ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

WBC終わりました

2023-03-22 | 
かったWBCも 今日で終わりました。私は明日から 何を生き甲斐に生きて行けば良いのでしょう(大げさ)

記録だけは残しておきましょう。

きのうの準決勝、メキシコ戦。

0―3で負けていた時に吉田選手のスリーランで同点。これが無かったら 優勝していないかも。



太い柱に当たったようです。


その後 1点入れられましたが、大谷君が最終回の先頭として二塁打を放ちました。一塁を蹴る前にヘルメットをほおり投げて激走。玉の行方によっては、三塁まで行くつもりだったようです。

二塁上ではチームを鼓舞するかのように叫んでいた。たぶん『カモン カモン』と。

吉田が四球で続くと、今大会苦しんでいた村上宗隆選手の劇的なセンターオーバーのタイムリー二塁打での逆転勝ちには しびれました。

村上選手が目を覚ましたようです『おはようございます』

決勝戦でも特大ホームランを打ちました。

『最高で~す』の岡本選手もホームラン。

最後は大谷選手が登板しました。泥で汚れたユニフォームのリリーフはありえませんが、大谷君は別です。

打って、走って、投げる大谷君だからこそです。なんか アニメ化してほしいです。

最後の最後はエンジェルスの仲間のトラウトでした。今日の敵は明日の友です。

三振を取ってゲームセットです。



三振をとった後は グローブも帽子も投げ捨てましたね。

おめでとう。侍ジャパン。






ダルビッシュ有は 宮崎キャンプから参加し、若いピッチャーを指導し、会食を催し、チームをまとめました。昔の孤高さは消え、みんなのお兄さんみたいでした。






参加できなかった鈴木選手のユニフォームに金メダルをかけたのは 村上選手です。不振の村上選手に励ましの動画をおくったのが鈴木誠也選手でした。



監督 とてもうれしそうです。頭を使い、気を使い、少しづつ やつれて見えました。これで勇退だそうです。少し休んで下さい。


MVPは 投げて、打って、走った大谷将平君。






日本時間の夜11時過ぎには ダルビッシュ有と一緒にアリゾナに出発しました。

あ~明日からは 侍ロスだな~


偶然の偶然

2023-03-22 | 

東京の行き先は国立市でした。

乗り継ぎが不安な夫婦は 隣の立川市まで羽田空港からリムジンバスです。

立川駅からは京浜急行で ひと駅の国立駅へ。昔から学園都市で、たくさんの大学があります。昔 高校の同級生が住んでいたので来たことがありますが もう40年以上前の話です。

夫は東京に住んでいたのは50年以上前ですから 全く異次元になっています。

昔の国立(くにたち)駅舎を保存していて 後に再建し 待合所や案内所や展示場所としていました。赤い三角屋根の可愛い建物です。



その前には桜が咲き始め 春らしい光景が広がっていました。雨が残念です。



用事が終わり 帰る時 再び立川駅のリムジンバス停で待っていた時のことです。

買い物をすることもなく、ひたすらバスを待ち続けた 田舎者です。一度座ったら動きません(笑)だって移動したら この場所に戻る自信が持てませんから。


遠くの階段から明るい色の上着と 明るい色の杖をついたロングスカートの女性が降りています。

『都会の女性は 高齢でも おしゃれだなぁ』と思っていたら、いつのまにか近くに来て話しかけられました。

『ここは羽田空港への乗り場ですか?』

私『はい そうです』『どちらからですか?』

相手『大分県からです』

ここまでは 偶然とは言えないのですが、話を続けていたら 共通の友人がいることがわかりました。

その友人は 湯平のAさん宅にみえて 帰りに寄ってくれる高校の同級生です。

更に 東京に来ている時にAさんの ご主人が夫に留守電をくれていて、そばで夫がAさん宅に電話をかけていました。

東京で 大分県の人と会ったことも偶然ですが、その人と共通の友人がいて、しかも 夫が その友人の ご主人に電話していて・・・不思議な感じがしました。

1時間近く待って、無事リムジンバスに乗れました。都会は 交通は便利だけど 歩く距離が長いのです。乗り場までいくのが長いのです。エレベーターでも 動く歩道でも 右側から人が ジャンジャン追い越して行きます。

日本人 そんなに急いで どこへ行く