小田の橋のと言えば、春日局「かすがのつぼね」(62才)が擬宝珠(ぎぼし)を寄進した(1641年)ことで有名(地元で)です。
その擬宝珠は、戦前まで徴古館に展示してあり焼夷弾で溶けて焼失してしまったそうです。
なぜ 寄進したのでしょう。世に知られた橋だったからでしょうか? そうは思えないのですね。どちらかといえば、春日の局が有名にした橋といえるのです。
伊勢では 他に 宇治の西行谷の「神照寺」を再興した人として、公卿の烏丸光廣(からすまる みつひろ)とともに春日局の名前があがっていますが それは、あくまで噂の範疇です。
全国には、間違いなく、春日の局が寄進した鐘や建造物があります。そのほとんどは、ちゃんとした個人的な理由があり、そのための場所や人のために寄進したものです。
例えば 局は、弟が再興した鈴鹿の寺につり鐘を寄進したりしましたが、それにも特別な意味がありました。 また、同じ鐘でも、妙心寺に寄進した鐘は 蒸し風呂が沸いたのを知らせる合図の鐘で、それは 明智風呂とよばれるものです。
など、彼女の深い思い入れの気持ちが伝わってくるものです。
小田の橋も 春日局にとって 思い入れのある橋なのかもしれません。
春日の局の幼名は お福 (餅ではない)
実は、わたし お福 は、子供の頃に伊勢に住んでいた とみなしてます。