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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

勾玉探偵、子持ち勾玉のナゾにいどむ!・・・勾玉の最終形態

2025年02月17日 07時14分17秒 | ぬなかわヒスイ工房
お得意から「エラのある魚」の勾玉を注文され、意味がわからず画像をおくってもらったら「子持ち勾玉」だった。
 
エラとヒレに見えるのは小型の勾玉で、ヒスイで勾玉がつくられなくなった古墳中期以降に、滑石や蛇紋岩など柔らかい石でつくられた勾玉と説明し、勾玉がいくつもできる分量のヒスイが必要になり、無駄になる部分が多いからとお断りした。
縄文早期の牙状勾玉から時系列で変化を臨作してきたが、最終形態というべき「子持ち勾玉」で臨作しないのは勾玉探偵として片手落ちで、東京の「伊興遺跡」出土品をモデルにした。
ほとんど彫塑といっていい工程をもつ勾玉で、つくってみれば愛嬌があってかわいらしく、考古学の知識がないお得意がサカナと思ったのも無理はないくらい、魚っぽいカタチだ。
謎のおおい勾玉なのだが、古墳から出土せず集落址から出土する勾玉だから権力者の威信材ではなく、身近な生活に関わる用途だったのかも知れない。
 
例えば水に関係した祭礼・・・母胎となる勾玉に小型の勾玉をつけた様を稲に穂が実った状態に見立て、豊年豊作の予祝儀礼にでもつかったものか?奥能登の稲作儀礼「あえのこと」のように、「子持ち勾玉」を田の神として家に招き、ご馳走をならべて饗応したりする図を想像するとたのしいが、子孫繫栄を祈る意味も重ねていたのかも。
左から縄文早期・前期・晩期・弥生早期・弥生中期・古墳中期で、概ね5,500年間くらいの勾玉の歴史を時系列で来客に説明するのが目的
 
いずれにしても素材とカタチからして、権威の象徴というよりは朴訥とした民具の趣きがあり、長い勾玉の歴史の最後がこんな勾玉で幕を閉じたことに、微笑ましさと共に一抹の寂しさも感じる。
 
 
 

弥生時代に激変した勾玉・・・勾玉探偵「菜畑遺跡」の勾玉に挑む

2025年02月15日 06時48分01秒 | ぬなかわヒスイ工房
社会復帰のリハビリで、新年最初の恒例になった遺物勾玉の臨作をしたら坐骨神経痛を忘れて没頭。やっぱ好きなのだ。
臨作(りんさく)は書道の臨書に学んだわたしの造語で、滑石は勾玉つくり体験会でつかわれるやわらかい石。遺物の複製は実測図や実物大写真からテンプレートをつくり、忠実であろうとするほど難しくなっていくので、ヒスイ職人の修行と心得ている。
 
扁平な胎児形をした縄文勾玉から、弥生時代早期に激変した勾玉のエポックメーキング的な、北部九州の「菜畑遺跡」出土のヒスイ製勾玉を滑石で臨作。
3つ並んだ勾玉のうち
 
左が縄文晩期の糸魚川の「寺地遺跡」出土の典型的な縄文勾玉。
 
中央が頭部と胴部の差が明確で立体的になった「菜畑遺跡」勾玉
 
右が弥生時代中期の北部九州の「宇木汲田遺跡」出土の丁子頭勾玉だ。
 
3つ並べると「菜畑遺跡」の造形は、縄文勾玉から立体造形物として別次元に移行したことと、格段の技術革新があったことが明らか。弥生時代早期に、勾玉造形の好みの変化と技術革新があったのはなぜか?
 
大陸や半島から稲作文化を持ち込んできた人々、その二世、三世たちが、縄文文化を取り入れたと考えるのが自然だろう。
 
「菜畑遺跡」勾玉は、頭部と胴部に刻みをいれて立体感と躍動感をだしているのだが、実際につくって言えることは、中期の宇木汲田遺跡の勾玉は、その刻みを紐孔につなげて頭部をさらに球体に近づけ、胴部の断面を円形にした定形勾玉・丁子頭勾玉に発展させているようだ。
大田区立郷土博物館の「大勾玉展」の図録をみた時は、シャクトリ虫?カプセル怪獣ウインダム?としか思わなかったが、立体になると惚れ惚れする造形美に参ってしまう。左の赤のが自作のテンプレート。
 
北九州の勾玉行脚をしたい想いがつよくなった。
 
 

脱皮をくりかえし14年目にたどり着いた「あの感じ」・・・ぬなかわヒスイ工房リニューアル

2025年02月09日 07時53分44秒 | ぬなかわヒスイ工房
坐骨神経痛の悪化は、ヒスイ加工の際に左股関節の一点で体重を支える偏った姿勢をとり続けていたことが根本的な原因と思われ、動けない間に改善策を考えつづけていた。
 
晴れに外で大工仕事をして、吹雪の時は作業机や収納棚の造作の繰り返しの1週間、無理のない姿勢で自然な流れの加工ができるレイアウトが完成した。
先達から指導を受けられる伝統工芸士とちがい、ゼロからスタートして何度も脱皮を繰り返し、加工歴14年目にして理想的に整った工房とすることができて感慨無量。
 
実は初心者のころから各分野の伝統工芸士やプロフェッショナルたちの仕事をYouTube動画で学び、モノつくりの「あの感じ」を目指し続けてきた。
 
職種はちがっても、仕事を評価されている人の仕事場に「あの感じ」は同じだ。座っているだけでドッシリと落ち着いた感じが心地よい。
 
まだ肚にチカラがもどってないので加工はできないが、肚の底から欲求がたかまってきた時が加工再開のタイミング。
 
まずは確定申告を終わらせることだ。
 
 
 
 

勾玉と太極図(陰陽図)との関係は?・・・白髭神社の勾玉形土鈴

2025年01月28日 07時38分33秒 | ぬなかわヒスイ工房
墨田区の白髭神社で勾玉形の土鈴が売っていると知り、勾玉探偵のコレクションとして注文。
白髭神社に仔細を問い合わせたら、ご神文の三つ巴を勾玉になぞらえた授与品とのことで、古い由緒はないらしい。
 
よく勾玉と巴紋や太極図(陰陽図)との関係を聞かれるが、日本での勾玉はそれらが世に出るよりずっと古く、7,000年も前から柔らかい滑石などで牙状をしたプロトタイプが出土するようになる。
巴紋は弓を射る時に左手首をまもる鞆(とも)を意匠化したといわれ、最古の文献は鎌倉時代の13世紀。
太極図が道教のシンボルとして太極図が考案されたのは11世紀以降。殷代から二匹の魚を対にした青銅器などがあり、太極図も最初は対の魚をイメージしたためか、太極魚と呼ばれたこともあったようだ。
 
未だ中国大陸から勾玉は出土していないが、中国の文献に勾玉らしきものが出てくるのは3世紀に書かれた「魏志倭人伝」で、倭人が魏に「青い鉤状の玉を二枚」を朝貢したとあり、中国人に勾玉をみせたらカシューナッツか?と言われたくらいだから、中国には勾玉の文化がないということ。ちなみに昔の東アジアでは緑は青と認識されていた。
 
もっとも日本でも記紀を読んで「八尺瓊勾玉」を知っていた知識人や、江戸時代の好事家が珍重してが、多くの人からは忘れ去られ、明治以降に皇国史観が広まり、神様が首からさげている宝物と認識されたのではないか?
 
太極図は韓国などの国旗に意匠されたりもしたが、70年代にハワイのサーフブランド「タウン&カントリー」が太極図をロゴマークに取り入れ、ナチュラル指向のヒッピームーブメントの波に乗り、オリエンタルテイストのファッションとして世界中に広まった。
「タウン&カントリー」は、わたしの世代だとサーフブランドというよりは、ファッションブランドとして「タウカン」と呼んでいた。
 
繁華街にパワーストーン屋がでてきたのは90年代くらいからだと記憶しているが、勾玉の文化がない中国人が太極図をイメージしたオタマジャクシ形の勾玉を大量生産・激安販売して広まったので、いつの間にか日本人も「勾玉ってこんなカタチ」と手本にする人も出て、オタマジャクシ形が勾玉のイメージにつながった、と私はみている。
 
遺物にはオタマジャクシ形の勾玉はないので、勾玉と巴紋、太極図は、少なくとも系譜的には無関係ということになりますナ。
 
以上、勾玉探偵からの報告!
 
 
 

最新テクノロジーが注目するヒスイパウダーの可能性・・・役立たないモノで世の中に貢献したい考え方

2024年12月25日 05時21分12秒 | ぬなかわヒスイ工房
能登へ出発前にうれしいできごとがあった。
某商社系列のファクトリーから、「ヒスイパウダー」で試作してみたいと注文があったのだ。
 
ヒスイの可能性が最新テクノロジーの分野で注目されている。
白い部分はヒスイパウダーで、赤い部分は自家製のベンガラ
 
ヒスイ加工で発生する汚泥は捨てられているのだが、高校で美術部だったわたしは絵の具の顔料としてリサイクルしていて、つい最近も都内の染色工房から試作品につかいたいと注文があったばかり。
ファクトリーの社長に電話して、わたしの最初の仕事は総合化学メーカーの新商品開発部門の研究員だったから、新商品の開発に興味津々だし、ぜひとも結果を教えてくださいと伝える。
 
役立たないモノとして捨ててしまうのは簡単。
 
でも役立たないモノで世の中に貢献できたらという考えは、そのまま「輪島漆器義援金プロジェクト」につながるっている。
 
闇にできた「一隅を照らす」思想だ。
 
 
 

土偶、古墳、ハニワの次は弥生の勾玉のブーム到来か?・・・ハニワブームらしい

2024年12月18日 06時49分26秒 | ぬなかわヒスイ工房
世はハニワブームなのか、あいついで来客から指サック、ぬいぐるみをいただく。
「踊るハニワ」は踊っているのでなく馬の手綱をもっている人という新説がでてきたが、日本列島の人々は大昔から可愛いが大好きで、当初の意味より可愛いかどうかを問題にする文化なのだぁ!と断言なんかしないよw。
3年前に茨木県から糸魚川市にIターンした農業セーネンも、お袋さん手製の干芋を手土産に年末の挨拶にきたがハニワに見えてきた。茨城県民は干芋を手づくりする人が多いので、お土産用の包装がスーパーで売っているそう。
ストーブで軽く炙って食うとトロトロに柔らかくなる。農業セーネンのおふくろの味を堪能。
冬至イベントの「時空フェス2024」は前泊するので、国立博物館のハニワ展に行けそうだし、ハニワ形のオカリナも沢山もっていく。
 
それにしても縄文の土偶、古墳やハニワはブームになっても、弥生文化は蚊帳の外。銅鐸や銅鏡では擬人化して可愛いいキャラクターにしにくいということか。
 
弥生業界の方々におかれましては、定形勾玉ちゃんや丁子頭勾玉くん、方形周溝墓様のキャラクターのご検討を!( ´艸`)
 
 
 

大団円・・・糸魚川翡翠展2024

2024年11月26日 06時53分17秒 | ぬなかわヒスイ工房
大団円という言葉を覚えたのは、小学生の時に読んだ「少年探偵団シリーズ」や「十五少年漂流記」などの冒険活劇だったが、おめでたい最終章のタイトルとして秀逸ではないか。
目玉商品の眞名井勾玉の複製「黒眞名井」を買うのは、ベストセラー作家のひすいこたろうさんだろうなと思っていた。
ひすいさんは昨年同様に最終日の夕方に来場して、やっぱり買ってくれた。
撤収と会計を終えて主催者の天川彩さん、パートナーの亨ちゃんと大団円を締めくくる三本締めと打上げ。多くの仲間たちから支えられてやっと終わったぁ・・・。
作品展は根津の「ホピショップ」だったが、お話し会と休憩は2軒となりの「ハミングバード・カフェ」が恒例。戸締りして打上げの居酒屋に向かう前に感謝の記念撮影をした。
 
今は眠い、とにかく眠い。
帰宅したら冬至イベントの展示販売会と能登に正月餅を贈るプロジェクトがあるので、つかの間の休息。
 
 

ヒスイ販売会で三本締めって、祭りかよ( ´艸`)!・・・糸魚川翡翠展2024

2024年11月23日 08時22分11秒 | ぬなかわヒスイ工房
「糸魚川翡翠展2024」初日に、「ワハハ本舗」創始者のひとり、俳優の佐藤正宏さんがお守りにして舞台にあがりたいと、木の葉形のペンダントをお求め。
佐藤さんとは展示会のプロデューサーの天川彩さんのご縁で知遇を得て以来、年に一度お会いして映画や落語の話しができる兄貴分みたいな仲で、「輪島漆器義援金プロジェクト」の展示販売会でも協力してくれた。
いいよう!かわいいよう!ちょっと拗ねてみて、君って最高だぁ!と、オラは篠山紀信になって写真を撮りまくる。
帰宅してすぐに東日本大震災の時の復興手拭で手つくりした、かわいらしいお守り袋の写真を送って頂く。人柄そのままの温かいお守り袋だ。
 
さっそく「ワハハ本舗」の長野県興行から身に着けて舞台にあがるそうだから、舞台の佐藤さんを観たら、わたしのヒスイ作品を身に着けておられると注目して、拍手を贈ってください!
 
連日、毎年の作品展で馴染になったお得意様、友人たちと再会を愉しんでいる。
お馴染さんの中でお求めになった場合は、「まいどお買上ありがとうございます。Aさんの益々のご繁栄を祝って三本締めをおこないますので、皆さま方にはよろしくご唱和のほどお願いいたします!いよぅ~!」と音頭をとって恒例の三本締め。
目玉商品の「neo縄文大珠」を試着してもらい、「女優になれ!」「魔女になるのだ!」と笑わせてにぎやかに記念撮影。
祭り好きのヒスイ職人だから作品展も祝祭イベントのように華やかで、こんなヒスイ展示販売会は他にはないだろうし、お得意様もそんな雰囲気を愉しみにしているようだ。
 
初日から目玉商品が次々に売れていくので、ご来場はお早目に!
 
 
 

「一隅を照らす」と「秘すれば花」・・・糸魚川翡翠展2024

2024年11月19日 06時52分55秒 | ぬなかわヒスイ工房
「糸魚川翡翠展2024」は、価値がないと省みられることのない端材からの作品つくりに力をいれた。
黄緑色の勾玉はロウカン(琅玕)と尊称される最上級品。淡い蒼の勾玉はイリコンヒスイの不純物のない大トロ部分。濃い蒼の勾玉はコバルトヒスイ。
現在はどれも流通しない希少な原石だから、小さな欠片も大事にとっておき、ここぞという時に作品化する。わたしは希少なヒスイの端材で短冊形のストラップをつくっても作品とはいえないと考える。
 
またこれ見よがしに希少な原石を安売りするのはもったいない話で、世阿弥さんは、得意な演目こそ「ここぞという時」のためにとっておけと戒める意味で、「秘すれば花」という言葉を遺しているではないか。
 
能登半島が二度の激甚災害の被害をうけ、世界中で極右政治やポピュリズムが如実になった今年が「ここぞという時」だろう。
災害で保管場所がなくなった輪島漆器も、災害関連ゴミ扱いしてはかわいそうだ。
 
最澄が天台宗の教理にすえた「一隅を照らす」を、自分の仕事やボランティア活躍に反映させているつもり。
 
昨今流行りの善と悪、真実とフェイクといった二元論では、部屋の角に暗い闇ができる。個人では強烈なライトで照らすことは無理でも、小さな灯りで部屋の隅にできた闇を照らし、差別やイジメを見過ごさずに寄りそう・・・最澄さんって優しいな、と思う。
 
これから上京だ。「一隅を照らす」仲間が増えてくれたら幸い。
 
 
 

微力ながらの縄文回帰バタフライ・エフェクト・・・「糸魚川翡翠展2024」開催のお知らせ

2024年11月16日 07時15分01秒 | ぬなかわヒスイ工房
「糸魚川翡翠展2024」開催のお知らせ。
今年のわたしは能登半島ボランティアに専念した1年だったが、日ごろから多忙なプロデューサーの天川彩さんも、漆器の展示販売の協力や、各種支援に東奔西走していたから開催は微妙だった。
 
天川さんもわたしも時流や世相と共振して仕事するタイプ。特にわたしは能登のみならずパレスチナやウクライナの行く末に心を痛めている。
 
だからなおさら国家という枠組みがなかった、縄文文化への原点回帰への欲求がたかまっている。微力ではあっても、縄文やアイヌ文化をテーマにした人間復興のバタフライ・エフェクトになれば幸い。輪島漆器とヒスイはその象徴だ。
 
今年だからこその作品展にしたいと思う。
 
【チャリティトークショーのお申し込みは、下記サイトから】
◆11月21日(木)22日(金)10時半〜11時半
『被災地支援を通して感じたこと』
山田 修(ぬなかわヒスイ工房 代表)
1,500円(能登支援金含)
【定員15】
◎お申し込み