がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

私にとっての「嵐」、近藤一男

2011年06月30日 | 仲間の声
千葉県在住 近藤一男

 私のふるさとは山形県置賜盆地の米沢です。兄弟たちは仙台に住んでいますから、このたびの東日本大震災はふるさとが被災したと心が痛みました。一日も早い回復を望んでいます。
 このたび、洋画家の齋藤史夫様から「ナラの木」のことをうかがい、感激しました。それを4こまの紙芝居にして、お世話になっている老人ホームで米沢なまりで読んでいます。
 人には誰でも「嵐に打ちのめされる」ことがあるように思います。私にとっては63年前の夏の日がその嵐でした。1949年(昭和24年)7月14日のことで、その日は猛暑の日でした。私は鉄道機関士で、奥羽本線下り419列車の復路424列車を牽引して、米沢に午後13:30に到着したのでした。往復180キロの長旅でした。業務報告を終えたとき、区長に呼ばれました。そこに待っていたのは辞令でした。
「政府行政機関定員法ニ依リ、機関助手雇ヲ免職スル。近藤一男」と黒々と書いてありました。幼少の日から憧れていた機関士の夢はこの一枚の辞令で嵐のようにかき消され、吹っ飛ばされてしまいました。戦後の混乱期にはさまざまな改革がおこなわれ、突然に大きな人生の変化を余儀なくされた人がたくさんいました。
 あの日から60年以上が経ちましたが、昨日のように思われます。苦しいこともありましたが、ここまで元気で生きて来られたのは、ふたつの言葉に支えられてきたからです。
 ひとつは米沢藩祖、上杉鷹山(ようざん)公の教訓「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」です。もうひとつは「青春とは」にある「青春とは年齢をいうものではない。夢を持って生きることは青春そのものである。夢を失えば既に老人である。」ということばです。
 「ナラの木」を読み、語り続けるたびに、今まで気づかなかった自分の内にある「根っこ」がどんどん強くなっていくような気がします。「ナラの木」を知ったことは私の心の大きな支えになりました。ありがとうございました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。