お得意から「エラのある魚」の勾玉を注文され、意味がわからず画像をおくってもらったら「子持ち勾玉」だった。
エラとヒレに見えるのは小型の勾玉で、ヒスイで勾玉がつくられなくなった古墳中期以降に、滑石や蛇紋岩など柔らかい石でつくられた勾玉と説明し、勾玉がいくつもできる分量のヒスイが必要になり、無駄になる部分が多いからとお断りした。

縄文早期の牙状勾玉から時系列で変化を臨作してきたが、最終形態というべき「子持ち勾玉」で臨作しないのは勾玉探偵として片手落ちで、東京の「伊興遺跡」出土品をモデルにした。

ほとんど彫塑といっていい工程をもつ勾玉で、つくってみれば愛嬌があってかわいらしく、考古学の知識がないお得意がサカナと思ったのも無理はないくらい、魚っぽいカタチだ。

謎のおおい勾玉なのだが、古墳から出土せず集落址から出土する勾玉だから権力者の威信材ではなく、身近な生活に関わる用途だったのかも知れない。
例えば水に関係した祭礼・・・母胎となる勾玉に小型の勾玉をつけた様を稲に穂が実った状態に見立て、豊年豊作の予祝儀礼にでもつかったものか?奥能登の稲作儀礼「あえのこと」のように、「子持ち勾玉」を田の神として家に招き、ご馳走をならべて饗応したりする図を想像するとたのしいが、子孫繫栄を祈る意味も重ねていたのかも。

左から縄文早期・前期・晩期・弥生早期・弥生中期・古墳中期で、概ね5,500年間くらいの勾玉の歴史を時系列で来客に説明するのが目的
いずれにしても素材とカタチからして、権威の象徴というよりは朴訥とした民具の趣きがあり、長い勾玉の歴史の最後がこんな勾玉で幕を閉じたことに、微笑ましさと共に一抹の寂しさも感じる。