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大久保バプテスト教会 聖書の学び

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聖書の学びを御一緒に

テサロニケ人への第一の手紙2章1節~12節

2011-01-16 22:36:27 | 聖書
大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年10月13日

夏に舞い戻ったかのような暑い日が続きましたが、いかがお過ごしですか。主の恵みと平安とが豊かにあり、健康が守られるようにお祈りしています。
チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山に閉じ込められた作業員33人の救出活動は、日本時間の13日午後に始まりました。これまでに6人が地底から生還し、地上で待ちわびた家族らとの約70日ぶりの再会を果たしています。感謝です。

今回は、テサロニケ人への第一の手紙2章1節~12節を学びます。
使徒パウロは第二回伝道旅行の際にマケドニヤに渡り、テサロニケで3週間ほどの宣教活動をします。そのことは使徒行伝17章1節から記され、一年程前に学びましたが、パウロたちは「聖書に基づいて」、キリストの受難と復活を説明し、イエスこそがキリスト/メシヤであることを論証します。その結果、大勢の人々がキリストの福音を聞き、納得したユダヤ人や信心深いギリシャ人、また女性たちがイエスを救い主キリストと信じてクリスチャンとされてゆきます。そのようにテサロニケにおいて多くの実が結ばれたのですが、他方でキリストの福音に猛反発するユダヤ人たちが出現し、彼らの嫉妬から暴動が起こされ、町全体に混乱が生じたので、福音宣教は中断され、パウロたちはベレヤ地方へ非難してゆきます。
パウロは、この2章の最初の部分で、当時の福音宣教の動機や活動の概略を記します。1節で「わたしたちがあなたがたの所に入って行ったことは、無駄ではなかった」と云います。続く2節で「それどころか、わたしたちの神に勇気を与えられて、激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語った」と云います。テサロニケとその前のピリピの宣教活動において、多くの苦しみと辱めを受け続けたけれども、神様から大いなる力と勇気が与えられて福音を大胆に語ることができ、ピリピとテサロニケにおいて多くが主イエスの救いの恵みに与る事ができた。自分たちの労苦は無駄ではなかったと神様に感謝します。
私たちもそれぞれに多くの労苦があります。自分を犠牲にしてでも親や子どものために一生懸命になることがあります。頑張って子育てや親の介護をします。家族を愛します。しかしそれでも、私たちの頑張りが顧みられないことがあり、反対に理解されなくて非難されたり、当たり前かの様な振る舞いや言葉を聞くとガックと肩を落とし、心が折れそうになります。それでも私たちの祈りと愛をもってなすことは無駄にはならずに、神様から新たなる力と勇気が朝毎に与えられてゆくのです。すべてを益としてくださる神様をいつも信頼し、神様に愛と忍耐と力を求めてゆきましょう。その時に神様は愛の力を豊かに注いで下さいます。

パウロは3節で「わたしたちの宣教は迷いや汚れた心から出たものではなく、騙しごとではない」と云います。私たちが神様に仕え、人に仕える時、特に家族や友人のために働く時、なにか魂胆があるでしょうか。自分だけの利益を求めてするでしょうか。いいえ、そのようなことはなく、相手のことを最優先に最大限に考えて仕えようとします。パウロも宣教をした時、いつも福音を聞く人々のことを愛し、祈りと信仰をもって語って行ったのです。「善かれ」と思ってやったことでも相手には「迷惑」と思われてしまうことも時にはあるでしょう。しかし、パウロは「わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語る」と4節で云います。私たちは人に喜ばれるために物事するのではなく、つねに「神様に喜ばれるため」に仕えてゆきたいと願います。家族や隣人のために働くことは主のために働くこと、そのことを心に刻み続けたいと願います。

福音宣教は「迷いや汚れた心からでたものではない」、また「へつらいの言葉でもなく、口実を設けて利をむさぼる行為でもない」と5節で云います。「キリストの使徒たちとしてもっと重んじられることもできたが、人からは栄誉を求めなかった」と6節で云います。一人でも多くの人が救われて、天国に喜びの賛美が響き渡り、神様の御名が誉め讃えられることだけを求めたいですね。
パウロは7-8節で「神の福音ばかりではなく、自分の命までも与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛した」とテサロニケの兄弟姉妹たちに伝えます。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とのイエス様の御声が心に響きます。主はこの言葉の前にこう言われました(ヨハネ15:12)、「わたしの戒めはこれである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。
10-12節で、パウロたちがテサロニケにおいて全力で取り組んだことが記されています。すなわち、テサロニケのキリスト者たちの前で「信心深く、正しく、責められるところがないように生活した」のは、テサロニケの兄弟姉妹たちが「御国とその栄光とに召してくださった神の御心にかなって歩くようにと勧め、励まし、また諭す」ためでした。私たちにできることは限られていますが、まず主イエスを信じ、神様の御前に正しく生かされ、人からも責められない信仰生活を送りましょう。主にあっていつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する生活が家族や隣人への最も効果的な証となるでしょう。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎