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写真付きで家族の出来事・旅行・認知症等

北海道の美しき楽園奥尻・天売・焼尻島5日間の旅 NO2

2018-06-29 08:45:39 | 日記

6月18日(月)

何時もの様に早く目覚めたのですが、お風呂は6時からだったと思い(本当は5時からでした)6時前に行くと、沢山の人が入っておられました。朝食は、7時からなので4人で揃って出かけました。

                     ← バイキング(私の取った朝食)

出発は8時40分遅めの出発だったので朝食後ホテルの周辺を散策しました。裏庭に出ると昨夜は暗くて分からなかったのですが、「恋人の聖地」の石碑が立っていました。庭は綺麗に手入れされていましたが、隣ではホテルの解体工事がされていて・・・また新しく建つのかな?

←中ノ島を見て 恋人の聖地石碑→

 ← ハマナス    ツツジ →

          工事中 → 

 ← ホテル正面 裏庭から見て→

ホテルを出発して昨日通った道を通って「昭和新山」へ「クマ牧場」はすぐ隣に有ったのですが年配者が多いせいかバス移動・・・

 ←昭和新山 後ろは有珠山 → 

昭和18年12月末の有感地震を契機に、有珠山麓の麦畑から突如として溶岩ドーム昭和新山)が隆起し始めた。翌年初頭から翌々年まで続いたこの山が産まれるプロセスを、三松は私的に定点観測を続ける[1]。その手法は地震の回数を皿に置いた豆で記録、台に顎を乗せ視点を固定し、水平に張った糸で日々の形状の変化を計測するという独創的なハンドトレスの手法で作成された。この図はのちに「ミマツダイヤグラム」と命名され、世界でも貴重な火山活動の記録となった。(三松正夫の記念碑は今も昭和新山を観測して居る?これは私の意見)

その後、荒廃から守るために1946年(昭和21年)に私財を投じて土地ごと購入し天然記念物への申請などの保護に努めた。土地ごと買い取りの理由を本人は著書で「硫黄が採取できるということでの採掘を阻止するため」と記したほか、娘婿で「三松正夫記念館」館長の三松三朗の著書では「新山への愛着で所有したかったから」とされている。別の記事では「三松はこの世界的に貴重な火山の保護と家や農場を失った住民の生活の支援のために、山になってしまった土地を買い取った」とされている。ともあれ、昭和新山は現在、三松家の私有地であり、ニュージーランドホワイト島英語版等と同じく世界でも珍しい“私有地にある火山”となっている。1951年(昭和26年)国の「天然記念物」に指定され、1957年(昭和32年)には「特別天然記念物」に指定された。

1948年(昭和23年)に昭和新山の成長過程を記録したスケッチを元に作成した「新山隆起図」がオスロで開かれた万国火山会議において専門家から高く評価され、「ミマツダイヤグラム」と名付けられた。(インターネットより引用)

 ←熊牧場入口 皆覗いてます →

洞爺湖ビジターセンター・火山科学館[編集] (ネットで検索して見て下さい)

1977年噴火、2000年噴火の資料を多数展示している。2007年(平成19年)に環境省ビジターセンターが100 m ほど西側に建設された際に、同じ建物に火山科学館が移転した[15][16]

 ← ロープウエイ駅      

14年前になるかな?今は亡き母や友のHさん旅行には参加が難しくなったO・T・Yさん達も一緒に来たよな~!と懐かしく思い出しました。あの時は母が「有珠山」へ行きたいと言うのでロープウエイに乗って上まで上がったよな~と思い出しながら「噴火体験室」に入って行きました。自然の力には人間なすすべも無いのか・・・

 ← 有珠山噴火の様子     

長万部で「カニ飯」の昼食を頂いて、一路「せたな港」へ・・・14時発のフェリーまでに時間が有るので「三本杉」まで行ってみました。

 ← ドライブイン   カニ飯 → 

  「せたな港」までの景色     

「フエリーターミナル」に到着して出港までには1時間近くあったので車窓から見えた「三本杉」を目指してブラブラ・・・近くの堤防まで行くと「タコ」のオブジェが・・・何だか燈籠みたいですよ(蝋燭立てが有りました)港の先の岩には「神社」が有る様でしたがそこまでは行きませんでした(写真は望遠で・・・)港に来る途中には沢山の「風力発電」の鉄塔が立っていました。

      フエリーターミナル →  

 ← タコオブジェ   三本杉 → 

 ← 海カモメ?ウミネコ?      

 ←風力発電 乗船するフエリー → 

    奥尻港が見えてきました → 

 ← 奥尻港      鍋釣岩 → 

 ←奥尻島津波館  説明を受けて→ 

 ←津波の爪痕  青苗岬灯台 →  

 ← 死亡者刻銘版   時空翔 → 

津波で犠牲になられた方々の名前が刻まれた全ての方の名前に夕日が当たるように考えられた「時空翔」(真ん中のくぼみから夕陽だったか?朝日だったか?が当たるそうです。)

  ← 德洋記念碑         説明碑 →     

 ←「ハマナスの花」白は初めて  

 津波痕跡地点説明板と高さ指示板 

 ← 旅館玄関     夕食 → 

今日のお宿は離島には珍しい天然温泉(熱すぎて水で薄めます)を持つ「奥尻湯の浜温泉ホテル緑館」お湯は凄く良かったですが、それ以上に「夕食」が良かったですよ。特に「アワビの踊り食い?」アワビが美味しかった~!

夕食後前庭に出ると丁度「夕日」が沈む時でそれはそれは感動しました。

    前庭から見た日没      

今日も1日が無事終わりました。明日も良い天気であります様に沈む夕日にお願いしてもう1度温泉に浸かり休みました。