1月18日(木)国分寺市議会では東村山にある国立ハンセン病資料館を行政視察しました。
まずガイダンスの映像を見た後、係りの方から見学前ガイダンスを受け、展示室の見どころをお話しいただきました。
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ハンセン病はらい菌に感染して起こる病気で日本では1400年前からありました。
昔は原因がわからず恐ろしい伝染病と考えられ、1931年にらい予防法が成立しすべての患者を隔離する政策が始まりました。
各県では無らい県運動がおこなわれ、患者を見つけると療養所に送り込む施策が行われました。
1947年に治療薬が開発された後も1953年にらい予防法が改正されましたが隔離政策は続きました。
有効な薬ができて早期に治療をおこなえば後遺症も残らずなおる病気だと分かった後でも隔離政策が続いたのは世界で日本だけでした。
患者団体の皆さんの運動もあり、らい予防法は1996年にようやく廃止されました。
その後国家賠償請求訴訟などが全国で提起され、熊本地裁で原告勝訴が決まった後国は控訴せず、謝罪や補償が行われる法律ができました。
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見学前ガイダンスで職員の方は、
無らい県運動官民一体でおこなわれたこと、結婚は認めらたが子どもは産めなかった=日本だけであること、なぜ日本だけが隔離政策がこんなに長く続いたのか、などの問題提起がありました。
患者の皆さんの平均年令は87才で被害体験を語れる方は少なくなっています。
差別や偏見が長い間続いたことでそのことを覆すのに多くの時間がかかったのだと思いますが、当事者にとっては何とも理不尽で許せない話でお気の毒ではすまされません。
国の施策とは言え多くの民間人も協力して差別を助長したことは明らかです。
間違っていたことは改めるべきでそのことは躊躇するべきではありません。
長く続いたことを転換するのは大変ですが、何よりも当事者に寄り添って適切に対応すべきです。
また人々に根付いた偏見や差別はなかなか解消されないことも事実であり、悲しいことです。
患者さんにはたくさんのご苦労をされたことだと思いますが、少しでも長生きされて心穏やかに暮らしていただきたいです。
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松本清張さんの「砂の器」は有名ですよね。
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