かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

僕はどうしてたくさんライブに行けたのか?

2005-01-09 17:25:00 | 雑談

僕は工藤静香さんのコンサート通算137回、
森高千里さんのコンサート通算7回、
浜崎あゆみさん1回、
倉木麻衣さん、単独でないライブを含め、49回
もちろん僕のブログで説明した、TさんやセKさんのように
僕以上にコンサート、ライブ、イベントに
参加している人もいる。
その人はその人なりに特別な状況にあるのだろう。
 
 そもそもどうして僕はこんなにたくさんライブに
参加できたのか。それについてここで説明しよう。

 一部の説明は、元祖かんたんブログ、2005,1,3の
「今の条件なら、郵便局員になることを勧める。」の
内容と重なる。

僕は2004年8月末まで郵便局員をやっていた。
退職し、今は無職。
仕事は、流れが飲み込めれば比較的楽、
給与もまずまずもらえ、
有給休暇もきちんと取れる。
一般職員なら超過勤務をやればまず手当てがつく

僕は工藤静香さんや倉木麻衣さん、などのライブに
たくさん参加できたのも、「郵便局の郵便課」の
職員だったことが有利に働いたといえる。
僕にとっては恵まれた職場だった。

もちろん、一部の貧乏くじを引かされていて
配置換えを希望する職員や、新人、
対外的に厳しい状況で仕事を
やっているというジェスチャーをしたがる、
いい子ぶりっ子職員は、
忙しい大変だと言うけれど、
一般的には、仕事の内容、給与など恵まれているし、
僕のようなライブにたくさん行く職員には、
宿直勤務や変則勤務のおかげでライブにたくさん行きやすい。

非番週休日も変則的、有給休暇もとりやすい。
ライブに行きやすい環境が整っている。
ある程度勤続年数が経過し、給与が上がれば、
給与や勤務で、ライブに行くのに恵まれた職業になる。

昔、僕がライブで知り合った人に、
ライブにたくさん行きたいから、郵便局員になりたい、
と言っていた人がいたが、郵便内務職で、
勤続年数がある程度経過し、給与が上がれば、
勤務の面とあわせてライブに行きやすくなるだろう。

他の部署でも、郵便内務ほどでないにしろ、
まずまずライブに行きやすいし、
お金はそのほうがたくさん貯金できる。

僕のライブの経験上からすれば、普通に生活していれば、
郵便内務なら、勤続10年もすれば、
無借金でライブにたくさんいける。

それ以外の部署ならライブに行く回数は減るが、
普通に生活していれば、
その分かなり貯金がたくさんたまる。
さすがにライブ全盛期になると、
かなりハード。

極端なときは、
仕事、ライブ、仕事、ライブ、ライブ、仕事、(仕事ライブ)、
ライブ、仕事、仕事、仕事、(仕事ライブ)、ライブ、仕事
こんな感じになる。
(仕事ライブ)というのは宿直勤務明けで
ライブというパターン。

合間に、事務雑用、あるいは
工藤ファン時代は競馬をやったり。

完全に身体を休める休養日などほとんどなく、
ハードだし、意外にストレスがたまる。
あとでいろいろ問題になったことはあるけれど、
でもそのときは凄く楽しんでいる。
楽しい思い出です。

郵便局員というのはその意味では恵まれた職業でした。
ずっと郵便局員をやれば、
これからも生涯ライブに行き続けられただろう。

もちろん今の僕は倉木麻衣さんのライブ以外
行く予定はないが、ライブに行くという点では郵便局員は、
本当に恵まれた職業。

太字部分はレイアウトを変更し、一部文字を訂正したが、
元祖かんたんブログ、2005,1,3の
「今の条件なら、郵便局員になることを勧める。」から
文章を引用。

要するに仕事の関係で、
変則勤務、宿直勤務(新夜勤)のおかげでたくさん
ライブに行けたのはまちがいない。

また交通機関も、夜行列車を頻繁に利用するなどしていた。
現在快速ながらになっているけれど、
以前東京と岐阜の大垣の間をはしる夜行の普通電車があり
本当に何度も利用したものだった。

いくつか僕の移動について説明しよう。

1991年に工藤静香さんが
高知、徳島でコンサートをやった。

高知のコンサートの前日、
僕は夜9時30分まで職場で仕事をしていた。
そのあと食事をしながら時間をつぶし、
その日夜11時台の大垣夜行に乗り、
普通電車を乗り継ぎ、四国内は特急。

高知に着き、夜は、高知のサウナに宿泊。

翌日徳島へ。コンサートのあと徳島から、
阿波池田へ、そこからムーンライト高知で
京都へ、新快速や普通電車を乗り継ぎ、

午後3時台に東京着。
そのまま郵便局へ行き、
当時の16勤(今の新夜勤)をやった。

徳島から17時間電車に乗ったことになる。

これは当時の周遊切符を利用したもので、
チケット代を除き、
食費宿泊費込み総経費4万円弱だった。

大阪のライブのとき、今はだいたい6時半開演でも、
最終ののぞみに間に合うようだ。
以前はそうでなかった。

大阪厚生年金会館や大阪フェスティバルホールの
ライブが終わり、最寄の駅に行き、
新大阪発の最終の新幹線には間に合わない。

大阪厚生年金会館から地下鉄本町駅あるいは
心斎橋駅に行くと、中津駅どまりの電車で、
もう一本前に乗れれば、新大阪に着けば
その日の最終の東京行きに間に合うのに
それが出来ない。

最終の新幹線に乗るためには、コンサートの、
アンコールの後半には抜け出さないといけない。

僕は原則的にコンサートは途中で抜けず、
最後まで観るので、最終の新幹線に間に合わない。
大阪で乗り換えてJRで行っても間に合わない。

そんな時僕は名古屋行きの新幹線に乗り、
名古屋から大垣発東京行きの夜行に乗る。

朝4時台に東京に着く。
その日仕事のときもある。

当時の大阪のライブではこんなことを
何度もやっていたけれど、
今は新幹線のダイヤが変更になり、
当時とはずいぶん事情が違っている。

1991年の山口県徳山市のライブのとき
広島でライブ、一日空いて徳山というパターン。

僕は前日野宿。JR徳山駅の待合室を
利用しようと思ったけれど、
3人お客がいて、室内は蚊も多く、
結局駅前のバスロータリーのベンチで寝た。

徳山のコンサートの日、土砂降りになり、
会場に着いたらずぶぬれ、
トイレで急いで着替えた。

コンサートが終わり、徳山駅から
僕は新大阪行きの新幹線に乗った。

この新幹線工藤静香さんも乗っていたらしい。

僕が工藤静香さんの追っかけをやり始めたのは、
1992年の途中からで、
まだ追っかけはやっていないころ。

ただ、この新幹線、静香ファンの
Kさん(伊勢市のコンサートでコックの格好をしていた)や
やはり静香ファンで岩手県に住むOさんも乗っていて、
静香さんが乗っていることに気がついたらしいけど、
僕には教えてくれなかった。

静香さんやOさんたちは広島で降りたらしい。
後日話を聞かされた。

僕は新大阪まで行き、地下のベンチで一夜をあかし、
翌日朝一の新幹線で東京へ戻り、
その日も仕事だったような気がする。

1993年の工藤静香さんの北海道のコンサート、
青森でコンサートがあり、一日空いて、札幌。

札幌のコンサートのあと、
セKさんのグループは、富良野方面に行った。

富良野というと、静香さんの
お母さんの出身地と聞いている。

僕は仕事の関係で、Iさんと二人で、
特急など乗り継ぎ青森へ、夜行の急行で
上野へ向かう。途中福島県内で、
貨物列車の運行関係で、2時間ストップ。

結局このときも札幌から
17~18時間かけて東京(上野駅)に
戻った記憶あり。

こんなことよくやっていた。
おかげでコンサートやライブにたくさんいけた。

かなりハードだったけれど、
当時は僕も20歳代で、
体力的には結構平気だった。

ストレスが予想以上にたまるときがあるけど、
飲んだり食ったりで何とかしのいでいた。

それに比べると、僕のブログに登場するTさんなど、
いろいろなアーティストのコンサートに行き、
いつもシティーホテルなどに宿泊、
時には
宿泊費の高いアーティストと同じホテルに宿泊。
すごいもんです。

とにかくこんな感じで
ライブ・コンサートにたくさん参加していました。
今僕は
倉木麻衣さんのライブにたくさん参加している。
もちろん倉木麻衣さんが大好き。
倉木麻衣さんと結婚したいと思っている。

倉木麻衣さんのライブでは、
やはりチケットを取ることなど、
以前と状況が違う面はあるけれど、
ライブに行くことなど
基本的には以前のノウハウが生かされている。

2005年の倉木麻衣さんのライブにも楽しみ。
倉木麻衣さんに会いたい、大好き。

お金の面を説明しよう。

とにかくライブ・ツアーに参加するとお金がかかる。
はっきり言って、工藤静香さんのライブの全盛期、
ものすごく貧乏だった。

費用は、夏冬のボーナスでは足りない。
当時は大酒飲みで飲食費も高く、借金もあった。

ただ、いずれ取り返せるつもりではいた。

工藤静香さんのコンサートは、1994年から、
だんだん回数が減り始めた。
コンサート・ツアーのない年もでてきていた。

コンサートのピークが過ぎるくらいから、
僕の競馬のピークが始まる。

最近3~4年は職場での嫌がらせもあり、
個人情報の漏洩もあり、
競馬のピークも過ぎ、
こうなると飛躍的に経済状態も良くなる。

工藤静香ファンの女性が
こんなことを言っていたらしい。

ある年コンサートがなく、
絵の個展があり、
静香さんのン十万円もする
値段の高い絵を現金で買ったらしい。

よくそんな高い絵が買えたね、と聞かれて
今年はコンサート・ツアーがなかったから、
お金に余裕があると答えたらしい。

そんなものだろう。
僕も同じ。
確かに僕も、工藤静香さんのライブ・ツアー全盛期、
お金がなくて大変だったけれど、
ツアーがない年には確かに、経済状態はかなり改善する。

2000年以降くらいになり、
急速に僕の経済状態は良くなっていった。

倉木麻衣さんの2004年のライブ・ツアーでは、
たくさんライブに参加し、他のファンのつきまといなどで、
予定を変更するなど予想以上の出費増大であったが、
郵便局退職前でもあり、経済的には全く問題なかった。

今は無職になってしまったけれど、
2005年のライブもチケットさえ取れれば
出来るだけたくさんライブに参加したい。
倉木麻衣さんに会いたい。

ライブをやらなければファンの経済状態は
すごく改善するだろうけれど、
それでも倉木麻衣さんには、
ライブ・ツアーをやってほしい。
麻衣さんのライブは本当に楽しいし、
麻衣さんは本当に素敵。大好き。
会いたい。

ライブ・ツアーやってほしいなぁ。

僕も貯金が減ってきたら、
いよいよ再就職。

倉木麻衣さんの弟子とか、家来とか、
子分とか、丁稚とか、お手伝いさんとか、
「一応マネージャー」とか、
いろいろ考えているけれど、
やはり、僕は倉木麻衣さんと結婚するのが
一番いいと思っている。

倉木麻衣さんが大好き。


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倉木麻衣ファンクラブサイトで、前回アンケート結果発表!! とGrow, Step by Stepアンケート開始

2005-01-09 03:48:04 | Mai-K.net

倉木麻衣ファンクラブサイト

Grow, Step by Stepアンケート開始!!
抽選でサイン入りポスタープレゼント
前回アンケート
「映像にして残したい1曲」結果発表!!

「Mai Kuraki 5th Anniversary Edition Grow, Step by Step」
についてファンクラブサイト・サプライズの
コーナーでアンケートにお答え下さった方の
中から抽選で、下記ポスターをサイン入りで
プレゼント!

・倉木麻衣 New Year ポスター :3名
・「Mai Kuraki 5th Anniversary Edition Grow, Step by Step」ポスター:2名

【エントリー期間】
 ・2005.1/7~1/31
アンケート開始!!抽選でサイン入りポスタープレゼント
前回アンケート「映像にして残したい1曲」結果発表!!

多少レイアウトなど変えましたが、
ほぼファンクラブサイトより引用。


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