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イッピンNHK 「伝説の古陶 よみがえる技~長崎 現川焼(うつつがわやき)~」

2023-11-22 08:35:38 | イッピンNHK

 第213回 2019年1月15日 「伝説の古陶 よみがえる技~長崎 現川焼(うつつがわやき)~」リサーチャー: 三倉茉奈

 番組内容
 かつて幻の器といわれた、長崎の現川焼。江戸時代のほんのわずかな期間だけ製作され、その後こつ然と姿を消したからだ。「刷毛目」と呼ばれる文様が特徴だが、どのようにしてこの文様をつけたのか、まったく謎だった。200年後、ついに技法が解明されたが、再興された現川焼を手がける職人は、現在わずかに2人。それぞれの工房を訪ね、独特の刷毛目をつける過程を紹介。その深い味わいに迫るリサーチャーは、三倉茉奈さん。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201901151930001301000 より

 

 <参考> 現川焼(うつつがわやき)

 元禄4(1691)年に、諫早藩(現在の長崎市)に彗星のように現れ、その類い稀な表現力と存在感で世の中をあっと言わせ、半世紀程でこの世から忽然と消失した「現川焼」(うつつがわやき)。

 諫早家「日新記」の記録によると、「現川焼」(うつつがわやき)は元禄4(1691)年に諫早家・田中刑部左衛門が開窯し、寛延元(1748)年までの60年間に渡って焼かれた窯です。

 鉄分の濃い粘土を素地に、刷毛目技法を駆使した大胆な器形と、呉須、鉄砂、白土を用いて一筆で、四季折々を描いた図柄が合致した姿は、「西の仁清(じんせい)」「刷毛目文様の極致」と賞賛されました。

 ところが藩の財政面を理由に、突如として「現川焼」は姿を消し、残された一握りの品は幻の銘陶となり後世への伝説となりました。

 「現川焼」に魅了された沢山の陶工達は、幻となった秘法の再現に挑戦してきましたが、約200年間は誰も再現を成功させることが出来ませんでした。

 明治時代に入り、「臥牛窯」(がぎゅうがま)の12代・横石臥牛がこの秘法の謎を解き明かし、現代にその陶器を蘇らせます。
 その後、13代の横石臥牛兄弟が再現を完全なものに仕上げました。
 そしてこの「現川焼」再興の技法をもって、「長崎県無形文化財」となりました。
 
 現在、再興された「現川焼」を手掛ける職人はわずかに2人です。
 佐世保市木原皿山にある「臥牛窯」と、長崎市現川町にある「土龍窯」です。
 
 
1.臥牛窯(がぎゅうがま)

 「臥牛窯」(がぎゅうがま)は、慶長7(1602)年に、三川内(皿山・木原・江永)のひとつ「木原皿山」に開窯し、
420年もの間、代々伝承を重ね伝統の技を受け継いで来きました。
 地元で採れる赤土を使い、古来より伝わる刷毛目文様を施した「陶器」と泉山に発見された磁石を使って作る「磁器」の相対する両極の技術を有する類稀なる窯元です。

 「臥牛窯」という名前は、窯元を訪れた松浦藩の初代藩主・松浦鎮信候が「臥した牛に見える窯の形状」から命名したものです。
 
 「臥牛窯」の12代目・横石臥牛が、試行錯誤の末、「現川焼」の「刷毛目」の技法を解き明かしました。

 番組には、14代目の横石臥牛さんが登場されました。
 14代目によると、軽くて薄い「現川焼」には、地元の赤土が欠かせないそうです。
 この赤土を3年間寝かせると、粘り気が強くなります。
 ただ、粘り気のある土の扱いは難しく、焼くと縮んでしまいます。
 普通は収縮率17%程ですが、「現川焼」の収縮率は23%。
 きめを細かくするためには、技術が必要なのだそうです。
 
 次は、「刷毛目」をつけます。
 「刷毛目」の最大のポイントはタイミング。
 一般的には、素焼きをした後に絵付けをしますが、「現川焼」は素焼きをする前の生地が生乾きの状態で「刷毛目」をつけます。
 
 14代目は、白化粧土を器に、ヤギやイタチなどの毛で出来た筆を打ち付けていきます。
 これを「打ち刷毛目」と言います。
 何度も打ち付けると、水分と白い成分の両方が粘土と混じり合い、白い成分の一部だけが表面に残ります。
 器が白くなった状態で焼けば、器は白くなるはずですが、実際には、白い刷毛目の線が一部にしか残りません。

 「刷毛目」の上に、白鷺の絵付けをしていきます。
 白い化粧土を塗り重ね、羽の一本まで丁寧に仕上げていきます。
 描いた器を素焼きし、更に釉薬に浸して、再び1250℃の窯で30時間程焼いてきます。
 
 臥牛窯 長崎県佐世保市木原町1897-1

 

 2.土龍窯(向井康博さん)
 
 現川町には、「現川焼」を制作するもう一つの窯元「土龍窯」(どりゅうがま)の向井康博さんは元々サラリーマンでしたが、「現川焼」に魅せられ修行を積み、30年前にこの地で製作を始めました。
 向井さんは、伝統を守り、現川の山で採れる鉄分の多い赤土で作陶。
 白化粧土を刷毛筆で彩り、現川焼の技法を再現しながら、独自の世界を模索し続けていらっしゃいます。
 
 向井さんは、江戸時代に作られた「現川焼」の破片を大事に持っていらっしゃいます。
 
 現川焼土龍窯 長崎県長崎市現川町2980

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Nagasaki/Ututugawayaki より


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