みことば:「その後、パウロはアテネを去って、コリントに行った。ここで、ポントス(州)出身のアクラというユダヤ人とその妻プリスキラとに出会った。・・・、そして、職業が同じであったので、彼らの家に住んで、一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕造りであった。」 18章1~3節 岩波訳
今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝18章1節~4節を学びます。
使徒パウロの宣教の舞台は、アテネから80キロ西南に位置するコリントに移ります。
コリントは、西と東との海路の接続点、北と南との陸路の接続点に当たり、商業が繁栄した大都市です。
しかしコリント人への手紙を読んでも判る様に、この都市は非常に豊かな町であったがゆえに倫理的にも複雑で深刻な問題を多く抱えていました。
そのような都市に使徒パウロが遣わされたということは、コリントも神様の愛と赦しの対象であったことが判ります。
大久保教会が所在する新宿・大久保は歌舞伎町に隣接していますし、歌舞伎町で働く人々が周囲にも多く暮らしています。
この地に私たちの教会が立てられていること、それは神様の愛と赦しがこの地にも注がれていることと地域の人々にキリストの福音を伝える使命があることを覚えたいと思います。
パウロは、このコリントでローマ・ポント州出身のアクラとプリスキラ夫妻に出会い、彼らの家に住んで一緒に天幕造りの仕事をしたとあります。
皇帝クラウデオによってローマからすべてのユダヤ人が追放されたのです。
原因は、ローマ在住のユダヤ人社会におけるユダヤ教徒とクリスチャンとの紛争によるものだと考えられています。
すなわち、物流ルートとその速さと同じように、パウロがローマへ行く前にはすでにキリストの福音がローマにも届いており、ユダヤ教徒たちの嫉妬によるクリスチャンへの迫害が社会的騒動となっていたようです。
ユダヤ教徒もクリスチャンもローマに住む事が禁じられたので、アクラたちはコリントへ最近移住してきたばかりでした。
パウロがアクラ夫妻と一緒に住み、共に革細工の仕事をした理由は、同じユダヤ人、同業者だったからではなく、彼らがクリスチャンであったからです。
皆さんも新しい土地に住む時、また新しい職場に移る時など、クリスチャンと出会い、友となり、また一緒に仕事したいですよね。
そうではないですか。クリスチャンの友をすぐそばで見つける良い方法を紹介します。
それは自分からクリスチャンであることを周囲の人に伝えるのです。
クリスチャンの友は素晴らしいですよ。
使徒パウロは、今後アクラとプリスキラ夫妻と共にキリストの福音をいたる所で伝えてゆくのです。
主に仕える親友、同労者は同じ価値観、使命、目的を持っていますから、いつも主のために喜んで働く事ができるのです。
使徒パウロは、天幕造りという職を手に持っていました。
手に職を持つ事も神様から与えられた賜物だと思います。
月曜日から土曜日まで職人として働き、日曜日は宣教者として主と教会に仕える。
これからの時代、二足のわらじを履くような牧師が日本にも必要になってくると思います。
現に、サラリーマンをされたり、自営業をしたり、ホテルでの結婚式の司式をされて生計を立てておられる牧師もたくさんおられます。
小さな教会には、財政的に牧師を支える事が困難だからです。
私も覚悟はできています。私の父もアメリカで日本人教会の牧師として仕えている時、庭師、数学の家庭教師、日本人補修校の教師をして私たち家族を支えてくれました。
また神様がいつも必要を満たして下さる事を実体験していますから、主のお導きを信じて、従ってゆきたいと思います。
来週もっと詳しく学びますが、5節に「シラスとテモテがマケドニアからくだって来ると、パウロは御言葉(を語ること)に専念し、ユダヤ人に対してはイエスがキリストであることを力込めて証言した。」とあります。
おそらくシラスとテモテは、マケドニアの諸教会からの献金をパウロのもとへ持って来たのでしょう。
諸教会の兄弟姉妹の祈りと犠牲的な献げものによってパウロは主日から翌主日まで毎日、福音宣教の業に専念できたのです。
私たちも、自分の教会のことだけでなく、困窮している教会と牧師たちのことを覚えて祈りましょう。
そして祈りを持って少しでも支えてゆければ、神様は私たちの信仰と働きを喜んでくださると信じます。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝18章1節~4節を学びます。
使徒パウロの宣教の舞台は、アテネから80キロ西南に位置するコリントに移ります。
コリントは、西と東との海路の接続点、北と南との陸路の接続点に当たり、商業が繁栄した大都市です。
しかしコリント人への手紙を読んでも判る様に、この都市は非常に豊かな町であったがゆえに倫理的にも複雑で深刻な問題を多く抱えていました。
そのような都市に使徒パウロが遣わされたということは、コリントも神様の愛と赦しの対象であったことが判ります。
大久保教会が所在する新宿・大久保は歌舞伎町に隣接していますし、歌舞伎町で働く人々が周囲にも多く暮らしています。
この地に私たちの教会が立てられていること、それは神様の愛と赦しがこの地にも注がれていることと地域の人々にキリストの福音を伝える使命があることを覚えたいと思います。
パウロは、このコリントでローマ・ポント州出身のアクラとプリスキラ夫妻に出会い、彼らの家に住んで一緒に天幕造りの仕事をしたとあります。
皇帝クラウデオによってローマからすべてのユダヤ人が追放されたのです。
原因は、ローマ在住のユダヤ人社会におけるユダヤ教徒とクリスチャンとの紛争によるものだと考えられています。
すなわち、物流ルートとその速さと同じように、パウロがローマへ行く前にはすでにキリストの福音がローマにも届いており、ユダヤ教徒たちの嫉妬によるクリスチャンへの迫害が社会的騒動となっていたようです。
ユダヤ教徒もクリスチャンもローマに住む事が禁じられたので、アクラたちはコリントへ最近移住してきたばかりでした。
パウロがアクラ夫妻と一緒に住み、共に革細工の仕事をした理由は、同じユダヤ人、同業者だったからではなく、彼らがクリスチャンであったからです。
皆さんも新しい土地に住む時、また新しい職場に移る時など、クリスチャンと出会い、友となり、また一緒に仕事したいですよね。
そうではないですか。クリスチャンの友をすぐそばで見つける良い方法を紹介します。
それは自分からクリスチャンであることを周囲の人に伝えるのです。
クリスチャンの友は素晴らしいですよ。
使徒パウロは、今後アクラとプリスキラ夫妻と共にキリストの福音をいたる所で伝えてゆくのです。
主に仕える親友、同労者は同じ価値観、使命、目的を持っていますから、いつも主のために喜んで働く事ができるのです。
使徒パウロは、天幕造りという職を手に持っていました。
手に職を持つ事も神様から与えられた賜物だと思います。
月曜日から土曜日まで職人として働き、日曜日は宣教者として主と教会に仕える。
これからの時代、二足のわらじを履くような牧師が日本にも必要になってくると思います。
現に、サラリーマンをされたり、自営業をしたり、ホテルでの結婚式の司式をされて生計を立てておられる牧師もたくさんおられます。
小さな教会には、財政的に牧師を支える事が困難だからです。
私も覚悟はできています。私の父もアメリカで日本人教会の牧師として仕えている時、庭師、数学の家庭教師、日本人補修校の教師をして私たち家族を支えてくれました。
また神様がいつも必要を満たして下さる事を実体験していますから、主のお導きを信じて、従ってゆきたいと思います。
来週もっと詳しく学びますが、5節に「シラスとテモテがマケドニアからくだって来ると、パウロは御言葉(を語ること)に専念し、ユダヤ人に対してはイエスがキリストであることを力込めて証言した。」とあります。
おそらくシラスとテモテは、マケドニアの諸教会からの献金をパウロのもとへ持って来たのでしょう。
諸教会の兄弟姉妹の祈りと犠牲的な献げものによってパウロは主日から翌主日まで毎日、福音宣教の業に専念できたのです。
私たちも、自分の教会のことだけでなく、困窮している教会と牧師たちのことを覚えて祈りましょう。
そして祈りを持って少しでも支えてゆければ、神様は私たちの信仰と働きを喜んでくださると信じます。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎