? そう聞くといつも「いくら」って返ってきます。

「いくら娘」

 

 

 

 

くら寿司も美味しくなったと思います。

シャリが小さいのが難点。ネタもムッチャ小さい時があります。

 

 

 

電車で行ける公園を色々かんがえましたが、一番アクセスがいい万博公園に行くことにしました。

最寄りの駅はモノレールの駅。

歩いて10分ほどでした。

モノレールは中央環状線って大きな道に沿いに走っていて、途中さらに新幹線を越すので結構高いところを走ります。

電車と違ってコンクリートのレールが一本あるだけなので高いところを走る時ってちょっと怖い感じがします。

 

 

 

 

そのころ丁度桜の季節で"さくら祭り"で人でいっぱいでした。

 

 

 

 

広い万博公園には遊具がある遊び場が3ヶ所ありますが、どこも子供でいっぱい。

滑り台を滑るにも順番待ちの列。もう何回もきてるのでパスしたい気持ちですが娘は一度は滑りたいみたい。子供だけ遊ばせて親は端っこでスマホみてる

そんな親にはなったらあかんとおもっております。

 

 

 

 

 

エキスポタワーの記念碑。

解体されたエキスポタワーで使われていたキャビンのうち、最初の下ろしたものと思われます。

 

 

 

 

 

昔の写真フォルダーを紐解いたら解体途中の写真が出てきました。

撮影日は2002年11月23日とありました。

 

エキスポタワーについて詳しく紹介されているサイトがありましたので載せておきます。

何処か遠くへ「旅」 http://leepi.milkcafe.to/p-expotower/tabi-expotower.htm

 

 

 

 

焼き物市をやっていたので覗いてみました。

 

 

 

 

お地蔵さんの焼き物が可愛いです。

 

 

 

 

焼き物には興味ないですが最近とら母の体形が似てきた信楽焼の狸は夫婦そろって興味があります。

いつか信楽に行って買ってこようと思っています。

 

 

 

 

水が流れていて並んでいる石を順番に飛ぶこの場所も娘のお気に入り。

 

 

 

中には落っこちる子もいて、手前の小さい女の子は見事に落ちてました。

お母さんがしきりに「なんで落ちたの!!」って怒ってましたが、それよりも濡れたの何とかしてあげてよって思ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

どこも子供でいっぱいでした。

 

 

 

 

万博公園ってムッチャひろくて歩き回るだけで3キロほどになります。

公園の外側に万博外周道があって一周5キロ。歩道が整備されていてランニングする人も結構います。

 

 

 

 

太陽の塔

以前テレビて言っていた話ですが、本来なら現在の耐震基準では耐えれない設計であったのが、実際は当時の職人が強度を持たせて建てたため取り壊しせずにすんだと言っていました。

カッチョええ~話にゾクゾクってきました。

最近は何でもコスト。

丁寧に仕事してって頼んでも「コストが・・・」って言われます。

「じゃあ費用だすから」って言っても結局で技量が無くてきないんです。「コスト」を隠れ蓑にしてることの多い事。

 

 

夕方6時前。

万博公園を後にし、家まで歩いて帰ることにしました。

家までは3.5キロほど。

車を預けに行った帰りのお出掛けでした。

歩いた距離約11キロ。

ではまた。

 

 

 


雪を見に琵琶湖の湖西 北小松駅 比良げんき村 楊梅の滝

2022-03-20 02:49:25 | 歩き旅

寒さも緩み我が家の梅の木もつぼみも大きくなり・・・・

 

 

 

 

言ってる間に急に温かくなって花は鳥がついばんだり落ちたりしまったてのに、3ヶ月前の雪あそびした日記を書きます。

 

 

 

 

今年の冬は各地で大雪が降ったりとニュースでやってましたが大阪では降る気配がありません。

雪が降ると大変なこともありますが大人でもちょっとくらい積もってほしいと思うものです。

 

天気予報で各地で大雪になるのをテレビで見てワクワクする娘。

「雪が積もったら雪遊びとかしたい。」そんな話をしてくれるんですが夜空を見上げると雲一つない星空。

翌日はやっぱりのピーカンの晴れ。残念そうな顔を見ると雪を見させてやりたいと私も思うわけです。

 

 

で、雪と戯れる場所を探してアウトドア派な人に尋ねると皆さんスキー場を教えてくれます。

確かに雪はあるのですが、できればそこまでガッツリではなく雪の多い地方に行って公園とか田んぼに残った雪で遊べれば、そう思ったりします。

ニュースで雪の日で車で出かけた人が動けなくなったり渋滞にはまったりするのを見かけるので、こんな時は電車にしときたいです。

そんな場所が無いか、いつものようにグーグルマップ。

大阪からだと兵庫の北部か滋賀県。

兵庫はどこまで北上すればいいのか分からず、滋賀県だったら湖東より湖西の方がありそうな感じ。

ということで湖西線に乗って駅の近くに公園なんかがありそうなところ・・・・「北小松駅」って聞いたことのない駅を見つけました。

 

 

2022年1月16日(日)

二日ほど前にも日本海側で大雪が降ったんですが、大阪は皆無。

 

 

 

 

山科駅で湖西線へ。

東海道を歩いたときに見かけた緑色の電車に初めて乗りました。

 

 

 

 

日曜日でしたが湖西線に乗る人は少なく車内も閑散としていました。

ボックスシートはちょっとした旅気分です。

 

 

 

 

 

山科を出てしばらくは車窓を眺めても雪はほとんどなく、娘も少し不安そうでした。

 

 

 

遠くの山にしか雪はなくて、湖北まで足を延ばさないといけないかなんて、私も不安になってきました。

 

 

 

 

ぼんやり外を見つめる娘。

 

 

 

 

ちょっと残り雪が見えてきましたが、こんなんじゃ足りない・・・。

 

 

 

 

近江舞子駅に近づいたあたりから平野部にも残雪が見えるようになって、ちょっとだけテンションが上がってきました。

次が北小松駅。

 

 

 

北小松駅着。

まだ足りないかと思ったのですがとりあえず降りてみることにしました。

 

 

 

乗降するところは除雪されていましたが、それ以外はプラットホームにも雪が残っていました。

喜ぶ娘。

 

 

 

 

 

 

 

やりたかった雪合戦をしました。

 

 

 

 

雪だるま

 

 

 

転がして雪だるまを作ったらいつも土で茶色くなったのが、ここでは白いまま。

 

 

 

私は胴体担当。

 

 

 

 

夢中になって作った。

 

 

 

 

 

 

プラットホームなので枝とか石とかないので顔ができない。

雪を固めて顔や手足を作ったらちょっと不気味な雪だるまになったけど、楽しかった。

 

 

駅で雪だるま作り。いい思い出ができました。

 

 

 

駅は無人。

ベンチを借りておにぎりを食べました。

いつも言いますが、こんな地味な事ですがほのぼのして好きです。

 

 

 

 

北小松駅前。

人気もなくひっそりしていました。

 

 

 

 

少し歩くと比良元気村という公園施設があります。

 

 

 

 

タイヤハウスに顔みたいなのが見つめているみたいでワロタ。

 

 

 

公園は駅から1キロほど。

田舎の道を眺めながら歩くのもまた楽し。

 

 

 

 

「比良げんき村」

単なる公園かと思ったらキャンプ場もある大きな施設でした。

キャンプ場の料金も330円~とリーズナブル。穴場らしいです。ただしペットは不可。

 

 

 

 

 

ロープ登りの頂上から見る琵琶湖

 

 

 

 

リアルなゴリラ。

 

 

 

 

雪を知らない娘には足が埋もれるだけでも十分楽しそうでした。

 

 

 

 

遊具とかアスレチックがあって一日楽しめます。

 

 

 

 

ローラー滑り台、楽し。

 

 

 

 

一時間半ほど遊んだ後、その先に滝があるというので見に行くことにしました。

 

 

 

 

滝へ通ずる道が崩落していて通行止めとなっているので登山道を迂回しないといけませんでした。

 

 

 

 

距離は大したことがないですが雪の登山道は滑りそうで歩きにくかったです。

 

 

 

 

楊梅の滝

県下一の落差を誇る滝らしいです。

本当なら川に沿って登っていけば滝の近くまで行けるみたいですが、いまはこの滝見台からみるか、登山道をどんどん歩いて行かないといけないようです。

 

 

 

滝見台でおやつタイム。

ピクミングミ。

ピクミンかわいくて好き。

 

 

 

 

登りより怖い下り。

 

 

 

 

帰り道、遊び足りない娘に「滑り台もう一回滑ってくる?」って言ったら喜んで走っていった。

 

 

 

 

ちょっとしんどかったですが、私も付き合って滑りました。ああオッサン。

 

 

 

 

 

駅に着いて雪だるまが残ってるか見に行きました。

来た時よりも雪だるまが増えてました。

一番向こう側にあるのが自分たちが作った雪だるま。

 

 

 

 

少し解けていましたが、まだちゃんと残っていました。

 

 

 

 

娘に楽しかった?って聞くと「楽しかった!!」そう言ってくれました。

スキーとかスノボとかのレジャーじゃない、雪を見に行く1340円の小旅行。

電車って車のようにアチコチ自由に移動できないですが、こんなちょっとした旅もステキにしてくれる乗り物に思え好きです。

雪を知らない娘が少し楽しめたなら父親としてうれしい限りです。

 

 

ではまた

 

 

 

 


JR福知山線廃線敷から有馬街道を通り阪急中山観音駅まで歩いてみた。 15Kmの歩き旅 その2 生瀬から阪急中山観音駅

2022-02-14 03:20:23 | 歩き旅

昨年末に歩いた「JR福知山線廃線敷から有馬街道を通り阪急中山観音駅まで歩いてみた。 15Kmの歩き旅 その1 JR福知山線廃線敷」の続きになります。

 

 

 

 

お昼12時に武田尾駅から歩きはじめ生瀬側の入り口に辿り着いたのが14時を少し回ったくらいでした。

廃線敷は5キロほどしかなく、歩き旅としては少し物足りないので有馬街道を抜けて阪急中山観音駅まで歩くことにしました。

引用元:Google社「Google マップ、Google Earth」

 

 

 

 

生瀬側の入り口には看板があるくらいで広場も何もなくカーブの先に仮設トイレが並んでいるだけでした。

ここが廃線敷の入り口だというオーラもなく、ただただ普通の道につながるだけの入り口でした。

 

 

 

そこから少し歩くと国道176号線に出ました。

国道176号線は京都府北部から大阪市内まで抜ける国道で、交通量も多く周囲に民家もないせいでスピードも結構でています。

人があまり歩かないのか、落ち葉が貯まったままの歩道。

細い歩道の脇をスピードを上げて大型車が走り去るのは少し怖いものがありました。

 

 

 

 

 

現在のJR福知山線。下を通る道はその先をずっと進めば有馬温泉があります。

 

 

 

 

有馬街道を歩こうと決めていたのに気付けばバイパス道を歩いてました。

そのまま行ってもその先で合流するので何も問題無いものの、なんか違う気がして引き返すことにしました。

古い街道を歩く時ってできるだけ"街道"を歩きたいと思うのですが、たまに間違えたりするわけですが、そういった時に気にせず歩き続けるか、

忠実に歩くか性格が出る瞬間だと思います。適当か完璧主義か。

往復1キロのロス。

 

 

 

JR沿いが有馬街道(生瀬街道)でした。

道端で座り込む爺さん。

ワンカップが空いていました。足元には「白鶴 サケパック まる」のパックがありました。

「何かいいね、こういうの。人生自分なりに楽しんでる」ってそんな気がします。

 

 

 

JR生瀬駅。

 

 

 

トイレを借りに駅に立ち寄りました。

時計は15時前。

12時から歩き始めたので3時間歩いたことになります。

 

どんな駅でもそこに人の生活があって、この駅を利用する人たちの思い出があって・・・

そんな風に思えるのが"駅"であって、そう思うとなぜかしんみりしてしまいます。

 

 

 

娘たちがトイレから出てくる間、駅の風景をカメラに収めました。

上りホームを見ると良い感じのポスターが目に留まりました。

 

 

 

 

拡大したら青春18きっぷのポスターと分かりました。

"誰かを待つ駅"

行ってみたくなる駅です。

ググると分かりました。四国予讃線「串駅」でした。

青春18きっぷのポスターの駅を巡る旅も良いかも、そう思ったのですがそれよりもこんなふうにふと立ち寄ったことがきっかけになって

次の旅先が決まるってこと自身が素敵な事じゃないかと思ったりしました。

 

 

 

親の趣味に付き合わされて歩かされる娘の事を思うとちょっとかわいそうになります。

公園が好きなので公園を見つけたら立ち寄るようにしています。

それがどんなちっぽけな公園でもよくて、嬉しそうにします。

 

駅の近くにあった「生瀬西公園」

 

 

 

 

お菓子をつまむのはオッサンの私でも楽しいひと時です。

 

 

 

 

一人退屈そうに佇む姿を見ると、姉妹が居たらと思ってしまいます。

(iPhone12で撮った写真ですが逆光に弱いと言われていますが、そんな気がします)

 

 

 

 

 

武庫川とJRを越えた先にあったため池

「ブドウ池」

後に知ったのですが向こうに見える茂みには旧松本土井国登録有形文化財」があるそうです。

初めて来た私たちは単なる茂みにしか見えませんというか、全く気にもしませんでした。説明を見てもふう~んって感じですが。

 

 

 

 

有馬街道と聞いて来たものの街道らしき歴史を感じるものが全くなく、新しめな家と高級そうな家が並ぶだけ。

広い土地に平屋の家を見て、こんな家が良いなと思う私。

壁の塗り替えや屋根の修繕費用を考えると木造の平屋が一番です。

こんなに広くなくてもいいから平屋に住みたいと思うのは持ち家を持つこの歳のアルアルではないでしょうか。

 

 

 

ようやく見つけた「有馬街道」の看板。

石碑でもなく歴史を感じる看板でもない単なるアルミ製の看板。

 

 

 

 

16時半

清荒神の参道に出ました。

右に200mほど歩くと阪急清荒神駅、左へ1キロほどいくと清荒神清澄寺があります。

この辺りは売布神社とか中山寺とかあるのですが、駅名になっているので名前は知ってても行ったことがないので良く知らない土地です。

 

 

 

 

ここで有馬街道を外れ再び国道176号線に出て目的地の阪急中山観音駅に向かいます。

娘は疲れて平坦なルートをたどるかと思いきや、わざと山手側の細い道を進んだりします。

 

 

 

路地裏を歩くのもまた楽しです。

 

 

 

阪急の線路を越してJR福知山線に沿って東へ歩きます。

 

 

 

 

 

バイク屋さんの前を通った時、ふと目に留まったバイクがありました。

カワサキ空冷Zの代表格、ローソンレプリカでした。

ストリップ状態でもピ~ンとくるものがあります。

やっぱカッコいいですね。

 

 

 

 

国道176号線

「中山寺」の看板が見えてきたらようやく旅の終わりが近づいてきた気がしました。

 

 

 

 

17時、目的地の阪急中山寺駅に到着。

割と早かったのでこの近くで晩御飯を食べようとしたんですが、駅周辺にはあまり食べ物屋さんがなく、さらに歩く気にもならず、

疲労感と喪失感でちょっと心身喪失状態でした。

 

 

 

 

少し歩くと丸亀製麺があるので最後の力を振り絞って行くことにしました。

 

 

 

 

お腹はラーメンとかコッテリしたものを欲していたんですが疲労感でラーメン屋までたどり着けずうどんになりました。

 

 

 

 

「牡蠣たまあんかけうどん」

これが温かくてこってりしていて、とても美味しかったです。

 

 

 

 

18時過ぎ。

お腹も満たされて店を出ると向こうにライトアップされた中山寺が見えました。

 

 

 

全行程約15キロ。

福知山線廃線跡敷はめったに歩くことのできないトンネルや橋梁を歩けたりと良いところでした。ただ砂利と枕木は歩きにくかったです。

私的にはその後の普通の町中を歩く方が楽しいと思いました。

引用元:Google社「Google マップ、Google Earth」

 

 

また知らない土地を歩いてみたいです。

長くお付き合いくださりありがとうございました。

OKUTEC店長


JR福知山線廃線敷から有馬街道を通り阪急中山観音駅まで歩いてみた。 15Kmの歩き旅 その1 JR福知山線廃線敷

2022-02-03 02:46:18 | 歩き旅

「JR福知山線廃線敷」

福知山の方で廃線跡を歩けるところがあるってくらいの知識でしたが、知人のFacebookの写真に魅了され自分たちも行ってみることにしました。

西宮観光協会 https://nishinomiya-kanko.jp/fukuchiyamasen_haisenjiki2019/

 

 

知人の写真ってのがトンネルの出口から古びた鉄橋を望むなんとも素敵な風景でした。

 

場所はJR生瀬駅からJR武田尾駅間の武庫川に沿った山あいのルート。

全長は4.7Kmなので歩き旅としては少し物足りない。

グーグルマップを眺めて全体で12Kmくらいになるルートをさがしました。

「有馬街道」ってのがあって「街道」という言葉に惹かれて、ルートに追加。さらにマップとにらめっこして東へ進みゴールを「阪急中山観音」に決めました。

 

決行日は昨年末の12月28日。

年末はカレンダー的によろしくなくて、たいていの会社は29日までお仕事。うちも同じでしたが年休を頂きました。

会社に感謝。

 

歩き始める駅はJR武田尾駅。

JRって運賃高いんですね。

なので阪急電車に乗って宝塚駅までいって、そこでJRに乗り換える作戦。(小さな節約、豊かな老後 嗚呼小市民)

 

 

 

阪急宝塚駅の目の前がJR宝塚駅。

繋がってるので乗り換えがちょ~楽。

 

 

 

 

JR宝塚駅の次の駅が「生瀬駅」で次が「西宮名塩駅」、でその先に「武田尾駅」があります。

トンネルを抜けた先に「武田尾駅」があったんですが、この駅もまたトンネルの入り口、と言うかトンネル内にあるという珍しい駅。

 

 

 

薄暗くて平日の人気の無さと相まってちょっと不気味な感じ。

初めての駅はいつもワクワクするものですが、ちょっと不気味に思えたんで「2ちゃんねる きさらぎ駅」を思い出してしまいました。

(私もテレビで知ったんお話ですが登場人物の女性が見知らぬ駅に降り立って迷ってしまったことを2チャンネルの掲示板に書き込んだことから始まり、

それを見ていた人が心配して書き込んで・・・で求めることが出来ず女性はどんどん知らない場所に彷徨っていくというホラー的な話です。

ご存じない方はコチラをどうぞ)

 

 

 

駅は無人で自動改札があるだけでした。

 

 

 

 

付近は何もないので事前に買っておいた、おにぎりを改札横のベンチに座っていただきました。

こんなたわいもない事でも、地味に楽しいなと思いながら食ってます。

 

 

 

 

お昼ちょうど12時に武田尾駅を出発。

駅から見上げるとさっき通ってきたトンネルが見えました。

駅の周りには民家も無くて改札の前は武庫川とそれに沿った道が一本あるだけ。

左は廃線跡敷へ通ずる道で、右へ行けば武田尾温泉があって道はそこまで。

結構な秘境駅。

 

後に知ったのですがこの道が昔の線路だったとのことです。その当時の風景をyoutubeにアップされている人を見つけたので貼っておきます。

 

地上を走っていた頃の国鉄武田尾駅と現在の風景(昭和61年7月18日撮影)

 

 

 

福知山線配線敷はこの先ですが、ここはもう旧福知山線跡になるんですね。

この先に見える車が止まっているところが駅だったそうです。

 

 

 

 

廃線敷入口

トイレはここか生瀬側の入り口まで無く、途中に自販機もありません。

 

 

 

 

橋を渡ると枕木がズラッと並んでいました。

枕木を見た時、廃線敷として開放する際に敷き直したんじゃないかって感じてしまいました。

当時のままらしいんですがなんかなんかしっくりきません・・・。

 

 

 

 

大き目な砂利と歩幅に合わない枕木を歩きにくいと感じる私。

楽しそうに枕木を跳ねるように歩く娘。

いつまで手をつないでくれるんだろうかと思いながら、この瞬間を忘れないようにと思っている自分がいます。

(手をつないでくれてありがとう。お父さんはいつもうれしく思ってたよ)

 

 

 

廃線跡敷にはトンネルが6つ。

その一つ目の長尾山第3トンネル。長さ91m。

鉄道(廃線)のトンネルをくぐるって初めて。

 

 

 

 

二つ目の長尾山第2トンネル。

煤けた待避所がありました。

SLが走っていた頃だと、蒸気と煙で大変だったろろうなと思います。

 

 

 

 

 

桜の木があったので春はまた違った景色を楽しめるんだろうなと思います。

 

 

 

 

先へと続く線路の跡。

足元の枕木を眺めながら歩く。レールを固定する釘(犬釘)の痕が見えない。

何でだろうか。やっぱり不思議に思えた。

 

 

 

 

 

渓谷の眺めが良いスポット。

 

 

 

 

話は逸れますが上の写真はキャノンのコンデジ、G7Xで撮ったものです。

初期のG7Xなので結構古い機種ですがセンサーサイズは1インチと少し大きいです。

下がiPhone12で撮ったものです。微妙に場所は違いますがだいたい同じ場所。

iPhone12は昨年買ったもので初めてのアップル社のスマホカメラ。

iPhoneはスマホの中では性能が良い方だと思うのですが、絵作りはすごくドラスチックだなあと思いました。

拡大して見るとG7Xの方が自然な感じがするんですが昨今のニーズはSNSでどう映るか。

センサーの小ささを画像処理で上手くまかなっているってことでしょうか。

 

 

 

 

「何の穴?」

不思議そうに眺める娘。

 

 

 

 

子供には何でも不思議に見える。

スルーせず、立ち止まってみたり覗いてみたり。

「貯まった水を抜く穴かなあ?」 なんて話をしながら歩く。

 

「ゾンビとか出てきたら怖いよね。」

子供の発想っておもしろい。

 

 

 

 

 

三つ目のトンネル、長尾山第1トンネル (306m)

「この先落石等による事故の責任は持ちません」の注意看板。

 

トンネルの中に入ったら石が落ちてくると思って不安でいっぱいだった娘。

 

 

 

トンネル内は灯りがないので真っ暗。

懐中電灯は必需品とは書いてありましたか、「無いと歩けません」と書いた方がいいくらい真っ暗。

 

 

 

 

トンネルを抜けると古い橋梁がありました。

知人がSNSに投稿していた写真がここでした。

第2武庫川橋梁。

 

 

 

 

鉄橋なんで枕木のしたはなにもなく、踏み外したら落ちるので以前はフェンスでふさがれていて、横の歩道を歩いたらしいです。

いまは整備されて不安はないですが、できれば横の歩道を歩きたかったです。

 

 

 

 

 

 

4つめのトンネル。溝滝尾トンネル (149m)

ホンマ真っ暗です。

 

 

 

急流が見どころ

 

 

 

 

ダチョウの死骸・・・・・とみんな思った。

 

 

 

 

 

なんなんでしょうか、鉄道の設備ってことだけで不思議と哀愁を感じます。

 

 

 

こんな看板と待避所なんかも惹かれます。

 

 

 

 

 

疲れ知らず。

 

 

 

腰痛いです。

一番ダメな奴ですが何か? 脊柱管狭窄症とすべり症。身長2センチ縮みました。ああポンコツ。

 

 

 

 

線路って人が踏み入れないところを走っていることが多く、車窓からしか眺めることしかできないからか、線路の上を歩いてみたいって思う人もいるかと思います。

ここもまた道路と繋がっていない秘境の一つです。

景色も良くって、起伏もないのでお子さんと一緒でも全然平気で歩くことができます。

興味を持たれたら一度歩いてみてはどうでしょうか。

懐中電灯一人一本は必須です。

スマホのライトじゃ頼りないですよ。

 

 

福知山廃線敷のゴールはもうすぐ。

長くなったのでその先の中山観音駅までの歩き旅はまた書きたいと思います。

いつもながらの長々とした家族向けの記録日記にお付き合いくださりありがとうございます。

ではまた。

 


歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その4 滋賀県追分から大津宿まで 大津駅近くの らーめん みふく 美味かった

2021-04-07 06:42:53 | 歩き旅

三条大橋から大津宿までは10キロ足らずの行程。

昼12時過ぎに出発し、途中で道を間違えたりして夕方5時半を回って12キロを歩き、ここは滋賀県に入ったところにある大津市の追分という町。

(前回その3はコチラ

 

 

大津宿まであと3キロほど。

昼間ならさほど苦にならない距離も、歩き疲れた夜の3キロは、あとどれくらいで着くのか予想もできないくらいに疲れた体に圧し掛かってくる。

 

国道1号線。主要道だけあって交通量は多い

大津に抜ける峠道は緩やかな登り道で、街燈も乏しく通る人もいない。

車の照らす明かりを頼りに暗い歩道をただひたすらに歩く。

 

 

 

 

前から待ち構えて写真を撮ろうと走って前へ出ようとするが、私をからかうように娘が走って付いてきて一向に写真が撮れない。

やっぱり一番元気なのは娘なんだと思った。

 

 

 

 

 

 

私にとって写真は旅の思い出だけでなく、生きた証。

いつか振り返る時が来た時に今撮った写真が活きてくる。

だから、せっかくだからと立ち止まったり先を急いだりしてシャッターを押す。

とら母(嫁)はそんな考えはなくただただマイペース。

その間ではしゃぐ娘。娘の存在に随分助けられているとつくづく思う。

 

 

 

 

 

店から明かりが漏れていた。

何のお店か分からないけど両頭グラインダーとちょこっとバイクが見えた。

バイクさんかなあ、なんて思いながらシャッターを切った。

両頭グラインダーって意外とマニアな機械。ピカピカに磨く機械で手間がかかるけど仕上がりは抜群によくなる。

地味な作業で普通のバイク屋さんはやらない。

そんな機械を置いてあるとこをみると、自分の店でいろいろいじるお店かなと思った。

 

 

 

 

バイク屋さんを過ぎてしばらく歩くと大谷町というところで旧東海道は国道1号線から少し逸れる。

 

 

 

 

 

駅の灯りがどことなく寂しく見える。

 

 

 

 

 

京阪京津線の大谷駅。

峠の途中にある駅で京都側に下っているためホームの地面も傾斜している珍しい駅。

 

 

 

 

ベンチはそのままでは傾いて座りにくいので水平になるように脚の長さを変えてあるとか。

Googleマップをみたら写真が投稿されていた。

出展:GoogleMap (https://www.google.co.jp/maps/@34.9941626,135.8536014,3a,75y/data=!3m7!1e2!3m5!1sAF1QipPezDz1oCngA6e15LVfo7M24BB2066EF1F8rBL1!2e10!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipPezDz1oCngA6e15LVfo7M24BB2066EF1F8rBL1%3Dw150-h150-k-no-p!7i5488!8i3088)

 

 

 

 

駅を過ぎるとそれまでと一変して明るくなってお店が並ぶ。

 

 

 

 

 

かねよ」というウナギ屋さんでした。("かねよ"に"かねよレストラン部"、"かねよ出前部"とかねよグループみたい)

腹へった。

 

 

 

 

 

かつてこの地は走井茶屋(はしりいちゃみせ)と呼ばれる茶店が軒を連ね、名物の走り井餅を売っていたらしい。

広重の浮世絵、「東海道五十三次 大津」に描かれている。

 

 

 

 

逢坂の関(逢坂の関記念公園)

ウキペディアによると「山城国と近江国の国境となっていた関所」とある。

古代、都の防備のために設けられた三つの関所の一つで東海道・東山道の京都への入り口にあたる要所だったらしい。

トイレがあって助かりました。

 

 

 

 

逢坂の関を過ぎると国道1号線に戻り道は緩やかな下りになった。

 

 

 

 

 

道は左に大きくカーブし再び京阪京津線と併進する。

この辺りは名神高速の大津SA手前の大津トンネル付近で線路の向こうはすぐ山があり、線路と山の間に民家が数件並んでいた。

地元の人が利用するための踏切か、細い踏切が数か所あって遮断機も無いところもあった。

 

 

 

 

スマホでルート検索を掛けると距離は1.7キロと出た。

旧東海道は再び国道一号線を逸れる。

気温は5℃。

そう寒いとは思わない。

ただただゴールに着くことだけを願うだけ。

 

 

 

 

 

歩きで一番へばっているのが私。

腰は痛いし膝も痛い。

同じ距離をランニングするなら平気な気がするのですが、長い間立ちっぱなしは体が悲鳴を上げます。嗚呼おっさん。

決して娘がしんどいとか言った訳ではなく、退屈してそうなので気晴らしにたまにおんぶしてあげます。

もちろん悲鳴を上げたポンコツおやじなので長続きしません。情けない親父。

でも私、娘と触れ合えるのが好きなのでうれしかったりしてるのです。

 

 

 

 

銭湯を見つけた。

入りたい・・・・。

ご飯食べたい・・・・。

ゆっくりしたい・・・・。

早く横になりたい・・・・・。

・・・・疲れた。

 

 

 

 

踏切に差し掛かる。

線路がそのまま道路に通じている。

路面電車だと思ってちょっとワクワクした。

 

でもこの時、実は目的地を通り過ぎてしまっていたのでした

 

 

 

 

 

路面電車と言っていいのかわからないけどこの区間は電車が道路を走る。

電車が来た。娘に見せてやろうと私が興奮していた。(京阪京津線)

 

 

 

 

 

 

「京町一丁目南交差点」

ようやく目的地を越したことに気付いた。

悲しかった。

 

 

 

 

数百メートルだけどすごく長く感じた。

この歩き旅の目的地「大津宿」(大津宿本陣跡)。

ただこの看板があるだけ。

暗闇なので気付かなかった。

 

 

 

 

隣の石碑も表示柱も別のもの。

ほんと看板があるだけ。

「さ、帰ろう」ってまさにそんな感じのゴールでした。

 

 

 

 

 

 

最寄りの駅のJR大津駅までは500mほど。

晩御飯は王将にしようかなんて話しながら駅への道を急ぐ。

と、娘があとどれくらいと聞いてきた。

この先を曲がったら駅って話したら、トイレに行きたいと言い出した。

かなり切迫しているみたい。

スマホで近くのコンビニを検索する。

曲がった先を少し行ったらコンビニがある。

そう言ったけど、もう我慢できないみたい。

あ~どうしよう。もう見えてるのに、それでも我慢の限界見たい。

と、目の前にラーメン屋があった。

仕方がない、ここに入ろうってことでラーメン屋にインした。

 

焼きあごで取った出汁と書いてあって、食通でもない私に期待感大。

私は背脂が苦手なのでシンプルに「焼きあご醤油麺」

 

 

 

 

とら母は背脂だろうが何だろうが美味ければOKなので鶏がらスープに背脂を浮かせた「中華そば」

 

 

 

 

たまたま入ったラーメン屋。

これが思いもしなく美味かった。

 

 

 

大津駅からすぐ近く「らーめん みふく」

温まった体に冬の夜は寒かった。

 

 

 

午後8時。

大津駅から帰路につく。

 

 

 

 

 

今回歩いたルートと距離。

15キロ程度にしようと思っていましたが終わってみれば15キロ超えの17.3キロ。

夜で15キロを超えるとさすがに疲れました。

でも、それ以上に楽しかったです。

 

 

大津宿の次は草津宿で距離は14キロ。

次は歩くときは車中泊にして二日に分けて歩きたいと思います。

 

長い話にお付き合いくださりありがとうございました。

そして私達親に付き添ってくれた娘にありがとう。

 

ではまた


歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その3 山科区御陵から追分まで

2021-04-05 04:22:53 | 歩き旅

少し間が開いてしまいましたが京都三条から大津までの東海道を歩いた時のことの続きを書きたいと思います。

その2(粟田口峠、日ノ岡峠から山科区御陵)はコチラ

 

山科の御陵にあるコンビニで豚まんとコーヒーでちょっと休憩。

三条から歩き始めてここ山科区御陵までで5.6キロ、3時間が経過しました。

 

 

 

 

15時半に再び歩き始めました。

東海道と言っても京都の主要な道で、通り過ぎる人にしてみれば、ただただ普通の道。

そんな普通の道ですが、私たちにしてみれば見慣れない街並みや景色は新鮮。

何気ない道をぷらぷらと歩いていると、時折「何?」「何故?」っていうのがあったりします。

 

 

 

そういったものを拾いながら歩いています。

寄り方がハンパない。

 

 

 

 

 

ブログを書きながら時折、通った道をGoogleEarthで調べたりします。これってムッチャ便利。

そこで見つけた密着スクーターの訳。

そうだったのね~。

引用:https://www.google.co.jp/maps

 

 

 

 

大津に向かい歩いていて次にあるはずの「五条別れ」が見つかりません。

それっぽいものはなくて、あるのは「山階寺跡(やましなでらあと)という違う石標だけ。

 

 

 

 

 

道路看板には「五条別れ」の文字がある。

あっちウロウロ。こっちウロウロ。

でも周囲を探すけど何も見つからない。

色々調べたら、どうやらここは「五条別れ」ではなく単に五条別れ"交差点"みたい。

 

 

 

 

 

五条別れ交差点でウロウロしていた時に通り過ぎたスクーター。

何か普通と違うと思ったら出川哲朗さんの「充電させてもらえませんか」に出てくるヤマハの電動スクーターでした。

メカからでる音と走行音だけしかしないので静かでした。

 

 

 

 

路地を少し北上して見つけた本当の「五条別れ」。

石標は幕末の宝永4年(1707)に建てられたもので「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛今ぐまきよみず道」「右ハ三条通」と刻まれてあり、

"別れ"は分かれ道で、三条と五条の方向を示しているものでした。

京都だからか、東海道を歩いてこう言った石標を多く見かけます。

この石標は古いものなので歴史を感じられていいのですが、中には真新しい石標や看板があるだけで何も残っていないものもあって、そういうのってどうかなと思ったりしました。

 

 

 

 

再び歩き出した私達。

誰が付けたのかわからない風車。

 

 

指でそっと回してみる。

 

 

 

 

"五条別れ交差点"まで戻って大津に向かって歩く。

ふとグーグルマップを見ると今歩いている道が東海道でないことに気付いた。

やってしまいました。東海道とばかり思っていたのは実は三条通りでした。

 

 

 

 

このまま東海道に出てもよかったんですが、できれば東海道を走破したい、そんな思いがあったので元来た道を戻ることにしました。

戻る地点はあの密着スクーターがあった三差路。

青看板には三条大橋まで5Kmの文字が。

「戻るのはちょっとだけ」と娘に言い聞かせて元来た道を戻る。ごめんよ娘。

 

 

 

 

密着スクーターの三差路から東海道をリスタート。

2キロのロス。きつい。

 

 

 

 

旧三条通り

平安時代以降、都と北陸、関東を結ぶ大動脈として栄えたとありました。

時折残る古い民家。

エアコンの上に置いている置物も私たちのような街道を歩く者を和ませてくれます。

 

 

 

 

五条大橋を出て10キロ。既に5時間が経過。全行程の半分程度しか歩いていないのに既に時刻は4時半を回ってしまっています。

軌跡を見ると迷走しているのがよく分かります。

 

 

 

あちこちに"なすび"の提灯みたいなのが飾ってある。

 

 

 

時世を反映してマスクしてるのもありました。

後で調べたらこの界隈のマスコットキャラだそうで、その名も「もてなすくん」

山科なすびをモチーフにしているらしく、名前の由来は「おもてなし」と京野菜の「山科なすび」。

 

 

 

 

愛宕(あたご)常夜灯。建立は1855年2月。

お多福のお面。縁起物なので縁起担ぎでしょうか。

 

 

 

 

消火器の上にも何か置いてありました。

 

 

 

 

山科駅前。随分開けてます。

時刻は5時前、お腹も空いてくる頃。

餃子の王将を見たら、「晩御飯は王将」とつい思ってしまうのが歩き旅の常。

 

 

 

 

 

毘沙門堂(びしゃもんどう)の看板。

毘沙門堂は七福神のひとり、毘沙門天を祀る天台宗の寺院。

 

自分にとって毘沙門と言えばリフトでお馴染みに株式会社 スギヤスのビシャモン

自動車用のリフトでもお馴染みで、運搬業者でも「ビシャモン持ってきて」と言えばハンドリフトが出てくるほど有名。

ウチのバイクリフトもビシャモンの低床リフトでちょっと自慢。

"世界のBishamon"です。

 

 

 

直ぐ近くに鳥居があった。

諸羽神社の一の鳥居。

 

 

 

 

またほんの少し歩くと別のお寺があった。

石標には「十禅寺」とあるが、それはその奥にあるお寺で、これは徳林庵(とくりんあん)という神社。

ほんとにたくさんの社寺がある。

 

 

 

京都東IC近く。

緩やかな上り坂が続く。

一番わかりやすい"車石"の説明看板があった。

 

 

 

 

看板から察するに個人の方が設置したもの。感謝

 

 

 

 

 

5時を回り日が暮れてきた。

1号線を越えるためにルートが複雑で分かりにくかった。

 

 

 

 

 

京都と滋賀の県境。

 

 

 

 

 

 

 

国道1号線と161号線の分岐と名神京都東が交わるIC。

国道1号線は琵琶湖の東を通り三重の鈴鹿や四日市を経て名古屋に通じ、国道161号線は琵琶湖の西を通り敦賀へ通ずる主要な分岐点。

 

 

 

17時38分

目の前の大きな高架道は名神高速。

走ったことのある人は分かってもらえるかと思いますが、名神上りを京都東ICを過ぎて、それまでの街中を走る風景から急に両側が山に囲まれた道になるのがこの辺りです。

 

 

 

 

三条大橋から大津宿までは10キロ足らずの行程のはずが、まだ滋賀に入っただけなのにすでに12キロを歩いていました。

あと3分の1ほど残っています。

長くなったので続きはまた次回。

ではでは。

 


歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その2 粟田口峠、日ノ岡峠から山科区御陵まで

2021-02-15 03:54:51 | 歩き旅

「東海道を歩く 京都三条~大津編」その2になります。(その1はコチラ

 

13時半。

蹴上インクラインを後にし緩やかな上り坂を上っていく。

ここまでの京都の街並みの雰囲気と全く変わって緑が多く道沿いにはあまり民家がありません。

三条通りと呼ばれるこの道も以前は路面電車が走っていたそうです。

 

 

 

この上り坂は日ノ岡峠と呼ばれ、三条大橋から見て旧東海道最初の難所だったそうですが、歩いてみてもさほど急こう配でもなく、私たちでさえ苦も無く

15分ほどで越えれる峠でした。

 

 

 

峠を越えた辺りで、とら母(嫁)が何かを探していました。

後でネットを見て分かったことですが、丁度この場所に京阪電鉄京津線の九条山駅(リンク先:乗り物BOX)がありました。

 

 

 

さらに調べると、とら母が立つこの階段は今は閉鎖されて上がっていけないですが、その先には廃墟となった「レジャープール アクアパーク東山」が

あったということで、それを紹介しているサイトを見つけました。

写真の転載可とありましたので載せさせていただきます。

転載元:蹴上の廃墟「アクアパーク東山」と「全和鳳美術館」 https://syasin.biz/urbex/aquapark/ 提供:古都コトきょーと https://syasin.biz/ 

(こちらのサイトは今は更新を停止されていていますが、内容が詳細だけでなく写真がなにより美しく見ごたえがあります。ぜひ一度見てみてください。

古都きょーと様、写真の転載許可に感謝します)

 

 

グーグルマップのストリートビューで見ると朽ちたウォータースライダーが残っているのが確認できました。

今はGoogleマップのストリートビューでその場所を自宅に居ながらにして見直すことができたり、ネットにある当時の写真と見比べて

当時の状況をよりリアルに感じることができるので、歩き旅の面白みも増す気がします。

 

 

 

で、とら母が探していたのはこの辺りに処刑場だったからで「粟田口処刑場跡」の案内看板を見つけました。

看板によると難所だった日ノ岡峠も交通の要所だったため幾度も掘り下げられ、掘り返した土を麓に敷き、また新たな道に付け替えし

今のなだらかな峠になったと書かれてありました。

さらにこの処刑場では磔(はりつけ)、獄門、火刑が行われていたと書かれてありました。

供養塔の数から処刑された人の数は15,000人ともいわれてるそうです。

ここを訪れた人のブログには"山崎の合戦に敗れ逃走中に農民に殺された明智光秀の首も粟田口刑場に晒された"ともありました。

 

 

 

 

明治になって急坂自体をなだらかにする工事が京都府により行われたそうで、それを記す「修路碑」がひっそりとありました。

建立は明治10年。

 

 

ちなみに上記看板は漢字ばかりでなんて書いてあったか分からなかったのですがネットで調べると大意は次のように書かれてありました。

日岡峠修路碑 碑文の大意

「京都三条大橋から近江国との界に至る東海道は険しい坂道が続き,中でも日岡峠はその最たるものであった。

しかし京都大津間の車馬や旅行者はこの峠を通るほかはなく,人々は難路に苦しんでいた。

よって改修工事を明治8年に起し、ここに完成したのである。

1里19町51間(約6km)のあいだ,高低が平均するようにし,最高地点では1丈1尺(3m強)も低くした。

この工事により通行する者が苦難を免れることができることを期待する。」

 

かつて難所と言われた日ノ岡峠を私たちが苦も無く登って来れたのは、先人たちの長い年月をかけた街道整備への努力の賜物だっというわけでした。

 

 

刑場跡から少し進むと歩道が少し広がった所があって米俵を積んだ台車が置いてありました。

「九条山 車石広場」

 

 

 

 

"車石"と聞いて思いつくのが北海道の花咲にある奇岩の「根室車石」。

この"車石"は車輪のような球状な「(根室)車石」のことではなく道路に敷く岩の事でした。

険しい峠道で雨が降ると道がぬかるんで通行するのも困難だったため、"くぼみを付けた岩"を二列、道に敷き並べ、牛車の行き来を助けたそうです。

 

 

 

 

レールの逆バージョンのようなこの溝(轍:わだち)もその後の更なる掘り下げでなくなったため、ここに展示したとありました。

 

 

 

 

10分ほどお菓子を食べたりして少し休憩したあと、14時過ぎにまた歩き出しました。

ここからは三条通りを逸れた道が旧東海道でした。

 

 

 

旧東海道であったことを説明する看板がありました。

 

 

 

 

 

 

グーグルマップのストリートビューで見てみるとこの案内看板は見当たらず、撮影日が"8月2019年"となっていたので最近になって設置されたみたいです。

道に「旧東海道」がちゃんと表示されてあります。

 

 

 

案内看板の向かいには古い家があり、「150 years house」の看板がありました。

「栄花山荘」 古民家を改修したシェアハウス兼イベントスペースだそうです。

 

 

三条通りと違って道幅が非常に狭いです。

 

 

 

緩やかな下り坂が続く道。

峠を下った先に見えるのが山科区です。

旧東海道といっても新しい家も多く、あまり街道だった面影を感じませんでした。

 

 

 

 

 

峠を下ってきて山科区に入ると平野になって住宅が立ち並ぶ景色に一変します。

遊歩道のような道なりの公園があり、猫がいっぱいいました。

 

 

 

 

後で知ったことですが、この公園は旧京阪電鉄京津線だったところだそうです。

「陵ヶ岡みどりの径」と言う名の公園。

 

 

 

大した遊具もないですが、それでも娘はやっぱり一通り遊びたいみたいです。

 

 

 

公園を進むと大通りに出ました。元歩いて来た三条通りでした。

15時過ぎ。

小腹が空いたので休憩がてらコンビニに入りました。

娘はアイス。

 

 

 

 

私たちはコンビニコーヒーと豚まん。

そういえば潰瘍性大腸炎になってコーヒーも控えてきましたが最近は普通に飲むようになりました。

結構飲みますが今のところ順調(順腸)です。

セブンイレブンのコーヒー&豚まん美味し!!

 

 

 

 

コンビニから電車が通るのが見えました。JRの湖西線と琵琶湖線になります。大津から琵琶湖を右回りに回る線路と左回りにまわる線路に分かれます。

 

 

 

 

 

蹴上インクラインを出たのが13時半で今は15時15分。

三条大橋からは5.6キロで蹴上インクラインからは2.5キロの地点になり、ようやく半分来たくらいです。

 

長くなったので続きはまた書きます。

ではまた

 

 

 


歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その1 三条大橋から蹴上インクラインまで 

2021-02-14 03:55:33 | 歩き旅

少し前の話になりますが今年の正月休みに歩いた話を記念と記録のために書き残こすことにしました。よろしくお付き合いください。

 

 

 

前回歩いたのが昨年の11月の事。京都山崎駅を出発して西国街道を通るルートを自宅までの20キロを歩いて帰ってきました。

それからしばらくして正月休みに入り、とら母(嫁)とまた歩こうかという話になりました。

で、コースをどこにするかになったわけですが、これを決めるのって意外と難しく、なかなかルートが見つかりません

まずは距離。

前回実際に歩いたのが22キロで、さすがに20キロ超えは長すぎました。なので今回は欲張らず15キロくらいにすることにしました。

 

次にコースですが、自宅をゴールにしてしまうとルートがどうしても限られ、知った道ばかりになって面白みに欠ける気がしました。

じゃあということで、家に帰ってくるのではなく何処かの駅から何処かの駅までにして、全然知らない土地を歩けるようにしました。

 

 

 

歩き始めの駅については、そこまで行くのに時間が掛かりすぎると歩く時間が減るので、できるだけ効率よく行けれる所ということで、

必然的に東海道線(京都線)になりました。

 

地図と路線図を眺めながら乗り継ぎが少なくて、行ったことがないところ・・・何となく滋賀あたりがいいように思えました。

そのことをとら母に伝えたところ前回の西国街道つながりで「中山道は?」と言ってきました。なにやら草津は中山道だけでなく東海道もあるとのことでした。

 

 

 

中山道に東海道。

どっちもいいけど、どっちの方がいい?

街道のどの部分を歩く?

色んなルートを考えましたが最終的に東海道を端から順番に歩くことにしました。

ということで歩き旅の第三弾は京都三条から大津までの10キロコースを歩くことにしました。

 

 

 

 

1月5日

10時過ぎに家を出発。

阪急電車に乗って11時過ぎに終点河原町に到着。

 

 

 

 

鴨川に架かる四条大橋まではほんの少し。

向こう側に見える橋が三条大橋です。

 

 

 

 

夏になると川沿いのお店が川の上まで店を広げる"納涼床"が有名なところ。

 

 

 

娘はまだ8才。

ハトや雀がいるだけでうれしそうにします。

 

 

 

夜になるとアベックがメジャーで測ったくらい等間隔で座る光景が見れたり、風情ある風景が楽しめるこの川べりも、平安時代から江戸時代までは処刑場。

さらし首の場所だったそうです。

娘に処刑場やさらし首の話をしても意味が理解できず、ネットでさらし首を検索してようやく理解してくれました。

 

 

 

 

江戸を出発して伊勢参りをして京都・大阪まで旅する滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公の弥次さん喜多さんの銅像。

 

 

 

お昼だったので少し腹ごしらえ。

途中何かお店があったら入ろうということでコンビニでおにぎりを買って弥次喜多の像の横で頂きました。

"いくら娘"は毎度のいくら入りのおにぎり。

 

 

 

三条大橋の擬宝珠(ぎぼし:橋の欄干の柱の上の飾り)に刀傷があると看板に書いてあったので探してみました。

池田屋騒動の時に付いた新選組の刀傷だそうです。(中央あたりの黒くなった所)

こんな"歩き"でもしない限り知らなかったことだと思います。きっといろんなところで見過ごしていることがあるんだと思います。

 

 

 

東海道は江戸日本橋を起点にしているので"逆打ち"になるのでしょうか。

12時11分 三条大橋からスタートします。

 

 

 

三条通りの白川橋。

気付かなかったのですがこの橋の袂に「史跡三条白川橋道標」という京都市内の現存最古の道しるべがあったそうです。

 

 

 

この白川をも少し進むとよくドラマの撮影が行われるスポットがあるそうです。

有名な欄干の無い石作りの細い橋「白川一本橋」もその橋の向こう側にあります。

 

 

 

坂本龍馬   妻お龍「結婚式場」跡。

この建物で結婚式を挙げたかのかと思ったのですが、実際は建物は無関係で碑があるだけ。

歴史好きでもなく、にわかウォーカーな私なので碑だけしか残ってないと寂しく思ってしまいました。

余談ですが現建物の前は東山ユースホステルだったそうです。

ユースホステルっていまではあまり聞かないですが自分が子供のころは旅人が泊まる宿と言えばユースでした。

格安で夕食後にミーティングがあってみんなが集って話をしたりゲームをしたり。それが旅の楽しみの一つだった時代でした。

 

ちなみに坂本龍馬とお龍は日本で初めて新婚旅行をした夫婦だそうです。

 

 

 

娘がトイレに行きたいというのでグーグルマップで公園を検索。

コロナの影響でこの界隈のコンビニではトイレの利用ができない状況でした。

東海道を逸れてトイレの公園を目指すと大きな鳥居がありました。

平安神宮の鳥居でした。

 

 

 

鳥居の近くにあった「岡崎公園」。

公園と聞いてはしゃぐ娘。

市電の中は観光・情報発信スポットということでしたがコロナの影響でか閉まってました。

 

 

 

公園と言ってもブランコと小さな子供が乗る遊具が少しあるくらい。

 

 

 

 

それでも一通り遊ばないと気が済まないみたいです。

 

 

 

公園の脇にあった街燈はガス燈?

 

 

 

 

公園を後にし再び東海道に戻って東に進みます。

13時過ぎ。

寄り道してここで約2キロ。

ときおり古い家があって見ていて飽きないです。

 

 

 

 

古いレンガ造りの建物は「関西電力 蹴上発電所」。

関西地方で流れる関電のテレビCMで、佐々木蔵之介さんの"パワーウィズハート"でおなじみらしいですが、日記を書くのに調べるまで知りませんでした。

日本最初の水力発電所らしいです。

 

 

 

 

発電所を過ぎてすぐのところで突然、目の前に軌道跡のようなものが目に留まりました。

 

 

 

 

坂道になっていてよく見えなかったので、進行方向とは違いましたがちょっと進んでみたら線路がありました。

 

 

 

 

線路の幅が異様に広いです。「三十石船と蹴上インクライン」と書かれた看板があったのですが"インクライン"の意味が分からず理解不能。

 

 

 

 

 

"インクライン"(傾斜鉄道)は産業用のケーブルカーということらしいです。(ケーブルカーは旅客営業用の名称だそうです)

昔、京都にとって琵琶湖の水を引くことは夢だったそうで、水路を作って大津から湖水を引いたのが「琵琶湖疏水」(明治23年)。

その疏水を物資の運搬(水運)として利用するのにここは急斜面で船では行き来ができなかったので、船ごと台車にのせて往来させたのが

「蹴上インクライン」ということでした。(明治24年運航開始)

 

 

 

 

スマホでこのQRコードを読み取るとインクラインの風景をVR体験できますので、興味がある人は見てみてください。

(追記 こちらからPCで直接見れるみたいです https://www.biwakososui-vr.com/3dcgvr/jp/vr/incline.html

 

 

 

京都上下水道局のHPから引用した水路の断面図。

この地(図中左端)が急斜面(1/15 高低差約36メートル)なのが分かるかと思います。

京都上下水道局 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/index.html

京都上下水道局 琵琶湖疏水のご紹介 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007153.html

疏水について参考資料 疏水百選一覧 http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/pdf/sosui/sosui_hyakusen.pdf

 

 

 

"インクライン運転の仕組み"看板から

台車を巻き上げる電動機の出力は35馬力だそうです。興味のある人はじっくり読んでください。

 

 

 

 

頂上付近

あっちが琵琶湖側になります。

 

 

歩いているときは"何のこっちゃ"な感じで理解できなくて、こうやって日記を書いてようやく蹴上インクラインのことが分かりました。

 

 

 

13時30分

出発して1時間半でまだ3キロ。全行程の1/3。

 

つづきはまた。

ではでは。


歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その3(茨木市~自宅)最終章

2020-12-30 01:43:13 | 歩き旅

28日、29日が在宅勤務で明日からようやく正月休み。

今年は暦の関係でか年末ぎりぎりまで仕事に思えてしまいます。

歩き旅の続きを書きあげたいと思います。もう少しお付き合いください。

 

「歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その2」の続ききなります。

 

時刻は6時20分。陽はどっぷりと暮れてしまいました。

安威川に架かる千歳橋。

阪急茨木駅までもう少し。

 

「端っこ歩いたらアカン!!」 

子供って不思議と地面の模様や色を選んで歩きます。歩道の端っこを歩く娘を見てハラハラしてつい声をあげてしまいます。

 

 

 

 

6時40分。阪急茨木駅を通過

 

 

 

山崎駅を出て約15キロ。

晩御飯をどこで食べようか、何を食べようかなんて話しながら歩いてました。

 

 

地面の色を選んで歩く娘。

一番のムードメーカー。よく頑張ってくれてると思います。

 

 

 

 

なかなか気の利いた食べ物屋さんを知らないので結局、国道171号線を歩いているときに見かけた「王将の看板」に誘発されて

王将で食べることにし、阪急電車から逸れ少し北に進みました。

 

見慣れた風景。

この先にはお気に入りの公園があるので、喜ぶ顔が見たくて黙って歩いて行きました。

立命館大学横の「岩倉公園」。

公園巡りと称して探して見つけ、その後よくヴェクスターに乗せて遊びに来ました。

 

 

 

幼稚園の頃、よく来ました。

そのころ、届かなかった遊具。

小学生くらいの女の子がこれで遊んでいるのを見て「お姉ちゃんだなあ」と思って自分の娘の幼さを実感していたのですが、今では娘がその年頃。

そう思うと、微妙な気持ちになります。

 

 

 

一緒にいる以上、楽しませてあげたいと思うわけですが、どうしてやるのが一番なのか。迷うことの多い父親でございます。

 

 

 

頭上を横切る高架はJRの貨物線。

ひときは高いところを走っていて結構あちこちで見かけるものの、地図でも細い線でしかか描かれてなくてなじみのない路線です。

JR京都線と並行して走っていて、茨木市を大きく弧を描きながら摂津市の新幹線鳥飼基地の隣にあるJR貨物 大阪貨物ターミナル駅まで続いています。

実際にここを貨物列車が走っているのを見たことがありません。

 

 

茨木市にも王将はありましたが、食べてからまた歩くとおもうと足が重くなるので、少し遠回りして地元の王将まで足を運びました。

 

 

 

8時半前、ようやく夕食にありつけました。

 

 

 

 

ラーメンだけなら専門店の方がおいしいですが、看板の6ケで220円の大きな餃子はやっぱりおいしいです。

疲れた体に王将のボリュームある料理は、たまりません。

 

 

10時前、無事家にたどり着きました。

娘はケロッとしていて、とら母は普通。一番体に来ていたのは私でした。

 

歩いた総距離21.69キロ 時間:9時間39分(一時停止43分) 歩数:33463歩   アプリ:アディダスランニング

 

 

長い話にお付き合いくださりありがとうございました。

今回は帰ってくることを考えて、どこかの駅から自宅までというルートで歩きましたが、それだとルートが限られるため次は、

どこかの駅からどこかの駅といった感じにして全く知らない土地を歩いてみようかと思います。

 

ではまた

 


歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その2(高槻市~茨木市)

2020-12-28 03:05:07 | 歩き旅

歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その1 の続きになります。

 

JR山崎駅から4キロほど来た線路沿いの道。

 

 

 

 

 

住宅地から離れた線路沿いの道。

フェンスに絡まった茎にポツリポツリとかわいらしく咲く赤い花。

 

 

 

 

「レンズ」というアプリ。カメラで撮影すると勝手に検索してくれます。

「便利になったなあ」なんて話しながら散策。

 

 

 

公園を発見。

 

 

 

何かを読むとら母(嫁)。

空を見上げる娘。何を見ていたんだろうか・・・・。

 

 

 

街道沿いとあってか寺や神社があちこちにあります。

 

 

 

 

のどかな景色と不釣りな高い高架道は名神・新名神高速道へ通ずる高槻ジャンクションへの道。

 

 

 

「冒険してみよう」って話しながら少し高いところを歩いてみたりしました。

冒険とよべるものではありませんが女の子が一人で行けないところを一緒に歩いてみたり。

単調に歩くよりも楽しかったりするんじゃないかと、いろいろ考えながらお父さんは歩きました。

 

 

 

コンビニで少し休憩。

娘は駄菓子。私たちはあんまんに肉まん。うまし!!

西国街道は江戸時代に栄えた街道らしく、昔の人もこうやって茶店で一休みしたのかもしれません。

 

 

 

JR高槻駅前。

道を挟んで見えるのは高槻病院。

娘が生まれたとき気胸と分かり、運び込まれたのがこの病院でした。

生まれてくる娘を迎えに行くためにと、この日のために初めてトヨタのディーラーで新車で買ったプリウスα。

でも、娘が初めて乗った車は救急車でした。

当時の日記がコチラになります。

 

「おぎゃー」と勢い良く泣きすぎたからでしょうか。

クラスで一番大きな娘。生まれたときは大きめでしたが、それでも赤ん坊なのでちっちゃいかったです。

新生児集中治療室(NICU)での治療、そして退院し家に迎い入れた時のこと。寅次郎(犬)が元気だったこと。その時の日記を読むと思い出します。

 

 

 

私たちはなかなか子宝に恵まれませんでした。

不妊治療の病院もここ高槻でした。

とら母(嫁)が病院で診てもらっている間、私と寅次郎が時間をつぶした神社がこの坂を上ったところにありました。

寅次郎は吠えたことがありませんでした。いつも無口で私のそばにいてくれて、私を支えてくれました。

何もねだらない良い犬でした。

 

 

 

芥川商店街

地元の商店街は寂れてしまいましたが、ここの商店街はまだ少し活気がありました。

 

 

 

 

商店街を抜けるとまた古い街道っぽい雰囲気になりました。

 

 

 

 

時刻は4時半をまわり、日が傾き始めてきました。

 

 

 

JR山崎駅を出発しておおよそ10キロ。

駄菓子屋があったので入ってみました。

お店の中には何脚かイスが置いてあって子供たちがおしゃべりできるようになっていましたが、それもコロナの影響でできないとお店の人が嘆いていました。

 

 

 

国道171号線。

通称"イナイチ"。京都の東寺から神戸まで通ずる主要国道です。

 

 

 

公園を見つけて走っていく娘。

 

 

 

「公園って好き?」

そう聞くと「うん」と返ってきます。

でもやっぱり友達がいない公園は寂しそうに見えてしまいます。

 

 

 

 

国道171号線沿いにある明治の工場。

チョコっと見えている茶色の看板の裏側が電車から見える巨大板チョコの看板になります。

 

 

 

 

チョコの製造工程が見学できる「明治なるほどファクトリー大阪」

ここもコロナで一般の見学は休止中みたいです。

 

 

 

 

JR山崎駅を出発しておおよそ13キロ。

時刻は5時半を回ってしまいました。

右手に見えるのは阪急電車。

 

 

 

すっかり日も暮れて少し疲労感が漂ってきました。

団地横の小さな公園に少し立ち寄ることにしました。

「富田町二丁目さざんか児童遊園」

 

 

 

 

阪急総持寺駅。

そろそろ打ち切って乗って帰ったほうがいいのなんて軟弱なことを考えたのは私だけだと思います。

娘は単調なのに少し飽きたくらいで元気。とら母は意外と普通。腰痛がこたえて一番イケてないのは私でした。

 

 

 

JR山崎駅を出発しておおよそ14キロ。

地元の駅まであと3駅。少し家に近づいた気がしました。

 

 

少し長くなったのでまた続きを書きます。

ではまた