けんか祭りの特殊さは神輿をぶつけ合うということもあるが、喧嘩神輿というだけなら他の地域にもある。
しかし糸魚川のけんか祭りのように、神輿を担いで走るのは滅多にあるまい。
土埃を上げ、怒号を挙げて男たちが奔る!走る!はしる!
走っては神輿をぶつけ合い、離れては再び走るということが六回以上繰り返されるから、最後はフラフラになる。
神輿の重さは400キロ弱。
白丁(はくちょう)という白装束の役が十名で担ぐ。
「400キロを10人で担ぐんなら、一人当たり40キロだから担げないこたぁ無いね。」とある女性に言われたことがあるが、あの時は首を絞めてやろうかと思った。
歩くだけでもかなりきつい上に、何回も走るのである。
しかも男たちが担っているのは物理的な神輿の重さだけではない。
私が初めて白丁をする時、叔父が真顔でこんな忠告をした。
「絶対転ばれんぞ。途中で転んだらワレ一生笑いもんになるケンども、オラ親戚のモンまで後ろ指差されれて笑われるわんぜ!」
つまり男の尊厳を背負っている訳で、一生笑いものになり男として認められないというのは物凄い重圧なのだ。
10名の白丁だけでは担いで歩くだけで精一杯。
走るには15名の「手引き」がゴンゴンと神輿を引っ張っぱるから可能となる。
寺町の手引きは萌木色、押上は緋色の法被を着ている。
寺町の手引き
手引きは一本の綱で神輿を引っ張るのではなく、各自の手首に晒し木綿の輪っかを通して連結して引くのである。
人によっては手首が抜けそうになったりもするが、苦しくて手首を抜いたら「一生の恥」という重圧がある。
かっては手引きと白丁の経験がないと一人前の男と認められなかったそうだ。
祭りの間中、舞楽が「三つ拍子」という緩やかで厳かな曲を演奏されているが、調子が一転して、ドンデンドーンッ!ドンデンドーンッ!という風雲急を告げる「お走り」の調子となるとクライマックスの「お走り」となる。
全身総毛立ち血が沸騰する。
目指すは拝殿東側に設けられた臨時の神輿庫。
一の神輿が神輿庫に神輿を収めるところを二の神輿に見られなければ、一の神輿の勝ちとなるが、予め半周以上のハンデがあるので逆転するということはない。
「絶対に転ばん!」{死んでも転ばん!」と念じ続けて、男たちは奔る!走る!はしる!
こんな重圧のなかで俺たちは四〇〇年間も祭りを続けてきた。
心臓が破裂しそうだ。
でも自分の苦しみは今ここにいる仲間たちも同時に味わっている。
だから祭り仲間は、かけがいのない同志だ。
そして我々の先祖も潜ってきた苦しみでもある。
けんか祭りに参加すると、ご先祖が身近に感じて墓参りしたくなのである。
祭りまであと五日。
縄文ファリシズムを石笛にデザインしたら友達に受けた。
そして悪乗りしてこんなモノ作った!
世界初?蛇紋岩製の御物石器型石笛!!
朝日に向かって屹立する孤高の縄文ファルス!
この石笛は高さ6㎝くらいで出土品はもっと大型だけど、こんなデザインのものが多い。
御物石器の中でも男根形の出土品、石棒と呼ばれている。
ところがだ、この石笛の外見は縄文時代出土の石棒レプリカでも石笛であるという点に注目して頂きたい。
石笛ということは息を吹き込む孔が開いているということで、つまり男性器と女性器を併せ持つ両性具有になっているのである。
したがって宇宙を現しているのでR!・・・と後から理屈をつけた(笑)
吹き口はこうなっている・・・傑作だぁ~。
この角度だと物思いに耽けるザク(ガンダムに出てくるロボット)。
インドの辻には、赤く彩色された巨大な石製男根が立っていることがある。
シバリンガムといって、シバ神の象徴であり日本の道祖神と似た意味合いがあるのだ。
よくよく観察すると、シバリンガムの根元には茶臼の下部のような注口器状のお皿になっており、礼拝者が上からかけた水が手前に流れ落ちていくようになっている。
これはヨニといって女性器をシンボライズしたもので、シバリンガムも陰陽対になっていることが解る。
後姿・・・腕組みをするハニワのよう・・・。
さてさて、この石笛の素材は蛇紋岩。
糸魚川の河原や海岸にゴロゴロしている珍しくも無い石だけど、縄文人にとっては優秀な磨製石器素材であり、糸魚川で磨製石器に加工されて各地に運び込まれて珍重されてきた聖なる石(?)である。
その名の通り、表面に蛇紋石の結晶がヘビのウロコ状に見える。
原石はザラザラして綺麗ではないけど、研磨するとこんなに綺麗に光ってくれる。
この石笛、縄文人なら小躍りして欲しがるだろう。
ヒスイだけが糸魚川の石じゃないぜ!
けんか祭りは糸魚川市を代表する祭りといっても、寺町区と押上区の男だけに参加が許された祭り。
かってはどちらも漁師町だったので、昔は漁区を巡った日頃の遺恨が祭りで炸裂してホンモノの喧嘩沙汰が多かったようだ。
一の宮(天津神社・奴奈川神社)の境内を一の神輿が西側、二の神輿が東側と決まっており、東西に「踏ん張り桟敷」という陣地を組む。
寺町、押上の両区は毎年、一の神輿と二の神輿を交互に担ぐことになっており、拝殿と舞楽舞台を時計まわりに回って、頃合いを見計らって二基の神輿を組ませて押し合うのだ。
寺町が勝てば豊作、押上が勝てば豊漁が約束される神占いの神事である。
祭りの翌日は踏ん張りで直会。
つまり神輿同志でがっぷり四つ相撲を組み、真向勝負の力比べをするのである。
組合う回数は最低六回以上と決まっており、あと何回組合うかは天候や疲労具合を考慮して両区の運営委員長同志の現場判断に委ねられている。
男たちが吠え、神輿が軋む。
神輿が激しくぶつかり、壊れるほど神サンが喜ぶとされる。
この時、見物人たちは「負けんなや~!」と声援をおくる。
寺町も押上の男達も「負けとられん!」と必死だ。
昨今のスポーツ選手は「勝ちにいきます」と決意を表すが、けんか祭りの参加者達は「負けまい」とするのである。
ここが重要で、「佳いなあ~」と思うところ。
負けまいとするのは受けの美学があるからである。
日本人は勝負事に受けの美学を求めてきた。
大相撲最高位の横綱には、立会において対戦相手の息に合わせて受けて立ち、先に組ませてからが勝負という「横綱相撲」が求められてきたのである。
能動的に勝とうとせず、ひたすら無心に全身全霊をかけて戦い、結果として負けないという受動的な態度。
勝ち負けより、参加者各位がどれだけ全力を尽くしたのが問われるのがけんか祭りである。
あと八日!