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大久保バプテスト教会 聖書の学び

大久保バプテスト教会で祈祷会に配信されるメルマガを掲載しています。
聖書の学びを御一緒に

メルマガ#70 使徒行伝20章7節~16節

2009-10-14 22:06:33 | 聖書
 みことば:「週のはじめの日、私たちがパンを裂くために集まっていた」 20章7節、「彼(パウロ)は、できるならば五旬節(ペンテコステ)にはエルサレムに着いていたいと、旅を急いだのである。」16節  岩波訳

 使徒パウロは、エルサレムへ向かう際、トロアスに一週間滞在し、主にある兄弟姉妹たちに神様の恵みを語り続け、彼らとの交わりを深めます。そしてエルサレムへ旅立つ前夜、とある人の家の屋上の間で夜遅くまで人々と語り尽くします。ユテコという若者もそこにいて、窓に腰掛けていたのですが、パウロの話しが真夜中まで続きましたので、ひどい眠気に襲われ、眠り込んで3階から下へ転落、息を引き取ってしまいます。しかし、パウロは「騒ぐ事はない。命はあるのだから」と言ってユテコを蘇生させるのです。
   
 この記述はとっても不思議で興味深いのですが、何を意味しているのか不明にも感じます。しかし、この出来事を理解するキーワードがここに2回用いられ、その言葉で今回の出来事は鍵括弧されているのです。そのキーワードは、7節と11節の「パンを裂く/裂いて」という言葉です。このパンを裂くという行為は、「主の晩餐式」を表しています。つまり、使徒パウロは、週の初めの日(日曜日)にトロアスの兄弟姉妹たちと共に主の晩餐に預かっていたということが表されています。時は、過ぎ越しの祭りの終わりの時期、つまり、イエス・キリストの十字架による贖いを覚え、感謝し、それぞれがキリストの証し
人として召命を受けていることを互いに確認していたのです。

もっと正確に言えば、主の十字架と復活を喜び祝い、証し人としての使命を再確認していたのです。若者ユテコは、「死に」、そして「生き返り」ます。そこには、主イエス様の十字架の死と復活の勝利が重ねられているのです。神様は、私たちの弱さ、痛み、傷、悲劇を主イエス様によって「喜び」へと変えてくださるのです。この神様と主イエス様を信じ、救いを喜びましょう。

 今回の箇所は、聖書に記されている最も初期の礼拝の様子が記されています。初代クリスチャンたちの集まりは、「週のはじめの日」つまり主イエス様が復活された日曜日でした。そしてこの主が復活された日を覚え、神様に礼拝をささげ、主の晩餐にあずかり、そして主の御言葉を宣教として聞いたのでした。若者ユテコが生き返った出来事は、トロアスのクリスチャンたちに対して、使徒パウロが宣教している主イエス・キリストが確かに甦られ、今も生きておられる事を鮮明に思い起こさせることだったのです。

 13節から16節は、トロアスからミルトへとエルサレムへの旅路を急ぐ使徒パウロが描かれています。パウロはペンテコステまでにはエルサレムに着きたいと願っていたことが16節から伺えますが、ここからたいせつな事を確認したいと思います。つまり、私たちはパウロのように全力を注いで「主の日」を守ろうとしているかということです。ご承知の様にペンテコステは初代教会と初代クリスチャンたちにとって非常に重要な日です。ペンテコステの日に神様から聖霊が注がれ、祝福と力が注がれて初代教会が誕生し、宣教の業が開始されたからです。パウロは、主イエス様が復活された週の初めの日とペンテコステを大切にしました。私たちも主の日である日曜日を「主に礼拝をささげる日」として大切にしましょう。第一にする最大限の努力を祈りつついたしましょう。

 今年もクリスマスが二ヶ月後に迫ってきました。このクリスマスシーズンを待ち望む人が世界中にたくさんいます。日本にもクリスチャン人口の何百倍もの人がクリスマスというシーズンを本当の意味も知らないまま待ち望んでいます。最高のクリスマスを愛する人と過ごそうと最大限の努力とお金をつぎ込む人もたくさんいます。神様の愛、主イエス様の十字架の贖いと復活を信じ、喜んでいる私たちは彼ら以上に最大限の努力を祈りつつしてゆくべきでないでしょうか。

 主イエス様のお生まれになった日、十字架に架けられた日、復活された日、聖霊が与えられた日、日曜日という主の日をたいせつにし、守る最大限の努力を惜しまないようにしましょう。主を礼拝する者を神様は豊かな愛をもって祝福して下さるのです。

 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。

 主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎