gooブログ始めました

写真付きで家族の出来事・旅行・認知症等

常石造船「進水式」と因島「万田発酵」見学の旅

2016-08-25 11:09:57 | 日記

昨日(8月24日) 阪急交通社が行う、常石造船「進水式」と因島「万田発酵」見学のツアーに参加しました。

今回は、我々のグループが、11人(男性5人・女性6人)でしたが、人気が有ったのか それとも夏休みのせいか参加者が多く バス2台(各1台に43人)での見学ツアーとなりました。

 

㋆9日~10日で行った「隠岐の島旅行」の時見てから 1ヶ月以上が経ったので広島駅の工事も随分と進んだように思われますね。

7時50分集合でしたが、皆さん早くから集合されたようで、8時出発が2分も早くなりました。

 今回の旅行に使用された「バス」で~す。(このバス初めてかな?)          7時58分出発

途中小谷サービスアリアで「トイレ休憩」しましたが本当に「トイレ使用」のみで・・・ 「阿伏兎観音」へ真っすぐ 滞在時間約30分

     磐台寺入口                        磐台寺客殿横に置かれた鉢に睡蓮が咲いていたよ

 先ずは身を清めて「観音堂」への階段を登ると・・・・

 

    海にせり出した岩の上に建つ「観音堂」                    堂内には「オッパイ」が・・・

「みろくの里」で早い昼食(何しろ今日のメイン進水式の時間に合わせての行動なので・・・) 滞在時間約80分

 みろくの里入り口を入って・・・

 今回 昼食が「クーポン券1,000円」で、自由だったので各自1,000円になるように注文して・・・私はチャーシユウ(800円)コーヒー(200円) 早い昼食11時頃には食べてました。

 今回は時間が余り無いので、「いつか来た道」ブースを見て回りました。

 レトロな雰囲気のある模擬店が並んで・・・映画の撮影セットにも使用されたりしています。

何方かが、私に「指輪」プレゼント(モチロン玩具)して下さいました。結構良い気分ですよ!  プールの上に現れたドームその上から水が・・・子供たち居るの解りますか楽しそうでしたよ。

「常石造船進水式」 滞在時間約60分位だったかな?

 暑い中を随分と待ちました。今日浸水する船は、5万7千トンの荷物を載せるとか、総工費約30億円 大きいな~!

 上の方では招待者らしき方々が、船の方を見ています          船の名前が現れました(覆っていた幕が巻かれて)

 ロープが切られて・・・紙吹雪が舞い・花火が上がって・・・船は滑るように見る見るうちに海へ・・・

大きな船を下から見上げての「進水式」あ~あ今度何時か招待者になって上から見たいな~!

「万田発酵見学」 滞在時間約1時間15分位 今回「カメラ」の調子が悪く「万田酵素見学」の写真は撮れませんでした。

工場見学

万田酵素のホームページから写真お借りしました

広島駅には17時20分位には着きましたので・・・広島駅から「八丁堀福屋」まで歩いて用事を済ませ「バスセンター」から帰宅しました。

今回の旅行で「進水式」初めてだったので・・・船があんなに早く滑り出すとは思って居なくて・・・一瞬感動してしまいました。

 


青春18切符の旅 夏バージョン NO1 「長崎・熊本編」 3日目

2016-08-17 11:26:51 | 日記

ゆっくり起きようか・・・でも何時もの様に4時頃には目覚めてしまいました。

朝シャンして・朝食・帰り支度して、時刻表眺めると・・・6:3分発「鳥栖行き」これなら鳥栖まで乗り換えなしで行ける。 先ずはこの列車で出発する事にして、今日の活動開始

      出発時間にはまだ早かったな・・・                            車窓より日の出を見て

国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防北部排水門が車窓より見えた。               八代行きを示す案内板 鳥栖駅にて

鳥栖から熊本までの列車が有るよな~と考え「熊本」へ行って見よう・・・時刻表を見ると鳥栖着8:53 鹿児島本線「八代行き」9時23分発が有るのでこれで「熊本」へ行く事にして、コンビニでお茶買って・・・八代行きに乗り込む。

鹿児島本線は、長崎本線と違い複線だけど・・・やっぱり特急等はお先にどうぞと、譲ってこちらは所々の駅で一休み

 

 何処の駅からだったか「実習生?見習い?」の方か教官のような方と乗り込んで、私と一緒に「熊本駅」で下車ご苦労様でした。

 熊本に着いたら11時1分 さてどうする?観光案内所で「熊本城への行き方を教わる。「熊本城周遊バスしろめぐりん」 熊本駅から熊本城を中心に周辺の旧跡や施設を訪ねるバスで、約20分間隔で運行されていて、大人150円(均一料金)で、周遊1日乗車券は大人400円との事でしたが、時間も余り無いので1日乗車券は買いませんでした。

4月の震災以来運行中止になっていたのが、8月2日から再開したそうで・・・ラッキー!乗客私だけと言う事もあってか、ドライバーさんが色々と説明して下さって良かった!

   まだ復興途中の民家も                              バスの窓から見えてきた「お城の石垣」

 駐車場には石垣から出た外側の大きい石には番号が打たれて並べられていました(写真右)中の石は山積みに(写真左)

「頬当御門(ほほあてごもん)」前から「桜の馬場」の間を「シャトルバス」(写真左)が走っています。 

 熊本城にはもちろん入れません・・・

 バスを降りて、途中から「市役所前」電停まで歩きました。その間に見た石垣の崩れ

 熊本駅に着くと12時30分頃だったので、駅でお土産買って13時発の「鳥栖行き」に乗り込みました。

 

 大牟田駅13時51分着で、次の門司港行の発車時間までに、30分あるので構内を出て、食べ物探し(熊本で食事する時間が無かったので)

 

 駅前に「ケンターキー」見つけて揚げたてを1個ペロリ                 次は「ファミリーマート」でお茶とお結び購入

 

 門司港行「快速」に乗り、途中「スペースワールド駅」が・・・

 

 車窓から見る「スペースワールド」の乗り物・・・行って見れば良かったかな?

 

小倉には16時24分に着いたので下関行きに乗り換え16時52分に着き17時19分発の岩国行きで・・・いよいよ広島が近くなりました。 

 

 岩国に着いた頃には真っ暗・・・20時4分発「広行」に乗車 「西広島」に着くと20時47分夕食食べてとも思ったけど「セブンイレブン」でお弁当買って

「山田団地行」の21時16分発のバスが有ったのでそれで家に帰りました。疲れたけど、楽しい旅が出来ました。

残り3枚はどう使おうかな?

 

 

 

 

 

 

 

 


青春18切符の旅 夏バージョン NO1 「長崎・熊本編」 2日目(市内観光)

2016-08-14 09:54:45 | 日記

 ホテルで一休みし、午後4時頃から再び出かけました。

折角購入した「電車一日乗車券」使用しなければと・・・ホテル出て「正覚寺下」行で「出島」で下車

今まで長崎に来ても「出島資料館」に入って居なかったので、一人「出島スタンプラリー」をしたりしながら見て回りました。

国指定史跡(出島和蘭商館跡)。鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在そのうちの25棟を復元させるための事業が進んでいます。明治期にその役割を終え、陸地の中に埋もれ、人々の記憶からも消えかけていましたが、今から約60年前に長崎市が出島の復元に着手しました。(パンフレットより) 

     資料館西側メインゲート                         道を挟んで両側に当時の建物が復元してあります

 「ミニ出島」 15分の1の模型

次は 築町で「石橋行き」に乗り換え「大浦天主堂」へ・・・ここは依然入った事もあるし、時間的な事もあって中には入りませんでした。写真だけ撮って・・・

大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865 年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十 六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂(ホームページより)

 

       大浦天主堂                                  天主堂下に有った「カステラ神社」

「グラバー邸」は、大浦天主堂下を右に上がると「階段」と横には「エスカレーター」上がった所の「第1ゲート(入場券発売所)」を入ると「動く歩道」が有り、2カ所目の「動く歩道」を上がると「展望広場」に着きます。そこに建てられている「旧三菱第2ドックハウス」のベランダからは長崎の素晴らしい景色を見る事が出来ました。

 

       動く歩道                               ベランダから、池の「鯉」に餌をやる親子を発見

    旧グラバー邸(世界遺産)                            石畳みで見つけた「ハート」

 グラバー邸の説明

1859年(安政6年)、長い鎖国が終わりを告げ長崎・横浜・箱館(函館)の3港は世界に門を開きました。同時に諸外国の商人たちは大浦居留地の周辺に住居を構え貿易を営み始めます。これら貿易商人の一人、英国スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバー(T.B. Glover 1838~1911)の住居は、数多い洋風建築の中でも独特のバンガロー風様式を持つ、現存する日本最古の木造洋風建築です。

安政の開国直後の1859年、グラバーは弱冠21歳で上海を経由して来日、ベテランの外国人商人たちの中にあって茶やその他の産物、武器船舶などを取り扱う商人として仲間入りをしました。やがて彼は、日本の再建に外国人商人としての立場を超越した活躍を見せ始めました。
それには日本の若い志士たちに国際的な目を開かせることが先決だとして伊藤博文をはじめ数多くの若者の海外勉学の旅を斡旋しています。こうして維新動乱前後に多くの新時代の日本の指導者が続出したのは彼の努力に負う所が少なくありません。
 次にグラバーは、産業立国の大方針を以て当局に協力し、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓しました。1865年(元治2年)わが国の鉄道開通の7年も前に大浦海岸に蒸気機関車を試走させ、1868年(明治元年)高島炭鉱を開発、また同年には小菅に近代式修船場を設けたりと日本の新世紀にエネルギー溢れる協力をしました。
 その後、トーマス・グラバーの息子、倉場富三郎とその妻ワカは、1939年(昭和14年)に三菱重工業株式会社長崎造船所(当時)に売却するまでこの家を自宅として利用していました。1957年(昭和32年)、三菱造船株式会社(三菱重工業株式会社から改称)長崎造船所開設100周年記念として長崎市に寄贈され、翌年から一般公開されました。(ホームページより)

 展望台から夕陽を眺めて・・・次はどこ行こう

眼鏡橋へ・・・「橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46m。」 川の両岸に灯りが点り「眼鏡」がクッキリと映し出されました(上手に撮れた?)

1634年(寛永11年)興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた[2]1648年(慶安元年)の洪水で損壊するが、平戸好夢が修復している[2][3]。その他は高欄が破損して修復したと見られる形跡があるものの、流失することなく度重なる水害に耐えてきた[2][4]1982年(昭和57年)の長崎大水害では中島川の橋が流失したが、眼鏡橋は半分程度損壊するという深刻な被害を受けたものの流失は免れた[5]

修復のための部分解体調査で江戸期のものとみられる階段跡が左岸橋端から見つかったため、従来はスロープとなっていた橋端は階段へと変更された[6]。橋端は1873年(明治6年)頃、人力車通行のために階段をなくしたものと見られる。ただし眼鏡橋は1948年(昭和28年)以後、車両の通行が禁止されている[7]

流出後、下流で見つかった石材については、復元時に再利用された[8]。眼鏡橋の辺りは増水時の氾濫対策として川幅を広げる必要があったが、橋などの姿をなるべく残すよう、川幅や橋はそのままにして、両岸の地下に暗渠式のバイパス水路を設けることで解決した[9]。この際、左岸側バイパス建設地の上から川の上にまで張り出した家屋や商店など46戸は約20年の交渉を経て全戸が移転し、跡地には歩道と街路樹が整備された。(ホームページより)

次に私の好きな「長崎ブルース」にうたわれている「思案橋」ってどんな橋か気になって・・・


 

橋・川とも見つかりませんでした。有ったのは欄干の一部のみ

名前はシッカリ残っていました「思案橋横丁」として・・・細い路地には飲食街が続いていました。

思案橋の説明(ホームページより)

日本が鎖国となり、長崎は唐蘭易で賑わいましたが、この橋も丸山をひかえ地元はもちろん諸国往来の人達で利用おびただしく、土橋から木の橋へ、木の橋から屋根のついた木廊橋へ変わり、また、もとの木橋になったりと変転を重ねました。

思案橋という名はいつからついたのかわかりませんが、丸山の繁盛と深い関係があることはまちがいないといわれます。

木橋は火事で明治8年(1875)に石橋になり、大正3年(1914)にセメント・コンクリート被装の鉄橋に改まりました。

もちろんこの時は思案橋も既に約320有余年の歴史をもつ名橋として天下に知られてはいましたが、それでも今日ほどではありませんでした。

現在は、欄干の跡を残すのみとなっています。

中華街で夕食をと思って居たのですが・・・歩き疲れて美味しそうな「肉まん」売ってるお店が有ったので、肉まん買って、セブンイレブンで明日の朝食食材等を買い込みホテルに帰って、ゆっくり「お風呂」に入って今日の疲れを取って、肉まん等を食べて早めに床に入りました。

明日はどうしようかな?ゆっくり起きて広島へ帰ろうかな?それとも早起きして何処かへ廻って帰ろうかな? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宮島水中花火大会

2016-08-11 22:07:59 | 日記

8月11日(木) 

午後7時40分~8時40分の間「宮島水中花火大会」が行われました。

40年位前には「宮島口」まで行って見ていたのを思い出し、行って見ようか?と支度はしていたのですが・・・何となく大儀くなってどうしようか?迷っていたら丁度息子が帰って来て「テレビで実況するよ!」と教えてくれたので、やっぱり出かけるのは止めて家で「テレビ」を見る事にしました。

 

 

 

結構きれいに撮れましたが・・・やっぱり「テレビ」より本物が良いので・・・来年はきっと行こう!と決心しました。


青春18切符の旅 夏バージョン NO1 「長崎・熊本編」 2日目(軍艦島)

2016-08-09 19:34:19 | 日記

いよいよ「軍艦島」へ行ける!

 連泊した「ホテルクオーレ長崎駅前」

ホテルフロント&ロビーには「24時間フリードリンクコーナー」がありました

「ユニバーサル ルーム」 部屋・風呂共に広く(30,60m)車椅子での移動も可能でした

 軍艦島へ行くためには、前もって「事前申し込み」が必要です。(無人島で、定期船は有りません、全て観光船でのクルージング・上陸となります)

クルージング会社は、● 高島海上交通(高島海上交通さんだけが、途中の高島で下船し石炭資料館に寄り海底炭鉱の歴史に触れる機会が有ります) ● やまさ海運 ● 軍艦島コンシェルジュ ●シーマン商会の4社が有りましたが、私は「シーマン商会」さんを利用しました。乗船料は3,900円でしたが、ホテルに300円の割引券が有ったので、それを利用して・・・でも、上陸料が300円必要で、結局3,900円の支払いとなりました。

「10時10分集合・10時30分出港 常磐2号桟橋へ来てください。」電話で申し込んだ時そう聞いていたので・・・ホテルで、出かける時「電車一日乗車券」を購入し(500円)これでいくら電車に乗っても安心と、9時過ぎにはホテルを出かけました。

シーマン商会さんでは、受付の時「塩飴・ウチワ」を下さいました。麦わらぼーしも無料で貸してくださいました。(島内は日陰が無い上、日傘は禁止なので)

上陸証明書も頂きましたよ。その上記念に集合写真を撮ってくださいましたが・・・それはインターネットでダウンロードして印刷する事も出来ました。

 

早く着いたので手続きして「長崎水辺の森公園」を少し散歩

桟橋から昨夜行った「稲佐山展望台」とテレビアンテナを見上げて・・・              海上保安庁の船かな?(手前の船)

 大きな客船が入っていました。どこの船かな?                                    沖ノ島天主堂

 

 中ノ島(軍艦島手前の島で軍艦島の住民の埋葬・花見の場所だったそうです)            見えてきました「軍艦島」

 本当に「軍艦」に見えるでしょ!

 

 上陸はこの場所「ドルフィン桟橋」のみ(今着いているのは高島海上交通のブラックダイアモンド号)    鉱員社宅だったかな?

左は、 端島神殿(神殿の下に拝殿もありましたが、倒壊し今は神殿のみ)    右は7階建て1~4階は小学校・5・7階中学校と、7階には理科室等の特別教室が有り・6階講堂・図書室・音楽室・昭和45年には体育館・給食設備なども新設され、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターも有ったそうです。今は、7階部分がほとんど崩壊して・・・2年後には7階は無くなるでしょうとのお話でした。

 

     ドルフィン桟橋を降りて                             私達が乗ってきたクルージング船

    石炭積み込み桟橋の支柱が残るのみ               赤い建物が、鉱山の中枢であったレンガ造りの建物(世界文化遺産)

 

石灰と赤土を混ぜた「天川」を用いた石積み             上に見えるのが「貯水タンク」右下は「第2竪抗へ行く桟橋の昇降階段」

「軍艦島」について説明すると、長崎半島から西に約4,5Km、三菱石炭鉱業(株)の主力炭鉱が有った高島から南西に約2,5㎞、長崎港から南西に約19㎞の沖合に位置する「端島」 端島は、南北に約480m、東西に約160m、周囲1,200m、面積約63,000㎡という小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。」炭鉱閉山(1974年)後、長い眠りについていた「端島炭坑」ですが、2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄 鉄鋼 造船 石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。日本の近代化を支えた産業遺産「端島炭坑」は、石炭産業の歴史を今に伝えています。(軍艦島パンフレットから)

ガイドさんの話で、長崎市が無償で寄付していただいたそうで、長崎市は、ドルフィン桟橋はじめ見学コース通路などを整備したそうです。

最盛期には約5,300人が住み、日本最初の高層アパートで、三種の神器と言われたテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの電気製品を使う、そんな、時代を先取りした生活を営んでいたそうです。

また、島内には、幼稚園・小学校・中学校・病院・隔離病棟・警察・監獄(入った人は無いそうですが・・・)のほかスーパー・映画館や料理屋、パチンコ屋にお寺まで有ったそうです。最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市として軍艦島は栄えたとの事です。(ガイドさんの話) 

 

 三菱造船所では大型の客船を造っていました。(港に帰る時撮りました)

 

帰ってきたのは13時前先ずは昼食 をと、船員さんに教えて頂いた、出島ワーフの「朝市食堂」で・・・

 

「お刺身定食(880円)を頂きました。

       帆船が・・・                                      長崎港ターミナル

 

 文明堂総本店を見つけて、お土産に「カステラ」買って・・・あまり暑いのでホテルに帰りシャワー浴び一休み