釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

笑福亭松喬師匠

2013年08月03日 11時35分36秒 | 演劇・演芸
笑福亭松喬さんが7月30日に亡くなりました。

享年62歳は、落語家の享年が早いといっても早すぎる死だと思います。

六代目笑福亭松鶴の弟子で、仁鶴師、鶴光師の弟弟子で鶴瓶師には兄弟子にあたります。

本格派の上方落語は聞くものを納得させるものがありました。

ライヴ繁昌亭の動画配信で度々拝見して、本当にうまい方だな感想を持っていました。

特に丁稚さんが可愛いのです。

印象に残っているのは『お文さん』『花筏』『住吉駕籠』など

2010年12月23日だったと思います。

新橋演舞場で「笑福亭松喬還暦落語会」が開かれました。

どうしても生で拝見したくて伺いました。

当時はツイッターにはまっていた時期で、その日のツイッターには

笑福亭松喬還暦落語会@新橋演舞場、堪能いたしました。

三喬『延陽伯』権太楼『代書』松喬『つぼ算』さん喬『八五郎出世』 中入り 鶴瓶『alwaysお母ちゃんの笑顔』松喬『帯久』 

寄席やホール落語とは違う巨大な箱、ちょっと感覚が違うな。

演舞場でこんだけおじさんがいたのはじめてかも。

と感想が書いてありました。

今でもよく覚えているのが、トリネタの『帯久』の時に、師匠は花道から出てきたのです。

すごく照れて気恥ずかしい感じがなんとも愛らしく、まくらで「会社の人がどうしても花道から出ろといったので、甘えさせてもらった。」というようなこと話していられたのです。

花道のそばに座っていたので、舞台に歩いていかれる後ろ姿が今でも目に焼き付いています。

それとこんなことをして大丈夫かなという一抹の不安を友達と話した記憶があります。

その後、肝臓ガンが見つかり闘病されることになったのです。

動画配信で拝見姿はだいぶ痩せられて痛々しかったのですが、落語は少しも変わりなく安心していました。

去年の彦八まつりでは、テントの奥の方に少ししんどそうに座っておられた姿を拝見しました。

今年はお姿を見られないのですね。

まだまだ活躍されるものと思っていましたので大変残念です。

昨日の葬儀の後、霊柩車が師匠が大好きだった繁昌亭にも立ち寄られ、その時間に中入を合わせて観客もお見送りしたそうです。

本当に上方落語には大きな損失です。

心からご冥福をお祈りいたします。




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