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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

「どや、おもろいやろ?」・・・大原のモアイ仏

2015年07月03日 08時00分49秒 | 旅先にて

毎月末は京都で整体協会の稽古会に参加。

毎回、琵琶湖から大原経由で峠越えをする国道161号線で京都市内に入るのだけど、何時も笑ってしまうのが街道沿いのモアイ仏である。

石材屋さんの敷地によくある商品見本なのだが、イースター島のモアイをモデルにしたらしきヘンテコな石仏が鎮座しているのだ。

どこがヘンテコかというと、顔はモアイでも坊主頭(笑)

最初はモアイの写真を観ずに想像して作ったのでヘンテコになったのかと思ったが、よく観察すると石屋のおやぢさんの腕は確か。

恐らく、「ケッタイなモアイ作ればおもろいやろ?目立って宣伝になるんとちゃうか?」という企業戦略だと・・・想う。

通過する度に笑ってしまって、写真まで撮ったのだから、おやぢさんの目論見は成功していますな。

 


スコールは少年の闘魂に火が着くのだ・・・カンボジアのフルチンプロレス

2015年06月21日 06時53分27秒 | 旅先にて

新潟は例年より遅い梅雨入りで、急に寒くなった。

毎年この時期になると思いだすのは、雨季のカンボジアの風景。

日本の梅雨と違って、東南アジアの雨季は、晴天と曇り空、そしてスコールが繰り返す。

今回アップする写真は、以前のエキサイトブログでアップ済みなのだけど、訳あって二度もブログの引越しをしたので再びアップ。

スコールが来ると大人は雨宿り。暑い時期でもスコールは冷たいのだ。

ティーンエイジャーは、わざわざ滝のような雨だれの下でバイク洗い。

そして子供はフルチンプロレス!

寒さで唇が青くなって震えていても、プロレス遊びが愉しいらしい。カメラを向けるともっと意識してエキサイトしていた(笑)

 

カンボジアではプロレス人気が高く、夕方になると昔の全日本プロレスのテレビ放送が流れていた。

スコールの時は、最寄りの茶屋に避難して、カンボジア人に混ざってテレビのプロレスを観るに限る。

カンボジアでは、故人となったジャイアント馬場、鶴田、三沢といったレスラー達が現役で頑張っている。


グレートジャーニーの関野吉晴さんに会った

2015年04月29日 08時20分34秒 | 旅先にて

池袋演芸場で久しぶりの落語を堪能した後、ポレポレ東中野で上映中の「縄文号とパクール号の航海」を観に行ったら、世界中を人力旅行しているグレートジャーニーの関野吉晴さんのミニトーク付きだった。

「120キロの砂鉄を採集して鉄の斧を作り、高さ54mの大木を伐り倒し、人力で自然素材だけの丸木舟を268日かけて作り、無風だと手漕ぎで時速2キロしか進まない3年に渡って4700キロの航海をした。」というドキュメンタリー映画。

 

上映後のミニトークは、ドキュメンタリー監督の本橋成一さんとの対談!

本橋監督は、「老人と海」「アレクセイの泉」といった傑作を沢山作っている偉い人で、十年ほど前にやっぱりポレポレ東中野での上映の時にサインして頂いた事がある。

左から関野さん、この映画の監督の水本さん、本橋さん。

 

壮大な航海だけど、縄文号という割に石斧ではなく鉄斧で作ったというのは何故?鉄器を使ったのなら弥生号じゃないの??

パンフレットにサインを頂く時に、この疑問を関野さんに聞いてみた。

関野さんはテレビで観る時と同じような静かな口調で、「最初は石斧を作ろうと思って習ったのだけど、難し過ぎて鉄の斧にしちゃったんです。」と申し訳なさそうに事情を話してくれた。

謙虚な人柄がよく解る口ぶりだった。

私からすると鉄斧を作るより、石斧を作るほうがはるかに簡単なんだけど、壮挙であることに変わりは無い。

それにしても、あした純子先生に会った数時間後に関野さんと本橋監督に会えるとは、東京はやっぱり刺激的。

 


八十三歳の漫才師、あした純子に会った日・・・寄席の世界

2015年04月27日 10時37分44秒 | 旅先にて

整体協会の指導者クラスの講座に参加するために、二年振りの上京。

根っからの落語と映画好きだから、こんな時には時間を作って寄席や映画館に行く。

池袋演芸場に行ったら前座さんが高座に上がっている最中。

噺の邪魔をしたくなかったので、次の噺家さんに交代するまでの間は喫煙所で煙草を吸う事にした。

これは噺家さんへの敬意であり、寄席のマナーだ。

喫煙所でなんと、元祖どつき漫才の「あした純子ひろし」の純子先生が煙草を吸っていた。

池袋演芸場は、楽屋入口がロビーの喫煙所の前なので、よくこんな事がある。

因みに寄席の世界では、落語家の敬称は師匠だが、落語以外の漫才・太神楽・手品などの演芸家の敬称は、先生とするのが習わしだ。

純子先生と煙草を吸いながらサシで芸談を聞かせて頂く幸せ!

「男は~、あなた ひろしっ!」と、恰幅のいい純子さんが、いかにもひ弱そうなひろしさんをブッ飛ばす芸も、ひろしさんが九十歳を超えて足腰が弱って引退状態。

「煙草吸ってる写真撮っちゃうのう?アハハハハ、あなたも物好きねえ~」と純子先生。いかにも浅草生まれの浅草育ちらしい竹を割ったような気風のいいおばあちゃんでした。御年八十三歳の現役漫才師であり、芸歴七十年近い昭和の寄席演芸の生き証人。

 

だから最近は東京漫才の大御所、「昭和のいる こいる」の、こいる先生とコンビを組んでいるそうだ。

「のいるこいる」と言えば、真面目なのいるさんが説教して、軽いノリのこいるさんが「ハイハイハイッ!」と軽く両手を振る芸で受けているコンビだが、のいる先生も酔っぱらって自転車でこけて両足を複雑骨折で療養中なんだそう。

高座での純子・こいるコンビは、お互いの持ち芸をアレンジしながら応酬していたが、ちょっと危なっかしい(笑)

でも寄席のお客さんは、多少の間の悪さや空回りも温かく見守って笑っていた。

寄席っていいもんだ。

 

 

 


ベトナム人の手技・・・ジュラルミンの舟

2015年03月28日 08時04分39秒 | 旅先にて

前回に続きベトナム人の生活力への賛美。

私は手仕事が好きなので、旅に出ると手仕事をしている人を探して仕事ぶりを観せてもらう。

日本の職人さんは煙草を吸わない人も多いが、東南アジアやインドでは煙草好きが多いから、煙草をすすめると喜んで手を休めて仕事場を観せて貰えるのだ。

特に海と船が好きなので、漁村や造船所を好んで探して歩く。

こんな旅のスタイルだと、河があれば河口から上流に遡っていくと造船所が見つかることを経験から得ているので、意外に簡単に造船所は見つかる。

フエの郊外で、ジュラルミン製?の漁船を作っている造船所を発見。

もしかしたらジュラルミンではなくアルミ製なのかも知れないが、この漁船は運河などの艀(はしけ)などに使われているようで、海に浮かんでいるのは観た事がない。

裏返して置いてあると、ジェット戦闘機のドロップタンク(燃料の増層タンク)みたいで格好いい。

この舟を作っているのを観ると、どうも廃材で作っているようだ。

厚み3㎜前後のジュラルミンだと相当に硬い筈だが、接合部の合いじゃくり部分を、なんとペンチで正確無比に手曲げしていた。

合いじゃくりした金属板同志を嵌めてから叩いて密着・・・この技法は日本家屋の金属屋根の作り方と同じだ。

理屈で言えば屋根屋さんでも作れる技術だが、曲面の板金仕事の手作業だから難しいだろう。

地面に差したバカ棒(計測器を使わないで済む簡素な定尺機器)に、木のフレームを取り付けてから接合した金属板を設置していく。

簡単に観えるが、こんな単純な作業こそが精度を出すのが難しい・・・経験者は語る(笑)

少し離れた所にあるフレーム大工さんの家に持って行き、船首・船尾・舷側補強の板を取り付けて塗装して完成。

 

もしかしたら、ベトナム戦争の時の戦利品・・・墜落した航空機の外版を利用したのがルーツなのかも。

世界で一番の器用な人々・・・ベトナム人って凄い。

 

 


軟弱日本人よ、サバイバルの達人であるベトナム人に学べ

2015年03月26日 22時45分01秒 | 旅先にて

整体の大先輩が四月にベトナムのフエに行くというので、ベトナム事情を聞いてきた。

東南アジアとインドなら任せて下され、と色々とアドバイス。

インド人と似ている部分もあるが、ベトナム人は強かで逞しい。

歩いていると、至る所でベトナム戦争の痕跡を観ることができる。

露天で売っていた、米軍の認識票。つまり戦死したアメリカ兵の遺品も商売にしてしまう。

 

地雷で吹き飛ばされたのか、片足のない老若男女も結構いる・・・これはカンボジアも同じ。

フエのような世界遺産の観光地も、ダウンタウンには昔ながらの村の鍛冶屋がいて、大砲の薬莢を逆さまにした鉄床の上で赤めた鉄を打っている。

フエの繁華街は、夜になると赤い提灯でライトアップされて、お伽話の世界になる・・・照れ臭い街だ。

 

関係ないが、ベトナムの豚まんは世界一美味い!しかも安い!!

黒胡椒の産地だから、アンコに入れた粗挽き黒胡椒が効いているのだ。

しっとりフワフワの皮にかぶりつくと、アツアツでジューシーな挽き肉のアンコがジュワーと出てきて、最後に黒胡椒の香りが口中に広がり、ピリリと痺れる。

「喜んでる!お口が喜んでる!お口が美味しいっていっているぅ!」と、軽い味見のつもりが5個もくっちまった。

高価な横浜中華街の豚まん、さがりおろう!って感じだし、本場中国の豚まんは安いが、皮がフニャフニャベッショリな上にアンコだって少ししか入っていないぞ(怒)

 

とにかく身に周りにある物を活かした生活力が凄いのだ。

私が関心した一つが、下の写真。

鍋も竃になるんだあ・・・。今時の日本人は、竃(へっつい)と読めない人も多いのだろうなあ。私ですかぁ?落語好きなので高校の時には「竃幽霊」を聞いて存じておりました。

 

天変地異で世界がひっくり返っても、ベトナム人は生き抜くだろうなあ、と思う。

昨今の日本では、自分で靴ひもが結べない軟弱な中学生もいるが、ベトナムの田舎にでもホームステイさせりゃいいんだがね。

 

 


君はズラパワーをみたか?!・・・善光寺の七味唐辛子

2015年03月05日 07時35分46秒 | 旅先にて

冬の善光寺を訪れた。

善光寺と言えば、「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子の土産が有名だ。

七味唐辛子の具材の一つ、麻の実は、近郊の鬼無里村が麻の産地という事で、善光寺の参道で売られるようになったとか。

伝統ある土産も、3月14日の北陸新幹線の長野駅開業に向けてこんなバージョンに!

鉄男の友人への土産に買った。普通の唐辛子より20円高いのは、JRへの上納金(使用料)でしょ、とは土産をあげた友人の見解。

 

「鉄道マニアはこんなのが好きズラ!」・・・七味唐辛子製造会社の社長

「そうズラッ!!」・・・従業員一同

「新幹線景気にあやかって、いっぺい売るズラ!」・・・七味唐辛子製造会社の社長

「売るズラッ!!」・・・従業員一同

「いっぺい売って、トンガラシ御殿建てるズラ!」・・・七味唐辛子製造会社の社長

「建てるズラ~ッ!!パチパチパチ」・・・従業員一同が拍手。

こんな風景が浮かんで微笑ましいが、越後人から観た信州人は逞しい。

 

その点、我が新潟の新幹線熱気はイマイチ。

しかし長野にズラパワ-あれば、オラ達にはダッチャパワーがある。

漫画「うる星やつら」のラムちゃんも、「ウチは・・・ダッチャ」と語尾にダッチャを付けているが、これは越中弁だ。

糸魚川は富山の東隣りだから、同じくダッチャ、またはチャと付ける。

オラ達も信州に敗けんよう、頑張って儲けるっチャ!・・・ズラに比べたら、気勢が挙がらんねえ。

 

 


世界に誇れる日本の公衆便所!

2015年02月10日 08時18分20秒 | 旅先にて

毎月月末は、整体協会の京都稽古会に参加している。

俺は整体協会の教授資格者なのだ。

片道400キロちょっとの自家用車での移動での楽しみの一つが、高速道路のPAやドライブインの休憩。

そこで何時も想うのが、公衆便所の快適さと行き届いた掃除の丁寧さだ。

例えば北陸自動車道上り線の「小矢部SA」のトイレは、ウオシュレットどころか頭を洗えるシャワーまで付いている。

世界中でこんな快適なトイレは、一流ホテルでもないぞ。(インド以外では泊まったこと無いが)

設備がよくて掃除が行き届いているだけではない。

小矢部PAのトイレには、ペットボトルで作った花瓶に活花まで飾られているのだ。

ボケた写真で申し訳ないが、これがペットボトル活花。

 

この手作り感に温かみを感じて佳い。

外国なら掃除業者は掃除業務以外の仕事はしないだろうし、飾り花は造園業者の仕事だろう。

小矢部PAの便所の活花は、掃除のおばさんの趣味?掃除会社のサービス?

なにやら掃除のおばさんのお人柄が感じられて、彼女のためにもトイレを綺麗に使わなきゃとまで思ってしまう。

きっと彼女は、勤勉で花鳥風月を愛する優しい女性に違いない。

ここのトイレを使う度に、彼女と会話している気分になるのだ。

収入とは関係なく、トイレを使う他人のために活花をする女性が普通に存在するのだ。

日本って、素晴らしいクニだと想う。

同じく北陸自動車道(上り)南条PAのトイレは日替わり活花。こちらは掃除業者さんがサービスでやっているのかな?

 

安倍総理が初めて総理に就任した時に、新政権の目標を「美しい国ニッポン」という演説したと記憶している。

彼は美しい国ってどんなイメージを持っているのだろう?

俺は、勤勉で花鳥風月を愛し、他人へ思いやりを持つ人々が普通に住むクニが「美しいクニ」だと想う。

 

 


オム・マニ・ベメ・フム・・・ラダックのソリ遊び

2014年03月13日 21時46分58秒 | 旅先にて





北インドのラダックは標高3000m以上のチベット文化圏。

知人のチベット仏教僧から、黒いほどに青い空と草木の生えない月面のような神秘的な所と聞いて行きたくなった。


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真冬には雪に閉ざされるので、デリーから飛行機で行くしかなく、本家のチベット以上に原初のチベット仏教が残されている秘境だ。



デリーからエア・インディアを予約したら、ラダックの州都レー上空の天候不順で2回もキャンセルになった。

1回目のキャンセルではラダック上空まで行ってから引き上げたが、この時は雷雲の中で飛行機がガタガタと尋常ではない揺れ方をして、生きた心地がしなかった。

そのお詫びのつもりかデリーに戻ってからは、料金はエアー・インディア持ちで高級ホテルに送迎・食事つきの宿泊クーポン券が貰えて、生まれて初めて高級ホテルに泊まることができた。

ツインの部屋に同室になったラダック人のオジサンは、食後に頼んだチャーイが1杯50ルピーということにガックリしていたが・・・町では2~5ルピーで飲める・・・2度目のキャンセルの時の宿泊は、交通費込みで50ルピーというクーポン券だけ渡されて待遇はえらく落ちた。

3回目のフライトでレーに降り立ったが、ヒマラヤ山脈の山肌を縫うようにジグザグに飛行場にアプローチするので、これも生きた心地がしない。

着陸と同時に客から安堵と入り混じった名人パイロットへの拍手。

レーに到着後から頭がガンガンして高山病になったことを自覚した。三日間ほどで順応したが、この時に食ったリンゴがこれまでの人生で食ったリンゴのなかで一番美味かった。

カシミールアップルという紅玉に似た酸味のあるリンゴ。

高地順応してから、バスとヒッチハイクをして標高4000mのアルチ村を訪ねた


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レーからアルチ村までは乗合バスに乗って村の入り口の麓で降りる。
麓から山羊しかいない山道を1時間歩いて村に到着したが、ダウンジャケットを着ていても氷点下20度では痛いほど寒いし、ゴアテックスの軽登山靴を通して容赦なく足に冷気が突き刺さる。
しかも空気が薄いので10mも歩くと30秒くらいはゼ~イ、ゼ~イと呼吸が荒くなり休憩というペースなので、遭難死するかと思った。
この写真は村の麓のインダス河上流部だが、ゴツゴツと厚い氷に覆われていた。


この村こは現在は世界遺産になったアルチゴンパというチベット寺があるのだ。
この寺の曼荼羅群が有名で、知人のチベット仏教僧はこの前で一晩中瞑想修行したのだという。

ラダックの寺の曼荼羅は普通の見慣れた絹地に描かれた曼荼羅とは違っていて、極彩色の曼荼羅が壁画として描かれており、その壁下地が凸凹した漆喰仕上げになっている点だ。
だから燈明の炎がユラユラと揺れるに合わせて、曼荼羅の諸仏が生きて動いているように観えるのだそう。


アルチ村を歩いていると、陽だまりで三人のお婆ちゃんたちが日向ぼっこしながらヤクの毛を紡いでいた。
厳冬期には珍しい観光客の俺を見つけて、手招きして「ここは暖かだから座って休んでいきなさい。」という雰囲気で、身振りを交えてラダック語で話しかけてきた。

隣に座って「寒いね~!」と身振りすると、お婆ちゃんたちは糸紡ぎを続けながらニッコリ微笑んだ。

彼女たちは手を動かしながらもブツブツと何かを呟いていたので、耳に手を当てて「何ていってるの?」と日本語で話しかけたら、「オム・マニ・ベメ・フ~ム」と念仏を呟いているとのこと。

オム・・・聖音のオーム
マニ・・・宝珠・・・真理
ペメ・・・蓮
フム・・・分離できない「在る」という意味

直訳すると「蓮の華宝珠が在る」という意味だが、一般的に「真意のままに」と訳されるチベット仏教の真言だ。

彼女たちにとって宗教は、生活すること、生きることに直結していることを目の当たりにして感動した。

子育てをしながら、家事をしながら一生、オムマニペメフムと唱え続けて、真意のままに生きて死んでいくのだ。

お婆ちゃんたちと無言の交流を愉しんだあと、村外れまで散歩したら、キーッと変な音が聞こえてきた。

音のする方へ行ってみたら、子供達が凍った川でソリに乗って遊んでいた。


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キーッという音は、カチンコチンに凍った氷にブレーキを掛ける音だった。

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ソリもブレーキも手作り・・・素朴な人たちだった。




在るのに無いとはこれいかに?・・ジュヒー・チャウラー様のブロマイド

2014年02月16日 11時16分54秒 | 旅先にて






バックパッカーにも色んな楽しみ方をしているヤツがいる。


俺の場合は、旅先で市場や路地裏の探検、職人のモノつくり現場を観て歩くのが好きだし、それがしたいから旅に出るといってもいいくらい。


映画も好きだから、世界最大の映画市場を持つインドに行くとインド映画も観る。


インド映画で一番好きな女優は、ジュヒー・チャウラー様。


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この写真は、インドの路上で買ったブロマイドのコレクションの一つ。
褐色の肌には、バラより蘭が似合います。口角がキュッと上がったところ堪らない!


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この写真も路上で買ったブロマイドだが、背景があんまり(笑)。
恐らく撮影所の隅で撮影待ちの間に適当に撮影したんだろうなあと、インド人の大雑把さに思わず笑ってしまう。


文句ない美女には、背景や写真修正ソフトは必要ないでしょ!ってジュヒー様の声が聞こえそうだ。


彼女はオードリー・ヘップバーンを肉感的にした美貌と気品に加え、グラマスな肉体を持つ元ミスインドで、コメディーからシリアスまで役幅も広い。


でも彼女のはまり役はラブコメディーの天真爛漫なお金持ちのお嬢さん役だ。
言い寄る男達を翻弄して、時には肘鉄をピシャリと決める気の強いお嬢様役。


本人もコメディー映画出演が好きなようで、テレビで「コメディーはテクニックじゃないわ!現場で楽しむ雰囲気作りが大事なの」って流暢な英語で答えていた。


役柄のイメージから彼女はB型・サソリ座であろうと踏んでいたが、インドの映画ファンに聞いたら、血液型は不明だがやはりサソリ座とのことであった。


やっぱり!俺は直情径行のオヒツジ座だから、神秘的な雰囲気を持つサソリ座に弱いからよく解るのでR!



インドは広いので、州が違うと売っているブロマイドの種類も変わってくるから、俺のような趣味を持っていると町歩きは宝探しの様相を呈してくる。


肖像権なんか無視して、各地で勝手にブロマイドを作っているのではなかろうか?



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集めたジュヒー様のブロマイドの一部。


だからインド人にコレクションのジュヒー様のブロマイドを見せると
「これ持ってな~い!何処で買った?えっ、グジャラート州で買ったって??俺に売ってくれ~!」ということもあって愉しい。


「あんな美女は存在自体が奇跡だね。生きているラクシュミー(インドの女神)だね!」と言うと、「そうだろ!日本にゃあんな美人はいるめい!」とインド男は目をキラキラと輝かせて意気投合するから、俺は買い物する時はよくジュヒー様のブロマイドをちらつかせて値引き交渉を有利に進めていた(笑)。


さて、問題は安宿に帰ってからその日の戦利品・・・ジュヒー様のブロマイドを整理していた時のことだ。


隣のベッドの卒業旅行で初めてインドに来た大学生が、「これどこで買ったんですか?安そうだし嵩張らないからお土産にいいですよねえ?」って聞いてきた。


すると反対のベッドの平田君が「普通に売ってないモノですよね!」と会話に加わった。


平田君は半年かけてインドを旅していた旅慣れたバックパッカーだ。


えっ?あちこちの路上で普通に売ってるじゃないの!と平田君に答えると、「ボク、半年間インドにいて、そんなの見たことないですよ!」と異なことを言う。


二人を宿のすぐ近くの路上のブロマイドを売っている所に案内したら、平田君は「俺は半年間もインドで何を観て歩いてきたんだろう?」とションボリとしていた。


映画スターのブロマイドは、電柱の数ほどあちこちで売られているのだ。


興味が無ければ在っても無いと思い込んでしまうのが面白い。


もっともプロの民俗学者のフィールドワークも似たようなもんで、「日本以外には類例はない!」と断言した報告が誤りであったということも俺は何点か確認している。


在るのに無いとは・・・まるで人生における唯識論的教訓ですなあ、と三人でチャイを飲んだ。