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「けんか祭り」徹底解剖大図鑑!・・・鶏爺の竹編

2014年04月13日 21時26分08秒 | 糸魚川自慢



けんか祭りが終わって二日目・・・生欠伸が出て眠くて仕方なく、誰とも話したくない・・・ひとり静かに余韻に浸っていたい感じ。

この時期の私は借りてきた猫のように大人しいとよく言われるけど、今はギリギリと引かれた心の張りが少しづつ解れていく状態で、一週間くらいかけて日常モードに戻っていく。

今日は鶏爺の青竹で箸を作った。

鶏爺(トリジ)と運営委員長に記念としてプレゼントするのだ。
二人とも私が生まれ育った新町(寺町4・5丁目)の人で、特に運営委員長は幼馴染の従弟であり、今年の祭りは私にとって特別だったのである。

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箸はそれぞれの家族分の七膳作るので結構な仕事量だ。
竹を割って、削って、ヤスリを掛けて、焙って油抜き、天日乾燥の手順。


鶏爺はけんか祭り
において神様を迎える大役で、神の憑代である青竹を自宅に立て、祭りの間は招魂した神と共に過ごす接待役のようなものだ。

生涯に一度しか経験できない名誉であり、誰でも希望すればなれる役ではない。

鶏は神の使いという思想から鶏爺という役が出来たのだと思うし、伐り取ったばかりの青竹は新鮮な霊力を持つという考えから憑代に選ばれたのだと思う。

今でも東南アジアに残っている風習だが、かって日本の出産では伐り取ったばかりの青竹で作った片刃ナイフで臍の緒を切る風習があった・・・青竹は魔を祓うのだ。

クリスマスツリーのルーツは、キリスト教以前から西洋においては冬至の神の憑代であり、春の神の憑代のメイポール、ネパールのインドラ神(帝釈天)の憑代となるインドラジャトラ、そして諏訪の御柱や糸魚川市の寺地遺跡の四本の列柱などなど、鶏爺の竹の類例は見ることが出来る。


さて、鶏爺の自宅に立て、祭りの最中には踏ん張り桟敷に立てられる憑代の青竹だが、何時・誰が・何所で伐り取って・祭りが終わったらどうするのか?

私も詳しく知らなかっので、今回の祭りで調べた。
ここに一気に公開!
題して「けんか祭り」徹底解剖図鑑!・・・鶏爺の竹編(笑)

ただし今回は押上区の竹伐りも見学したら手順や作法など違いがあったので、ここで紹介するのはあくまでも寺町区の方法。


①4月6日・・・竹を見立てて晒しを巻いて目印を付けておく。

 伐採場所は一の宮(天津神社・奴奈川神社)東側の竹林。

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②4月8日夕方5時・・・一の宮(天津神社・奴奈川神社)に集合して祭りの準備。

③目星の竹にお神酒でお浄め後、最初に鶏爺が竹に土下座してから鋸を入れる。

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神妙にノコギリを入れる鶏爺の世木さん。

④鶏爺の親戚2名、竹伐り名人1名の合計4名が同様の礼拝をして伐採。

⑤竹を鶏爺の7.5尋(両手に紐を持って広げた長さを1尋とする)に切り落とす。

⑥青竹を有志がワッショイと囃しながら歩いて鶏爺の自宅まで運び、立てる。


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⑦4月10日朝、禊の後に青竹を鶏爺の自宅から寺町区公民館、一の宮へとワッショイと囃しながら歩いて移動し、踏ん張り桟敷に立てる。

⑧祭りが終わったら再び鶏爺の家に立て、12日早朝に倒して解体。
 解体された竹は縁起物として鶏爺の親戚や祭り関係者に配る。

以上が鶏爺の竹の全貌!


どうですか?
けんか祭り好きの皆さん。(特に消防士のIさん!)
竹の長さは鶏爺の7.5尋に切り落とすということまでご存じでしたか?(笑)

これまでのけんか祭りの記録は見物者の立場の人が、祭り当日に一の宮境内の中で起こっている事だけを民俗例を引きながら解説するというパターンが目につく。

当事者が祭りの前後を当事者のために記録し、後世に伝えていくことも大事だと思うのだ。