いよいよ「軍艦島」へ行ける!
連泊した「ホテルクオーレ長崎駅前」
ホテルフロント&ロビーには「24時間フリードリンクコーナー」がありました
「ユニバーサル ルーム」 部屋・風呂共に広く(30,60m)車椅子での移動も可能でした
軍艦島へ行くためには、前もって「事前申し込み」が必要です。(無人島で、定期船は有りません、全て観光船でのクルージング・上陸となります)
クルージング会社は、● 高島海上交通(高島海上交通さんだけが、途中の高島で下船し石炭資料館に寄り海底炭鉱の歴史に触れる機会が有ります) ● やまさ海運 ● 軍艦島コンシェルジュ ●シーマン商会の4社が有りましたが、私は「シーマン商会」さんを利用しました。乗船料は3,900円でしたが、ホテルに300円の割引券が有ったので、それを利用して・・・でも、上陸料が300円必要で、結局3,900円の支払いとなりました。
「10時10分集合・10時30分出港 常磐2号桟橋へ来てください。」電話で申し込んだ時そう聞いていたので・・・ホテルで、出かける時「電車一日乗車券」を購入し(500円)これでいくら電車に乗っても安心と、9時過ぎにはホテルを出かけました。
シーマン商会さんでは、受付の時「塩飴・ウチワ」を下さいました。麦わらぼーしも無料で貸してくださいました。(島内は日陰が無い上、日傘は禁止なので)
上陸証明書も頂きましたよ。その上記念に集合写真を撮ってくださいましたが・・・それはインターネットでダウンロードして印刷する事も出来ました。
早く着いたので手続きして「長崎水辺の森公園」を少し散歩
桟橋から昨夜行った「稲佐山展望台」とテレビアンテナを見上げて・・・ 海上保安庁の船かな?(手前の船)
大きな客船が入っていました。どこの船かな? 沖ノ島天主堂
中ノ島(軍艦島手前の島で軍艦島の住民の埋葬・花見の場所だったそうです) 見えてきました「軍艦島」
本当に「軍艦」に見えるでしょ!
上陸はこの場所「ドルフィン桟橋」のみ(今着いているのは高島海上交通のブラックダイアモンド号) 鉱員社宅だったかな?
左は、 端島神殿(神殿の下に拝殿もありましたが、倒壊し今は神殿のみ) 右は7階建て1~4階は小学校・5・7階中学校と、7階には理科室等の特別教室が有り・6階講堂・図書室・音楽室・昭和45年には体育館・給食設備なども新設され、給食を運ぶ島で唯一のエレベーターも有ったそうです。今は、7階部分がほとんど崩壊して・・・2年後には7階は無くなるでしょうとのお話でした。
ドルフィン桟橋を降りて 私達が乗ってきたクルージング船
石炭積み込み桟橋の支柱が残るのみ 赤い建物が、鉱山の中枢であったレンガ造りの建物(世界文化遺産)
石灰と赤土を混ぜた「天川」を用いた石積み 上に見えるのが「貯水タンク」右下は「第2竪抗へ行く桟橋の昇降階段」
「軍艦島」について説明すると、長崎半島から西に約4,5Km、三菱石炭鉱業(株)の主力炭鉱が有った高島から南西に約2,5㎞、長崎港から南西に約19㎞の沖合に位置する「端島」 端島は、南北に約480m、東西に約160m、周囲1,200m、面積約63,000㎡という小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。」炭鉱閉山(1974年)後、長い眠りについていた「端島炭坑」ですが、2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄 鉄鋼 造船 石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。日本の近代化を支えた産業遺産「端島炭坑」は、石炭産業の歴史を今に伝えています。(軍艦島パンフレットから)
ガイドさんの話で、長崎市が無償で寄付していただいたそうで、長崎市は、ドルフィン桟橋はじめ見学コース通路などを整備したそうです。
最盛期には約5,300人が住み、日本最初の高層アパートで、三種の神器と言われたテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの電気製品を使う、そんな、時代を先取りした生活を営んでいたそうです。
また、島内には、幼稚園・小学校・中学校・病院・隔離病棟・警察・監獄(入った人は無いそうですが・・・)のほかスーパー・映画館や料理屋、パチンコ屋にお寺まで有ったそうです。最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市として軍艦島は栄えたとの事です。(ガイドさんの話)
三菱造船所では大型の客船を造っていました。(港に帰る時撮りました)
帰ってきたのは13時前先ずは昼食 をと、船員さんに教えて頂いた、出島ワーフの「朝市食堂」で・・・
「お刺身定食(880円)を頂きました。
帆船が・・・ 長崎港ターミナル
文明堂総本店を見つけて、お土産に「カステラ」買って・・・あまり暑いのでホテルに帰りシャワー浴び一休み