悲劇のヌナカワ姫伝説・・・姫川の由来について
糸魚川には糸魚川という川はなく、「糸魚川下流でヒスイを採取」と、地名とヒスイを産する姫川を混同した記述がよく見受けられる。
さて姫川の名の由来だが、ヌナカワ姫が入水自殺した「姫ケ淵」に由来するとの口碑が幾つか信州に残っており、以下はその代表的な「北安曇郡郷土誌稿」の記述をご紹介。
「北城(ほくじょう)村字大出(おおいで)の地籍に属する姫川の中程に、姫淵(ひめがふち)といふ深い淵がある。大昔沼川姫の御入水の淵だと言はれてゐる。姫淵も姫川もこのことから名づけられたのだ。尚姫は入水に当つて一子を残された。その御方が諏訪大明神だ」
糸魚川市商工会議所でヌナカワ姫の連続講座があり、参加者たちに聞くと悲劇的な伝説には一切触れず、古事記に記述された出雲の八千鉾神との求婚問答歌を中心としたラブロマンスだけが教えられたそうだ、と何度かブログに書いてきた。
ラブロマンスに感動した参加者がSNSで拡散したり、歌を作るという事態までが起きており、個々に悲劇の口碑を教えてあげると「そんな悲劇は教えてもらってない!」と皆さんビックリされる。
私の所には「悲劇のヌナカワ姫」を慰霊したいと各地から案内を乞う人が沢山訪ねて来るが、昨今のラブロマンスによる地域活性活動を教えると、やっぱり皆さんビックリされる、というより憤りを感じたり嘆き悲しんだりされる。
いかがだろうか?
古事記を元にしたラブロマンスを創作するのは個人の自由、とは思うが・・・。
ラブロマンスだけを流布していると、悲劇の口碑を知った方々からは糸魚川市民の見識や良識といった民度が疑われかねないのだ。
文化発信で地域の活性化を願うなら、悲劇の口碑も同時に発信すべきと思うのは私だけではないことは確か。
何人もの郷土史家から憤りを聞いているが、狭い街で異論を唱えることで人間関係が悪くなるという同調圧力を感じて、みなさん嘆くばかり。
私はヌナカワ姫を祀る神社の氏子であり、姫は信仰の対象だから、人間関係とは無関係に声をあげる時はあげる。
悲劇的な伝説を持つ神様を、お手軽に観光交流人口の拡大の道具にして欲しくはない、と・・・。
そうでないとヌナカワ姫と、出雲と戦い破れていった郷土の英雄たちがあまりにもお気の毒。