みことば:「アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである」。17章20節 口語訳
今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝17章16節~21節を学びます。
宣教の舞台は、芸術と建築物の宝庫アテネへと移ります。アテネはソクラテスやプラトンの故郷であり、アリストテレスが定住した哲学の都市です。使徒パウロのアテネ滞在は、彼の本意ではなく、テサロニケのユダヤ人たちによる宣教妨害から避難するためであり、またベレヤに残してきたシラスとテモテの到着を待つ期間でもありました。私たちの人生でも、私たちの本意でない道を歩まなければならない時があります。しかし、そのような時も、信仰の導き手である主イエス様を見上げて、信頼してゆきましょう。もし苦しかったら、神様に祈りましょう。共に集って祈りましょう。あなたのために祈ります。神様は必ず御旨を聖書の御言葉から示して、力づけてくださいます。愛の神を信じましょう。
パウロは祈りながら散歩をし、アテネの町並みを見渡していたのでしょうか。おびただしい数の偶像が町のいたる所にあるのを見て、「心に憤りを感じた」と16節にあります。すばらしい芸術と現代が評価する彫刻や神殿は、今でこそ単なる歴史的芸術、遺跡以上の何物でもありませんが、2000年前の使徒パウロの目には異教の神々を象った偶像、その神々の神殿としか映らなかったのです。現代の偶像に何があるでしょうか。周りを見渡してください。多くの人たちがより頼んでいるものは何でしょうか。携帯電話、携帯ゲーム機、文庫本、携帯音楽プレーヤーなど、電車の中で手にしているものなどではないでし
ょうか。他にも依存しているものが多くあります。神様以外の人や物により頼むことは偶像礼拝なのです。また、私たちの風習、伝統、信念、理想も偶像になりうるのです。大久保教会はキリストのからだです。私たちの理想や伝統にのっとって形成するものではなく、祈りつつ、神の御言に聞き従いつつ築いてゆく信仰共同体なのです。
パウロは多くの偶像を見て心に憤りを感じたとありますが、「怒ることがあっても罪を犯さないように」とエペソ4:26にあるように、まず信仰のある者たちと会堂で論じます。そしてそれから広場でアテネの知識人たちと論じます。私たちにも色々と怒ること、憤ることが日々の生活、信仰生活でもあるでしょう。しかし、まず教会の兄弟姉妹と分かち合いましょう。そして互いに祈り合いましょう。祈って、主に委ねるのです。
主が御業を成してくださいます。信じましょう。
ストア派は人間の理性的能力の優越性や、個人の自己充足性を力説し、エピクロス派は快楽を人生の主要目的としました。不安と困難の時代の中で、人生問題に解決を与えようという二つの主義です。キリスト・イエス様は、自分を捨て、神と隣人を愛すること、教会の中で互いに愛することを私たちに命じられました。私たちが生かされているのは、神と隣人に仕えるため、愛するためであることを聖書から聴き従いたいと思います。
20節に「アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである」とあります。今の日本人も同じではないでしょうか。世の中には最新のニュースや情報、雑学を熱心に求める人、雑学王がたくさんいます。しかし、私たちがクリスチャンとして熱心に求めてゆかなければならないのは、イエス・キリストという神の御言の現われ、真理なのです。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝17章16節~21節を学びます。
宣教の舞台は、芸術と建築物の宝庫アテネへと移ります。アテネはソクラテスやプラトンの故郷であり、アリストテレスが定住した哲学の都市です。使徒パウロのアテネ滞在は、彼の本意ではなく、テサロニケのユダヤ人たちによる宣教妨害から避難するためであり、またベレヤに残してきたシラスとテモテの到着を待つ期間でもありました。私たちの人生でも、私たちの本意でない道を歩まなければならない時があります。しかし、そのような時も、信仰の導き手である主イエス様を見上げて、信頼してゆきましょう。もし苦しかったら、神様に祈りましょう。共に集って祈りましょう。あなたのために祈ります。神様は必ず御旨を聖書の御言葉から示して、力づけてくださいます。愛の神を信じましょう。
パウロは祈りながら散歩をし、アテネの町並みを見渡していたのでしょうか。おびただしい数の偶像が町のいたる所にあるのを見て、「心に憤りを感じた」と16節にあります。すばらしい芸術と現代が評価する彫刻や神殿は、今でこそ単なる歴史的芸術、遺跡以上の何物でもありませんが、2000年前の使徒パウロの目には異教の神々を象った偶像、その神々の神殿としか映らなかったのです。現代の偶像に何があるでしょうか。周りを見渡してください。多くの人たちがより頼んでいるものは何でしょうか。携帯電話、携帯ゲーム機、文庫本、携帯音楽プレーヤーなど、電車の中で手にしているものなどではないでし
ょうか。他にも依存しているものが多くあります。神様以外の人や物により頼むことは偶像礼拝なのです。また、私たちの風習、伝統、信念、理想も偶像になりうるのです。大久保教会はキリストのからだです。私たちの理想や伝統にのっとって形成するものではなく、祈りつつ、神の御言に聞き従いつつ築いてゆく信仰共同体なのです。
パウロは多くの偶像を見て心に憤りを感じたとありますが、「怒ることがあっても罪を犯さないように」とエペソ4:26にあるように、まず信仰のある者たちと会堂で論じます。そしてそれから広場でアテネの知識人たちと論じます。私たちにも色々と怒ること、憤ることが日々の生活、信仰生活でもあるでしょう。しかし、まず教会の兄弟姉妹と分かち合いましょう。そして互いに祈り合いましょう。祈って、主に委ねるのです。
主が御業を成してくださいます。信じましょう。
ストア派は人間の理性的能力の優越性や、個人の自己充足性を力説し、エピクロス派は快楽を人生の主要目的としました。不安と困難の時代の中で、人生問題に解決を与えようという二つの主義です。キリスト・イエス様は、自分を捨て、神と隣人を愛すること、教会の中で互いに愛することを私たちに命じられました。私たちが生かされているのは、神と隣人に仕えるため、愛するためであることを聖書から聴き従いたいと思います。
20節に「アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである」とあります。今の日本人も同じではないでしょうか。世の中には最新のニュースや情報、雑学を熱心に求める人、雑学王がたくさんいます。しかし、私たちがクリスチャンとして熱心に求めてゆかなければならないのは、イエス・キリストという神の御言の現われ、真理なのです。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎