ニュージーランド移住記録「西蘭花通信」

人生の折り返しで選んだ地はニュージーランドでした

1粒のダイヤよりも

2002-06-01 | アクセサリー作り
「ニュージーランドに行って何するの?」
移住、移住と言っていると、何回も同じ質問を受けます。私はかの地で暮らすことを夢見ているので、"住むこと"が一番の目的です。だから、
「何するって、生活するのよ!」
というのが最も正直な答えですが、そんなことを言おうものならケンカを売っているとも取られかねず、返答に窮します。

質問するほとんどの人は、
「何の仕事をするのか?」
「どうやって暮らしていくのか?」
もっと端的に言えば、
「食っていけるのか?」
と聞きたいのでしょうから。

ケンカを売るつもりはさらさらないので、2番目の選択肢として、
「ビーズ屋さんかなぁ」
と答えると、チカラない笑いとともに、
「そうよね、まだビーズにハマってるのよね~」
とのお返事。

今度はテキトーな冗談ではぐらかされたと思われたようで、
「いいわねぇ、夢があって。で仕事は?」
と、また振り出しに。
「え~っと、だからビーズ・・・・」
と口ごもっていると、
「ま、ゆっくり考えれば。」
と、聞いてきた本人が話を締めくくり、聞かれていたこちらはポツネンと取り残されることも・・・。

実は一昨年、「店を出すかも・・・」という期待が一気に膨らんだ時期がありました。知り合いの知り合いが、ラマ島という今では毎週のようにガラス工芸を習いに行っている離島で、自作の陶器を売る小さな店を持っていたのです。しかし、彼女が香港を離れることになり、それを聞きつけた私が知り合いに頼みこんで紹介してもらい、やはり陶芸をやっている友人と2人で、店を譲ってもらえないかと直談判に赴いたのでした。

店は1坪もないこぢんまりしたもので、入り口には色とりどりの花があふれんばかりに置いてあるのに、一歩中に入るとお手製の棚に落ち着いた色の和食器が品よく並んでいました。友人と2人一目で気に入ってしまい、瞬時に共同オーナーになることを決心しました。

それからしばらく頭の中は離れ島の店のことでいっぱいでした。
"外は明るいのに南国らしい大粒の雨が降っている。通りの人通りが引く。少し暗い店の中ではみことが小さなランプで手元を照らしながら1人でアクセサリーを作っている。静か。"
という、芝居のト書きのようなシーンが頭から離れなくなり、誰も来ない雨の日に店番をしている自分を何度も遠くから眺めた気がしました。

結局のところ、店は私たちのものにはなりませんでした。家主が自分で経営していくことに決めたからです。内装には手を入れずに、どこかで買ってきたらしい陶器がしばらく並んでいましたが売れないらしく、そのうちキーホルダーだの携帯ストラップだのといったお土産アイテムが並びだし、何屋か判然としないほど見境なく何でも売る店になってしまいました。それでも上手くいかなかったと見えて、今では店先にジューサーを並べたジューススタンドに衣替えしています。

今でも店の前を通りかかるたびに、
「あの時借りられていたら・・・」
とチラリと思ったりもしますが、縁がなかったのだから仕方ありません。でも"誰も来ない雨の日の店番"というイメージはいまだに私の中にあり、遠のくどころか心の奥に深く深く根を下ろし、
「これがデジャヴュになる日が来る・・・」
という漠然とした思いが静かに堆積しています。だから私の「ビーズ屋さん」は決して荒唐無稽な話でもないのです。本当に、1粒のダイヤより1トンのビーズを!


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編集後記「マヨネーズ」  
長男のイギリス人クラスメートのママから電話をもらい、
「今度の日曜に船を出すけど家族で来ない?」
という気さくなお誘い。香港というところは貧富の差が物凄く激しいので、こうして自家用クルーザーを持っている人もいれば(NZとは比較にならない維持費でしょう)、1ヵ月に3万円ちょっとの生活手当で何人もの家族が暮らしていたりと、ピンからキリまであらゆる階層の人がいます。

なのでどの辺をして中流と言うのかも難しく、どんな金持ちも貧乏人も実に堂々としています。それぞれが
「金持ち(or 貧乏)でなにが悪い?」
という訳なのです。子どもたちのクラスメートにはマンション3階分を吹き抜けにして使っている家に住んでいたり、運転手・テレビ付きBMWの送迎で遊びに呼んでくれる子もいます。お誕生パーティーともなれば高級ホテルや会員制クラブで盛大にやり、持たせたプレゼントよりも高価なお返しを持って帰されます。

こうなると、同じようにすることは到底不可能です。そんな時は心をこめてアクセサリーを作ることにしています。本物のブルガリやカルチェでジャラジャラ状態のママたちなので、手作りアクセを贈るなんて勇気がいることかもしれませんが、私にできるのはそれくらいなので怯みません。

結局クルーズに誘ってくれたママには、大振りのチェコ、ソロバン型のスワロ(フスキー)に淡水パール、黄緑がきれいな天然石のペリドットにラウンドカットのスワロを、それぞれチェーンのところどころに散らした3連のネックレスをプレゼント。パールと天然石以外はすべてパープルにしてみました。

「本当に作ったの?信じられない!」
お世辞でも喜んでもらえれば嬉しいもの。
「何色が好きだかわからなかったから、あなたのことを思い浮かべながらテキトーに組み合わせたの。」
と正直に言うと、彼女は驚いたように、
「My favourite colours!」
とクイーンズ・イングリッシュならではのスペルを連発し、サッと手の甲をこちらに向けて腕を見せてくれました。

それぞれの腕には素晴らしいカットの濃紫のアメジストのブレスと、鮮やかな黄緑のエナメルベルトにアンティークの高そーな時計がはまった腕時計が・・・。

キンコンカンコン♪キンコンカンコン♪キンコンカ~~ン♪♪
のど自慢のあの鐘が、私の中で鳴り響く瞬間!


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後日談「ふたこと、みこと」(2021年1月):
あれから18年経ち、「ビーズ屋さん」はアクセサリーの寄付のためにリタイアすることで、形を変えて実現しました。収入があるかないかの違いで、アクセサリーを作るという点では一緒で、対価には全くこだわっていません。逆に言えば、こうなるには18年の長い年月が必要だったのです。


今になって読み返し、「店を出すかも・・・」という遠い遠い計画に思わず笑顔に。『むかしの夢はいい夢。かなわなかった遠い思い出』というフレーズが、映画「マディソン郡の橋」にありませんでしたっけ?一緒に店を出そうとしていた友人も、もう忘れていることでしょう。今度聞いてみよう



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