和銅五年(713年)に発せられた「好字二字令」の勅令により、地名や人名はできるだけ縁起の良い漢字二文字で表記するようになった・・・はず。
奴奈川姫ならびに奴奈川の漢字表記を時系列で並べてみると。
712年・・・沼河比売(古事記)
733年・・・奴奈宜波比売命(出雲国風土記)
759年・・・渟名河(万葉集)
好字二字令の勅命から20年後に編纂された出雲国風土記だけが、なんで奴(やっこ・ど)という卑しい文字を入れた四文字で表記しているのか?
以前から奴隷の奴という縁起の悪い漢字を地名や人名にあてていることを不審に思っていたが、この際に奴という漢字の成立ちを調べてみた。
なんと「捕えられた女奴隷を表す象形文字が由来であり、卑しい身分のこと」とあるではないか!
出雲にとって我がご先祖のは蛮族、土人、蝦夷(エミシ)扱いで、奴奈川は女奴隷だったのかぁ?
私は「口碑や遺跡の検証から、古墳時代前期前後に、ヒスイ交易権を狙う出雲の奴奈川郷侵攻があり、奴奈川姫は捕えられ、逃亡の末に自害した」と推測しているが、出雲国風土記の漢字表記はそのことを裏付けているかのようだ。
その後に出雲の支配下に置かれた影響からか、905年(平安時代中期)に編纂された延喜式には奴奈川神社・奴奈川比売命と表記されており、現在は当地でも奴奈川姫と表記されるようになっている。
先日、講演会でその話をしたら、「昨今の大国主命と奴奈川姫のラブロマンス一辺倒の町おこし活動は如何なものか?」と、声を潜めて賛同する声が幾つか寄せられたので、声をあげなくとも憤りを感じる市民は少なくないようだ。
ラブロマンスを元にした町おこし活動をしている方々は地域発展のためにしている訳だから、反対意見の声をあげにくいということと、狭い街なので人間関係に悪影響する恐れもあり、声に出さない人もいるということだ。
出雲国風土記を研究したという郷土史家にそのことを質問してみたら、私と同じ見解だった。
出雲国風土記の編纂者は、好字二字令を知らず、悪意なく単に漢字の意味を考慮せず表音文字として奴をあてたのか?
それとも?・・・・。
いずれにせよ、奴が「捕えられた女奴隷」とあってはヌナカワ姫も浮かばれまい。
今後は奴奈川姫と表記せず、ぬなかわ姫、あるいはヌナカワ姫と表記することにした。