goo blog サービス終了のお知らせ 

縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

古の勾玉からヒトを学ぶ・・・出雲・眞名井の勾玉

2024年09月08日 08時11分16秒 | ぬなかわヒスイ工房
出雲大社ちかくの「眞名井遺跡」から出土した勾玉のレプリカを観察する機会があって、写真や実測図ではわからない頭部~尾部にかけての面取り具合を確認できた。
この勾玉は極上のロウカンヒスイであることを抜きにしても、独特のシュッとしたスマートさが魚が泳ぐような動きを生んでいて、北部九州と並んで勾玉の最高傑作のひとつだと思う。
山陰ではヒスイは加工されてなかったそうだが、北部九州の定形勾玉とは明らかに系譜がちがうし、見慣れた東部北陸の勾玉ともちがう系譜なので、西部北陸あたりでつくられたものか?作者はよほどの人物?・・・マジに会いたいと思う。
勉強のために模造を続けてきたが、必然性があっての出土品のカタチを真似しただけでは意味がなく、書道家の臨書のようにその内実を感じ取るべきもの。つまりは臨作だ。
 
常設展示されている出雲歴史博物館は照明が暗いのでわからなかったが、明るい場所ではホコリや指紋だらけで、縦半分に線がみえて樹脂製であることが判明し、神秘のベールが剥がれたけどw
 
 
 
 

イズモにより能登で囚われていたヌナカワ姫の伝説を検証する・・・悲劇のヌナカワ姫伝説もまた口承文化

2024年09月07日 08時09分03秒 | ぬなかわ姫
出雲の八千鉾神がヌナカワ姫を能登に連れ去った伝説がある。
旧市役所前のヌナカワ姫の銅像の足元にすがっているのは幼少時代のタケミナカタ神なのだが、この神様の伝説が糸魚川で見当たらないことを俎上にあげずに親子と断定するのは如何なものか?
 
「天津神社並奴奈川神社」によると
①ヌナカワ姫に懸想した出雲の八千鉾神が、夫神のヌナカワ彦を殺して能登に連れ去る
 
②ヌナカワ姫と八千鉾神と仲睦まじからず、ヌナカワ姫はひとりで逃げ帰るが稚児ケ池にお隠れになった(死んだ・殺された)
 
といった内容だが、数あるヌナカワ姫伝説のなかで際立って具体的なこの伝説がなんらかの史実を反映した可能性を検証している。
グーグルアースで出雲系の神社と弥生時代後期のヒスイ加工遺跡がセットになった適地を探したら、羽咋市の気多大社~七尾湾に平野がベルト状にひろがっていて、地形的には珠洲市の珠洲神社より可能性は高いと気付いたのが3年ほど前。
 
ボランティア帰りに羽咋市歴史民俗資料館に寄って質問したら、気多大社のすぐ近くに弥生中期~後期の能登半島最大のヒスイ加工遺跡、国指定遺跡「吉崎・次場遺跡(よしざき・すばいせき)」があることが判明して色めき立った。
ヒスイのフレーク(薄片)が出土しているのは、二次加工ではなく一次加工していた証し。
この遺跡は弥生時代に半島奥部まで入り込んだ広大な汽水湖だった邑知潟(おうちがた)の左岸に位置して、稲作適地でありヒトの往来のしやすさという点でも伝説にリアリティを感じる。
だたしこの遺跡からは青銅器や山陰系土器が出土していても、山陰系の「四隅突出型墳丘墓」が見つかっておらず、学芸員さんはいつか発掘したいと意気込んでおられた。
 
また付近に柳田(やないだ)という地名があり、大正までヌナカワ姫・ヌナカワ彦を祀っていた「奴奈川神社」が、柳田権現・柳形明神と呼ばれていたことと関係があるのか?
調べたら「吉崎・次場遺跡」の古邑知潟の対岸の丘陵に、古墳時代の「柳田古墳群」があることも判った。羽咋市図書館で柳田の地名由来や口碑を調べたが不明だったことと、ちょっと後の時代であるのでこの件は保留。中能登から富山にかけて柳田という地名が多いのも謎。
グーグルアースのアップ。吉崎・次場遺跡が気多大社に近いことがわかるが、弥生時代なら邑知潟はもっと広大だったので舟をつかえば30分もかからない距離かな。
 
弥生時代は西の玄関口と栄えた能登半島西部の遺跡群も、古墳時代には衰退して東の玄関口の七尾湾周辺が栄えたようだ。支配者が山陰勢力から畿内勢力にとってかわったことと関係しているのだろうか?
 
糸魚川東部の能生地区にはヤマトから派遣された四道将軍の大彦命が、ヌナカワ姫の子孫のヌナカワ長者を退治する伝説がある。
 
これらの伝説が史実の反映だとすると、弥生時代は山陰、古墳時代に畿内と、支配者がかわるたびにご先祖様たちは苦労したことが伺える。
 
ヌナカワ姫を語る場合、「天津神社並奴奈川神社」の記述を抜きにして、古事記や出雲國風土記の断片的な記述だけを都合よく切り張りして創作したモノガタリを史実のように語る人が多い。
 
しかしヌナカワ姫は信仰の対象であることを忘れてはならないし、先祖代々と伝えられてきた口碑も口承文化であるので、安易な創作は文化の捏造・破壊につながるという自覚をもってほしいものだ。
 
 
 

よみがえる女神ヌナカワ姫・・・清水友邦・寿子夫妻が糸魚川を再訪問

2024年09月05日 07時04分41秒 | ぬなかわ姫
長野で開催された「いのちの祭り」の帰りに清水友邦・寿子夫妻がよってくれて7年ぶりに再会。
最初にあったのは清水さんの著作「よみがえる女神」の取材で、ヌナカワ姫がイズモに殺された伝説のある稚児ケ池を案内した時
縄文の女系社会が弥生以降に男系社会に変化していった歴史を女神の神話から読み解いたのが「よみがえる女神」
門前町の無斑晶質安山岩製の勾玉連珠「能登之神」を一目で気に入ってくれた寿子さんが購入してくれた。ヒスイでなくても「これ!」と直感で買ってくれるフラットな感性は流石ですなぁ。
ヒスイ峡などを案内したが、身に着けていてもることを忘れるほど馴染んでいるそうだ。
インドの山奥で修行するたレインボウマン?ヨガと呼吸法の先生でもある清水さんをヒスイ峡に案内した時の写真で、ロケーションがいいので来年は清水さん企画の糸魚川ツアーも実現しそうだ。
 
二日目は清水友邦さんの著作「よみがえる女神」の表紙を飾った長者ヶ原遺跡考古館のヌナカワ姫像と再会のあと、市内ガイドを兼ねて縄文ツアーのロケハン。
「よみがえる女神」では、イズモに抹殺されたヌナカワ姫を封印された女神として主役級のあつかいをされているのだけど、フォッサマグナ・ヒスイ・縄文につながっているので、わたしは糸魚川ガイドの中核にすえている。
長者ヶ原遺跡にて。糸魚川は観光地でなくとも、実は歴史や文化面から語れば観光資源は豊富。
つまりはモノガタリの伝え方次第でリピーターになってくれる面白い街なのだ。たとえば新潟県なのに長者ヶ原遺跡の土器は越後系がすくなく北陸系が多いのは何故?などなど
ヒスイをひろって一攫千金お宝ゲット!という唯物的に資源を切売りするような情報発信では、ヒスイの価値をおとし枯渇の原因になってしまう。
 
モノからモノガタリの情報発信の転換を!
 
 
 
 

ボランティアをサポートするボランティアさん登場・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年09月02日 06時25分40秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
滅多に弱音をはかない母が胸が痛いとうったえ、尋常ではない様子に救急車をよんで緊急搬送。
 
半ズボン・タンクトップの「未来少年コナン」スタイルの私は、冷房のきつい待合室で半日も待機させられていたら体調をくずした。
 
病院で病気になるなど洒落にならんが、幸い大事に至らず母子ともども帰宅w。
そんななか漆器洗いのボランティアを名乗りでてくれる女性がいて、元気をもらって体調は復調の兆し。
 
漆器の汚れ落としも、売ってもらうのも、買ってもらうのも誰かを助けている在宅ボランティア。その輪が広がって各地に出向いたり、相談にのったりと以前とは忙しさの質がかわってきている。
 
怒涛のように押し寄せるメールで詳細を返信する気力がないので、簡単なことは電話問合せで一発解決してくださいな。