みなさまへ
ブログやFacebookに励ましのコメントを頂きありがとうございました.
赤ん坊は28日に緊急入院した高槻病院を退院し,とら母(嫁)が入院している産婦人科に転院し
本日8/31,とら母と赤ん坊共々我が家に帰ってきました.
NICUの待合室でみなさまの温かいコメントを読み,涙があふれてきました.
何度も何度も読み返しました.
勇気を頂いた気がしました.
高槻病院のNICU,GCUの医師,看護師のみなさま,昼夜を問わず手厚い治療・看護をして頂き,
ありがとうございました.
=====================================
少し落ち着いたのでこの一週間のことを書きたいと思います.
8月22日
手術室の前でオギャーと出てくるのを,ただただ楽しみにしていました.
後々ちゃんとビデオ編集できるようにと,何度も手術室の前でビデオカメラを回していました.
泣き声が聞こえたときは本当に嬉しかったです.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d0/67aed3eb8678627b6fe8e312425930a9.jpg)
初めて抱いた我が子はちっちゃくて赤っぽい,だから赤ん坊って言うんだと変に納得しました.
そのときは何も知らず,抱っこしている写真を何枚も撮ってもらっていた私.その間も徐々に
赤ん坊は苦しかったんだと後から気付きました.
「少し呼吸が落ち着かないですね.帝王切開のお子さんでは肺にある羊水が上手く抜けないから,
よくあることですよ.」そう看護師さんが話してくれた.
やがて新生児室に移動式のレントゲン装置が運び込まれカーテンも閉ざされました.
あわただしい動きを見て普通の診察ではないことは素人の私でもすぐに分かりました.
小児科の医師からこう聞かされました.
「右肺が膨らんでおらず穴が開いている可能性があります.それと少し破水していたようなので
感染症も心配です.
うちで診るよりもちゃんとした病院で診てもらう方がいいと思います.
今は赤ちゃんに頑張ってもらって,後で普通に退院出来た方がいいですからね」
何でもいいので安心材料が欲しかったので,「治るんですか?」と聞いてみても返ってくる言葉は.
「調べて見ないと何とも言えないです」
分かってはいるものの,そうドライに言われると不安は増すばかりでした.
「ちゃんとした病院で・・・」,この言葉はずっしり重かったです.
しばらくして救急車のサイレンが聞こえ,2人の医師が病室に入ってきました.
「赤ちゃんをお預かりします.1~2時間したら病院にいらしていただければある程度検査の
結果がでていると思われますので,それを見て説明します」
不安でいっぱいでも,ただ言われるままにするしかなく,あの嬉しさはなんだったんだろうと
妙に冷静になっていました.
いや冷静では無く放心状態だったのかもしれません.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/59/ac8ee426eca1bd656e2b161b9757dc47.jpg)
だめかもしれない,そんなことも考えました.
治ってくれるかもしれないけど,そうでなかったときのためにちょっとでも多くの思い出を残そうと
写真を撮りました.
21床ほどある高槻病院のNICU.
満床のNICUで看護師さん達は休む間もなく保育器の中の赤ん坊を診てくれてました.
医療の質の高さは私にも分かるほどでした.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/46/d0e04abfe56e8bc29f723b585357d3ed.jpg)
「酸素濃度35%」
私は半導体製造のエンジニアをしています.
職業柄,装置やガスを扱うため通常の酸素濃度が21%であること,ディスプレイが何を
表示しているのかを知ることはさほど難しくありませんでした.
数値の基準を看護師さんに尋ねた.
「96」が身体の中の酸素の量(酸素飽和度)で90以上が必要で普通は100.
「75」は呼吸数で普通は30から50回/分,なので今は駆け足したときのように呼吸が早い状態ですね.
そう教えてくれました.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/10/107ace7ac40bf1ebab8b45d8d68e7735.jpg)
医師から説明がありました.
「やはり肺に穴が開いているようです.先ず今の酸素濃度で身体の中の酸素濃度を維持
できているかどうか.
それが可能ならば徐々に下げていったときに酸素濃度が下がらないかを確認していきます.」
自然治癒するか,さもなければ外科的手術になるか・・・.
赤ん坊を見る回数と同じだけモニターを見ていました.
=====================================
8月23日 2日目 NICU
『たくさん身体に触れてあげて,たくさん写真を写そう・・・・
自分の手の平くらいしか無い背中.小さくてかわいいなあ.』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b6/66f3168ad27a87009b73340fb7bafc56.jpg)
酸素濃度が27%に変更されているのに気付く.
医師に聞くまでも無くそれが良い方向であることが分かる.少し気持ちが楽になった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2d/11c53b45cc761050666d45bb57755368.jpg)
スヤスヤ眠る赤ん坊.小さな身体にチューブや点滴がつながれ頑張っている.
お母さんのお腹の中にいるような気持ちになるようにと,看護師さんが身体を包み込むように
クッションを置いてくれていた.
この日,初めてウンチをした.
羊水を凝縮したウンチはみな海苔の佃煮のようだと教えてくれました.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/2b/a7d0de94045eef03d5080a1ef12d4600.jpg)
とら母の病院に戻る.
出産の時に一瞬しか赤ん坊を見ていないとら母に赤ん坊の映像を見せてあげた.
こんな形でビデオカメラに内臓されたプロジェクターが活かされるとは思っても見なかった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/96/51eeb56a1fc6df29a253d960998ef7ef.jpg)
出産直後の母親はマタニティブルーに陥ると言われている.
とら母もまた,天井に映し出された我が子を見ても言葉少なく,どことなくボーとしていた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/bc/54171aba82dd79a0fcbb3f3e080b821f.jpg)
====================================
8月24日 3日目 NICU
とら母に外出許可が下りたので一緒に高槻病院に向かう.
出産の時に少ししか見れなかった我が子を見つめるとら母,
やっぱりどことなくボーとしている.
それでも我が子に触れて,ポツリポツリと語りかける.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/53/de48b96a42098d783aa309d2fe4f0e48.jpg)
保育器の台から酸素モニターが無くなっていた.
うれしかった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/24/f4b27948c2732ddf86126a0d72fddebe.jpg)
思いの外,経過判断のスピードは早く昼前には保育器から出られ,「コット」と呼ばれる
キャリーベッドに移してもらえた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a4/581cb6f103b0a8ce2cd0e51d33fba209.jpg)
それでもモニターの酸素飽和度が気になる.
時折センサー誤検知してアラームがなるとドキッとする.
初めて抱っこが出来た.うれしかった.
普通に出産すれば授乳のときに普通に出来る光景.普通というのがいかに大切なものかが
思い知らされる.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/da/75bef448d7f0ee70e0530fdd5a16135d.jpg)
高槻病院では免疫物質が含まれる母乳を非常に重要視している.
生死に直面する機会が多いためか,一滴でもいいから持ってきてくださいと何度もお願いされた.
とら母の病院に戻り母乳を採取しようとするが全くでない.
痛いのを我慢して搾乳できたのは0.5ccほどだった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f5/2c05aaa4858c934144f99f6b902fff27.jpg)
母乳を持ってもう一度高槻病院に戻る.
母乳が赤ん坊を救える魔法の薬のように思えた.
看護師さんが綿棒にしみ込ませた母乳を赤ん坊の口に入れる.
初めて味わう母乳に最初不味そうな顔をしていたが,やがてその顔もほころんでいった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/8e/42642305a34c11f93145e2ce390b2955.jpg)
=====================================
8月25日 4日目 NICUからGCUへ
外出許可をもらい,とら母も一緒に高槻病院にきた.
この日,NICU(新生児集中治療室)を出てGCU(成長回復期室)に移された.
GCUは緊急性・急性期を脱して退院に向けた赤ん坊がケアを受けるところ.
NICUには週数が足りない未熟児などがいて,本来まだお母さんのお腹にいるはずなので照明も
薄暗くしてが,GCUはお陽さんの光も差し込み,安堵な気持ちにさせてくれる.
とら母,初めてのおむつ交換.
ちゃっかり指にウンチを付けてた.(へたっぴ!!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/53/8eccc0923ba5ca609aff6a4fe8359b89.jpg)
呼吸も安定してきたため直接口から授乳の許可が出た.
とら母,初めての母乳.
・・・でも,出なかった.
栄養チューブから人工乳が与えられる.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/95/7de7fe895a9ae9dbb2d7273313f561ed.jpg)
小さな手でぎゅっと握られる.
何とも言えない気持ちにさせてくれる.
頑張れ俺の子!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/44/ad0af6524594b4afa0b580e6f5260eda.jpg)
初めて授乳させてもらった.
小さな口で力強く吸っている.
あまりに夢中になって飲むと呼吸を忘れてしまうため,何度も休憩しながら飲ませてあげた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b5/095c90836a304b42dde8464eb04de034.jpg)
=====================================
8月26日 5日目 GCU
ミルクをよく欲しがるので量を増やしたと教えてくれた.
胃袋にミルクが残っていないかをシリンジで吸い出して確認する.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6c/e4e54374088e9669620af92f5d66ea67.jpg)
お腹が空いたとよく泣くと教えてくれた.
食欲旺盛だけど,消化の方が追いついていないと言っていた.
食い気はとら母譲り.
「宇宙の胃袋」を持つとら母のDNAは子に受け継がれてしまったようだ.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/81/e03b9c21a0cd1027628335a164fd9c78.jpg)
ミルク飲んだら寝る.
とら母もちょっと疲れているようだった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/6b/e5bbc5b583134c8838b00ed3623c3a6b.jpg)
=====================================
8月27日 6日目 GCU
この日,栄養チューブが外されていた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/8a/a66552b80809f5fe8020fd5604a7d9c7.jpg)
モニターも小型のものに変わっていた.
少しずつ,でも確実に回復していってくれている.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ee/5ad9d50a1fe1f066f3319e942d1e7ff7.jpg)
寝てても口寂しいのはとら母譲り.
それもまた幸せな事だと思う.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/58/87e0a28172036c98f0212e12b77b1c5b.jpg)
がんばって絞り出したとら母の母乳を持って夜中にもう一度病院に向かった.
何ヶ月ぶりかに乗ったバンディット1250S,ちょっと気持ちがよかった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c5/9b10ae41984bfc4ec39b24a6dafc4415.jpg)
=====================================
8月28日 7日目 GCU退院
この日,体に付けていたモニターが全て外されていた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b6/f49327b9adbbeb727a785fdf02746790.jpg)
小さな体で,
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/12/9fca180795da0bf39499bfe1e3552489.jpg)
よく頑張った.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/41/945b1335bc8f28a6aa78541bdd5d8351.jpg)
「NICU」,「GCU」
医術をおこないつつ,母胎の代わりを務め,母でもある.
同室にはもっと重篤な新生児がたくさん入院されていた.
1000グラムに満たない未熟児は何ヶ月もの間,保育器の中で母胎の環境を維持して成長を助ける.
とりわけ看護師は皆,いつもどこかの保育器の前に立ち,小さな命を守っている.
突然モニターのアラームが鳴る.
涙する母親にそっと寄り添い優しく声を掛け,勇気付けてくれる.
この人達がいなければ,小さな命とそれを見守る親の心はがんばっていけない.
高槻病院NICU,GCUのみなさま,ありがとうございました.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/c0/0373f6cdf4f57b8c1d4c83888f91dca8.jpg)
=====================================
8月30日 9日目 産婦人科
がんばったとら母.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/74/d6389169b1573eef53d729dbd587f633.jpg)
がんばった俺の子.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f0/9bef37e85deb5deeec4cd22acaff965e.jpg)
=====================================
8月31日 10日目 自宅へ
本日,無事母子共々自宅へ帰ることが出来ました.
寅次郎は新入りにちょっと興奮気味です.
いたずらしそうでちょっと怖い.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ee/aa40b5e361d398815a05c08fa2d18f21.jpg)
ブログを見てくださっているみなさまへ.
おかげさまで何とか赤ん坊は回復してくれました.
凹みそうになったとき,勇気づけられたのは皆さんの温かいコメントやメールでした.
これで全てが終わったわけではないと思っています.
不安はありますが今はすぐそばで泣いたり独り言をいう我が子のいる幸せを噛みしめて行きたいと
思います.
元々我が家は両親と私たち,それと姉と甥,姪の7人+1匹で暮らしてきました.
親父が亡くなり,そして母が亡くなり家族が減る寂しさが続いていたので,久しぶりに
増える家族はやっぱり良いものだと思いました.
同級生には成人した子供を持つ友人もいます.
ちょっとおそくて周回遅れのような子育てですが,とら母と寅次郎とまだ名前が決まっていない
我が子でがんばっていきたいと思います.
これからも宜しくお願いいたします.
長々とした文章になり,すみませんでした.
OKUTEC店長
ブログやFacebookに励ましのコメントを頂きありがとうございました.
赤ん坊は28日に緊急入院した高槻病院を退院し,とら母(嫁)が入院している産婦人科に転院し
本日8/31,とら母と赤ん坊共々我が家に帰ってきました.
NICUの待合室でみなさまの温かいコメントを読み,涙があふれてきました.
何度も何度も読み返しました.
勇気を頂いた気がしました.
高槻病院のNICU,GCUの医師,看護師のみなさま,昼夜を問わず手厚い治療・看護をして頂き,
ありがとうございました.
=====================================
少し落ち着いたのでこの一週間のことを書きたいと思います.
8月22日
手術室の前でオギャーと出てくるのを,ただただ楽しみにしていました.
後々ちゃんとビデオ編集できるようにと,何度も手術室の前でビデオカメラを回していました.
泣き声が聞こえたときは本当に嬉しかったです.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d0/67aed3eb8678627b6fe8e312425930a9.jpg)
初めて抱いた我が子はちっちゃくて赤っぽい,だから赤ん坊って言うんだと変に納得しました.
そのときは何も知らず,抱っこしている写真を何枚も撮ってもらっていた私.その間も徐々に
赤ん坊は苦しかったんだと後から気付きました.
「少し呼吸が落ち着かないですね.帝王切開のお子さんでは肺にある羊水が上手く抜けないから,
よくあることですよ.」そう看護師さんが話してくれた.
やがて新生児室に移動式のレントゲン装置が運び込まれカーテンも閉ざされました.
あわただしい動きを見て普通の診察ではないことは素人の私でもすぐに分かりました.
小児科の医師からこう聞かされました.
「右肺が膨らんでおらず穴が開いている可能性があります.それと少し破水していたようなので
感染症も心配です.
うちで診るよりもちゃんとした病院で診てもらう方がいいと思います.
今は赤ちゃんに頑張ってもらって,後で普通に退院出来た方がいいですからね」
何でもいいので安心材料が欲しかったので,「治るんですか?」と聞いてみても返ってくる言葉は.
「調べて見ないと何とも言えないです」
分かってはいるものの,そうドライに言われると不安は増すばかりでした.
「ちゃんとした病院で・・・」,この言葉はずっしり重かったです.
しばらくして救急車のサイレンが聞こえ,2人の医師が病室に入ってきました.
「赤ちゃんをお預かりします.1~2時間したら病院にいらしていただければある程度検査の
結果がでていると思われますので,それを見て説明します」
不安でいっぱいでも,ただ言われるままにするしかなく,あの嬉しさはなんだったんだろうと
妙に冷静になっていました.
いや冷静では無く放心状態だったのかもしれません.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/59/ac8ee426eca1bd656e2b161b9757dc47.jpg)
だめかもしれない,そんなことも考えました.
治ってくれるかもしれないけど,そうでなかったときのためにちょっとでも多くの思い出を残そうと
写真を撮りました.
21床ほどある高槻病院のNICU.
満床のNICUで看護師さん達は休む間もなく保育器の中の赤ん坊を診てくれてました.
医療の質の高さは私にも分かるほどでした.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/46/d0e04abfe56e8bc29f723b585357d3ed.jpg)
「酸素濃度35%」
私は半導体製造のエンジニアをしています.
職業柄,装置やガスを扱うため通常の酸素濃度が21%であること,ディスプレイが何を
表示しているのかを知ることはさほど難しくありませんでした.
数値の基準を看護師さんに尋ねた.
「96」が身体の中の酸素の量(酸素飽和度)で90以上が必要で普通は100.
「75」は呼吸数で普通は30から50回/分,なので今は駆け足したときのように呼吸が早い状態ですね.
そう教えてくれました.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/10/107ace7ac40bf1ebab8b45d8d68e7735.jpg)
医師から説明がありました.
「やはり肺に穴が開いているようです.先ず今の酸素濃度で身体の中の酸素濃度を維持
できているかどうか.
それが可能ならば徐々に下げていったときに酸素濃度が下がらないかを確認していきます.」
自然治癒するか,さもなければ外科的手術になるか・・・.
赤ん坊を見る回数と同じだけモニターを見ていました.
=====================================
8月23日 2日目 NICU
『たくさん身体に触れてあげて,たくさん写真を写そう・・・・
自分の手の平くらいしか無い背中.小さくてかわいいなあ.』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/b6/66f3168ad27a87009b73340fb7bafc56.jpg)
酸素濃度が27%に変更されているのに気付く.
医師に聞くまでも無くそれが良い方向であることが分かる.少し気持ちが楽になった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2d/11c53b45cc761050666d45bb57755368.jpg)
スヤスヤ眠る赤ん坊.小さな身体にチューブや点滴がつながれ頑張っている.
お母さんのお腹の中にいるような気持ちになるようにと,看護師さんが身体を包み込むように
クッションを置いてくれていた.
この日,初めてウンチをした.
羊水を凝縮したウンチはみな海苔の佃煮のようだと教えてくれました.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/2b/a7d0de94045eef03d5080a1ef12d4600.jpg)
とら母の病院に戻る.
出産の時に一瞬しか赤ん坊を見ていないとら母に赤ん坊の映像を見せてあげた.
こんな形でビデオカメラに内臓されたプロジェクターが活かされるとは思っても見なかった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/96/51eeb56a1fc6df29a253d960998ef7ef.jpg)
出産直後の母親はマタニティブルーに陥ると言われている.
とら母もまた,天井に映し出された我が子を見ても言葉少なく,どことなくボーとしていた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/bc/54171aba82dd79a0fcbb3f3e080b821f.jpg)
====================================
8月24日 3日目 NICU
とら母に外出許可が下りたので一緒に高槻病院に向かう.
出産の時に少ししか見れなかった我が子を見つめるとら母,
やっぱりどことなくボーとしている.
それでも我が子に触れて,ポツリポツリと語りかける.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/53/de48b96a42098d783aa309d2fe4f0e48.jpg)
保育器の台から酸素モニターが無くなっていた.
うれしかった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/24/f4b27948c2732ddf86126a0d72fddebe.jpg)
思いの外,経過判断のスピードは早く昼前には保育器から出られ,「コット」と呼ばれる
キャリーベッドに移してもらえた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a4/581cb6f103b0a8ce2cd0e51d33fba209.jpg)
それでもモニターの酸素飽和度が気になる.
時折センサー誤検知してアラームがなるとドキッとする.
初めて抱っこが出来た.うれしかった.
普通に出産すれば授乳のときに普通に出来る光景.普通というのがいかに大切なものかが
思い知らされる.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/da/75bef448d7f0ee70e0530fdd5a16135d.jpg)
高槻病院では免疫物質が含まれる母乳を非常に重要視している.
生死に直面する機会が多いためか,一滴でもいいから持ってきてくださいと何度もお願いされた.
とら母の病院に戻り母乳を採取しようとするが全くでない.
痛いのを我慢して搾乳できたのは0.5ccほどだった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f5/2c05aaa4858c934144f99f6b902fff27.jpg)
母乳を持ってもう一度高槻病院に戻る.
母乳が赤ん坊を救える魔法の薬のように思えた.
看護師さんが綿棒にしみ込ませた母乳を赤ん坊の口に入れる.
初めて味わう母乳に最初不味そうな顔をしていたが,やがてその顔もほころんでいった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/8e/42642305a34c11f93145e2ce390b2955.jpg)
=====================================
8月25日 4日目 NICUからGCUへ
外出許可をもらい,とら母も一緒に高槻病院にきた.
この日,NICU(新生児集中治療室)を出てGCU(成長回復期室)に移された.
GCUは緊急性・急性期を脱して退院に向けた赤ん坊がケアを受けるところ.
NICUには週数が足りない未熟児などがいて,本来まだお母さんのお腹にいるはずなので照明も
薄暗くしてが,GCUはお陽さんの光も差し込み,安堵な気持ちにさせてくれる.
とら母,初めてのおむつ交換.
ちゃっかり指にウンチを付けてた.(へたっぴ!!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/53/8eccc0923ba5ca609aff6a4fe8359b89.jpg)
呼吸も安定してきたため直接口から授乳の許可が出た.
とら母,初めての母乳.
・・・でも,出なかった.
栄養チューブから人工乳が与えられる.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/95/7de7fe895a9ae9dbb2d7273313f561ed.jpg)
小さな手でぎゅっと握られる.
何とも言えない気持ちにさせてくれる.
頑張れ俺の子!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/44/ad0af6524594b4afa0b580e6f5260eda.jpg)
初めて授乳させてもらった.
小さな口で力強く吸っている.
あまりに夢中になって飲むと呼吸を忘れてしまうため,何度も休憩しながら飲ませてあげた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b5/095c90836a304b42dde8464eb04de034.jpg)
=====================================
8月26日 5日目 GCU
ミルクをよく欲しがるので量を増やしたと教えてくれた.
胃袋にミルクが残っていないかをシリンジで吸い出して確認する.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6c/e4e54374088e9669620af92f5d66ea67.jpg)
お腹が空いたとよく泣くと教えてくれた.
食欲旺盛だけど,消化の方が追いついていないと言っていた.
食い気はとら母譲り.
「宇宙の胃袋」を持つとら母のDNAは子に受け継がれてしまったようだ.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/81/e03b9c21a0cd1027628335a164fd9c78.jpg)
ミルク飲んだら寝る.
とら母もちょっと疲れているようだった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/6b/e5bbc5b583134c8838b00ed3623c3a6b.jpg)
=====================================
8月27日 6日目 GCU
この日,栄養チューブが外されていた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/8a/a66552b80809f5fe8020fd5604a7d9c7.jpg)
モニターも小型のものに変わっていた.
少しずつ,でも確実に回復していってくれている.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ee/5ad9d50a1fe1f066f3319e942d1e7ff7.jpg)
寝てても口寂しいのはとら母譲り.
それもまた幸せな事だと思う.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/58/87e0a28172036c98f0212e12b77b1c5b.jpg)
がんばって絞り出したとら母の母乳を持って夜中にもう一度病院に向かった.
何ヶ月ぶりかに乗ったバンディット1250S,ちょっと気持ちがよかった.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c5/9b10ae41984bfc4ec39b24a6dafc4415.jpg)
=====================================
8月28日 7日目 GCU退院
この日,体に付けていたモニターが全て外されていた.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/b6/f49327b9adbbeb727a785fdf02746790.jpg)
小さな体で,
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/12/9fca180795da0bf39499bfe1e3552489.jpg)
よく頑張った.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/41/945b1335bc8f28a6aa78541bdd5d8351.jpg)
「NICU」,「GCU」
医術をおこないつつ,母胎の代わりを務め,母でもある.
同室にはもっと重篤な新生児がたくさん入院されていた.
1000グラムに満たない未熟児は何ヶ月もの間,保育器の中で母胎の環境を維持して成長を助ける.
とりわけ看護師は皆,いつもどこかの保育器の前に立ち,小さな命を守っている.
突然モニターのアラームが鳴る.
涙する母親にそっと寄り添い優しく声を掛け,勇気付けてくれる.
この人達がいなければ,小さな命とそれを見守る親の心はがんばっていけない.
高槻病院NICU,GCUのみなさま,ありがとうございました.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/c0/0373f6cdf4f57b8c1d4c83888f91dca8.jpg)
=====================================
8月30日 9日目 産婦人科
がんばったとら母.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/74/d6389169b1573eef53d729dbd587f633.jpg)
がんばった俺の子.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f0/9bef37e85deb5deeec4cd22acaff965e.jpg)
=====================================
8月31日 10日目 自宅へ
本日,無事母子共々自宅へ帰ることが出来ました.
寅次郎は新入りにちょっと興奮気味です.
いたずらしそうでちょっと怖い.
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ee/aa40b5e361d398815a05c08fa2d18f21.jpg)
ブログを見てくださっているみなさまへ.
おかげさまで何とか赤ん坊は回復してくれました.
凹みそうになったとき,勇気づけられたのは皆さんの温かいコメントやメールでした.
これで全てが終わったわけではないと思っています.
不安はありますが今はすぐそばで泣いたり独り言をいう我が子のいる幸せを噛みしめて行きたいと
思います.
元々我が家は両親と私たち,それと姉と甥,姪の7人+1匹で暮らしてきました.
親父が亡くなり,そして母が亡くなり家族が減る寂しさが続いていたので,久しぶりに
増える家族はやっぱり良いものだと思いました.
同級生には成人した子供を持つ友人もいます.
ちょっとおそくて周回遅れのような子育てですが,とら母と寅次郎とまだ名前が決まっていない
我が子でがんばっていきたいと思います.
これからも宜しくお願いいたします.
長々とした文章になり,すみませんでした.
OKUTEC店長
名前決まったら教えてくださいね^^
退院おめでとうございます!!
okutecご家族様にとっては長く大変な一週間だったと思いますが、ご家族3人がそれぞれ同じ目的に向かって心をひとつにして頑張った感動の一週間でもあったんじゃないですか。。かけがえのない素敵な一週間。。
写真、かわいいですね。。
おもわず顔がにやけてしまう。。
なにか力になれることがあればなんなりと、、、。
また遊びましょう!!
おめでとうo(^▽^)o
さすが、宇宙の胃袋を持つ母から産まれただけあって、もう食欲旺盛なんだね!たくさん飲んで大きくなってね!
名前、素敵な名前をプレゼント出来ると良いね(*^o^*)楽しみだな~(((o(*゜▽゜*)o)))
不安や頑張りをふきとばす喜びや楽しさが待っていますよ~
次の工作ブログネタは「ベビーカー」ですか?
楽しみにしています
大変でしたね。
しかし、生まれて早々店長の家庭の中で存在を主張してますね
周回遅れ? 考え方でしょう?
人間"分"です。先に楽しけりゃ後が苦しい。先に苦しけりゃ後が楽しい...。結局一緒でしょう...、そう思いたいです。
これから、"俺の子"の成長に合わせた、
家族共通の時間を過ごせる幸せ。
羨ましいです。
偉そうなこと言ってすいません。
Life Goes On
無事でなにより。
さぁ、これからがたいへんです。
がんばってください。
遠くからそっと応援しときます。
0.5mlの初乳を飲む赤ちゃんの顔がめっちゃ可愛いと思います。
3600あっただけにとってもしっかりした赤ちゃんですね!!
大丈夫ですよ!!そのうち元気すぎてケガせんか心配ってくらいに育ちますよ!
トラ母さま乳搾りがんばって下さいね!
店長、掃除洗濯家事育児頑張ってね!
みんなよく頑張りましたね!
また落ち着いたら見に行かせてもらいます!
寅次郎君も待っていてくれたんだね。
赤ちゃん、お父さんとお母さんからの
初めてのプレゼント、楽しみに待ってると思いますよ♪
すてきな家族に囲まれた赤ちゃん、幸せだね。
オクテック家、これまで以上に楽しい毎日になりますね。
体調、気疲れ共に大変な一週間だったと思います。
でも、この大変さがあっという間に笑い話になってしまいますよ!
頑張ってくれたトラ母や姫ちゃんをゆっくり休ませてあげて下さい。
寅次郎もね!
大阪襲撃計画は、自分の中だけですが進行中です。
年内に会えると良いなと思っています。
店長も体調には充分気をつけて下さい。
オッサンはまだまだ働かなくちゃね~