中国地方の戦国武将9:忠臣か佞臣か、評価が分かれる関が原 2004-11-25 00:11:26 | 戦国時代 以前関が原の合戦に関連して毛利家の重鎮2人を記事で取り上げたが、今回はその一人である吉川広家について、取り上げてみたい。 吉川広家は毛利元就の次男吉川元春の三男として生まれた。最初名を経言と言い、宮庄氏を相続していた。ところが長兄の元長が死去したため、経言が吉川家を継ぎ、その際に広家と改名した。広家は経言と名乗っていた頃、毛利対織田の備中陣を経験しており、関が原とともに毛利の大きな危機をいずれも . . . 本文を読む