みことば:「騒動が落着した後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニア州に向かって出発した。そして、この地方をめぐりながら、言葉を尽くして人々を励まし、ギリシャに来(た)。」 20章1~2節 岩波訳
今週の祈祷会は、使徒行伝20章1節~6節を学びます。銀細工師デメテリオたちによる騒動も治まり、使徒パウロは約3年に亘るエペソでの宣教活動を終え、トロアスを経由してマケドニヤ州に行き、それからアカヤ州にあるコリントへ赴くことにしました。最大の目的は、マケドニヤとアカヤの諸教会によって集められた援金を受け取り、そのお金をエルサレム教会の兄弟姉妹へ届けるためでした。使徒パウロは、訪れるそれぞれの教会で兄弟姉妹を御言葉によって力強く励まします。
しかし、マケドニヤを通ってギリシャ・コリントまでの旅、つまりトロアス、ピリピ、テサロニケ、コリント教会などの諸教会への旅の行程が、驚くばかりに1節と2節だけに簡素化されています。しかし、本当はこの旅でもいろいろなことがあったのです。興味のある方は第二コリント1章から7章をお読み下さい。7章5節に「マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった」とパウロは言っています。ギリシャにあるコリント教会ではパウロに対する不満があり、使徒として罷免にしようとまでの動きがありましたから、コリントへの道はパウロにとってさぞかし心に負担があったでしょう。しかし、コリント教会に派遣されていたテトスがピリピで合流し、コリント教会の兄弟姉妹がパウロに心開き、悔い改めたとの良き知らせを聞いてパウロは喜びます。パウロはギリシャ・コリント教会で3ヶ月間滞在したと3節にあるのは、そういう事情があった後の喜びの時間であり、この期間(西暦55-56の冬頃)にローマ人への手紙が書かれました。
最初に申しましたように、使徒パウロの第三回目の伝道旅行の最終行程の目的は、エルサレム教会への支援金を諸教会から預り、エルサレムへ携えてゆくことでした。この支援金のことは、この伝道旅行中に記された書簡・ガラテヤ2:10、1コリント16:1-4、2コリント8-9章、ローマ15:25-32に記されています。パウロにとって、異邦人の諸教会からエルサレム教会への支援金は、エルサレム教会の兄弟姉妹たちの貧しさを補うだけでなく、主に在ってユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンは一つであることを目に見える形で表すことのできるものであったのです。また、クリスチャン同士の愛を示すものでもありました。援助のお金は愛のささげものです。ささげる者は愛をもってそうするのですから、受け取る者も遠慮することなく、躊躇うこともなく感謝して受け取れば良いのであって、この事が愛を強め、神様の栄光をあらわすのです。私たちも、兄弟姉妹の必要の為に祈り、自分に出来ることを喜んでいたしましょう。献金も同様です。第二コリント9:7に「各自は惜しむ心からではなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」とあります。互いに仕え合いましょう。
パウロと異邦人教会のクリスチャンたちがエルサレムのユダヤ人クリスチャンたちを愛し、サポートしようとしているのに、コリントにあるユダヤ人たちが陰謀を企てたとあります。誠に残念なことです。どうしてこのような理不尽な妨害が入るのでしょう。3節にはパウロたちが旅の予定を変更したことが記されています。コリントから船で直接エルサレムへ船で向かう予定を徒歩でマケドニヤを経由することになります。試練は忍耐を生み出します。私たちの人生も計画通りとはいきません。しかし、それでも主に信頼して、主から委ねられた使命に生きるのです。
4節にそれぞれの異邦人教会を代表してパウロと共にエルサレム教会へ向かったクリスチャンたちの名が連ねられています。諸教会から集められた大金を運ぶ時の護衛役ではなく、エルサレム教会との交わりを深めるために派遣された代表です。実は、私たち一人ひとりもキリストを証しする者、それぞれ遣わされた場所で大久保教会を代表する者なのです。牧師や執事だけが代表ではないのです。私たちの言葉と行為を周りの人々は見て聞いているのです。そのことを忘れずにいましょう。
5節から、パウロのピリピでの働き(16章17節)以来途絶えていた「わたしたち」という第一人称複数形が再度用いられます。ルカがエルサレムへの旅に再度加わったのです。主の御心のうちに働き人が加えられてゆきます。「生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時がある」(伝道3:2)のです。私たちの信仰と教会の成長にも神の時があることを覚え、主に信頼して歩んでまいりましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
今週の祈祷会は、使徒行伝20章1節~6節を学びます。銀細工師デメテリオたちによる騒動も治まり、使徒パウロは約3年に亘るエペソでの宣教活動を終え、トロアスを経由してマケドニヤ州に行き、それからアカヤ州にあるコリントへ赴くことにしました。最大の目的は、マケドニヤとアカヤの諸教会によって集められた援金を受け取り、そのお金をエルサレム教会の兄弟姉妹へ届けるためでした。使徒パウロは、訪れるそれぞれの教会で兄弟姉妹を御言葉によって力強く励まします。
しかし、マケドニヤを通ってギリシャ・コリントまでの旅、つまりトロアス、ピリピ、テサロニケ、コリント教会などの諸教会への旅の行程が、驚くばかりに1節と2節だけに簡素化されています。しかし、本当はこの旅でもいろいろなことがあったのです。興味のある方は第二コリント1章から7章をお読み下さい。7章5節に「マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった」とパウロは言っています。ギリシャにあるコリント教会ではパウロに対する不満があり、使徒として罷免にしようとまでの動きがありましたから、コリントへの道はパウロにとってさぞかし心に負担があったでしょう。しかし、コリント教会に派遣されていたテトスがピリピで合流し、コリント教会の兄弟姉妹がパウロに心開き、悔い改めたとの良き知らせを聞いてパウロは喜びます。パウロはギリシャ・コリント教会で3ヶ月間滞在したと3節にあるのは、そういう事情があった後の喜びの時間であり、この期間(西暦55-56の冬頃)にローマ人への手紙が書かれました。
最初に申しましたように、使徒パウロの第三回目の伝道旅行の最終行程の目的は、エルサレム教会への支援金を諸教会から預り、エルサレムへ携えてゆくことでした。この支援金のことは、この伝道旅行中に記された書簡・ガラテヤ2:10、1コリント16:1-4、2コリント8-9章、ローマ15:25-32に記されています。パウロにとって、異邦人の諸教会からエルサレム教会への支援金は、エルサレム教会の兄弟姉妹たちの貧しさを補うだけでなく、主に在ってユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンは一つであることを目に見える形で表すことのできるものであったのです。また、クリスチャン同士の愛を示すものでもありました。援助のお金は愛のささげものです。ささげる者は愛をもってそうするのですから、受け取る者も遠慮することなく、躊躇うこともなく感謝して受け取れば良いのであって、この事が愛を強め、神様の栄光をあらわすのです。私たちも、兄弟姉妹の必要の為に祈り、自分に出来ることを喜んでいたしましょう。献金も同様です。第二コリント9:7に「各自は惜しむ心からではなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」とあります。互いに仕え合いましょう。
パウロと異邦人教会のクリスチャンたちがエルサレムのユダヤ人クリスチャンたちを愛し、サポートしようとしているのに、コリントにあるユダヤ人たちが陰謀を企てたとあります。誠に残念なことです。どうしてこのような理不尽な妨害が入るのでしょう。3節にはパウロたちが旅の予定を変更したことが記されています。コリントから船で直接エルサレムへ船で向かう予定を徒歩でマケドニヤを経由することになります。試練は忍耐を生み出します。私たちの人生も計画通りとはいきません。しかし、それでも主に信頼して、主から委ねられた使命に生きるのです。
4節にそれぞれの異邦人教会を代表してパウロと共にエルサレム教会へ向かったクリスチャンたちの名が連ねられています。諸教会から集められた大金を運ぶ時の護衛役ではなく、エルサレム教会との交わりを深めるために派遣された代表です。実は、私たち一人ひとりもキリストを証しする者、それぞれ遣わされた場所で大久保教会を代表する者なのです。牧師や執事だけが代表ではないのです。私たちの言葉と行為を周りの人々は見て聞いているのです。そのことを忘れずにいましょう。
5節から、パウロのピリピでの働き(16章17節)以来途絶えていた「わたしたち」という第一人称複数形が再度用いられます。ルカがエルサレムへの旅に再度加わったのです。主の御心のうちに働き人が加えられてゆきます。「生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時がある」(伝道3:2)のです。私たちの信仰と教会の成長にも神の時があることを覚え、主に信頼して歩んでまいりましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎