釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

京都散歩(その7・蘇民将来とちまき)

2006年08月11日 07時58分45秒 | 旅日記
なぜ「粽(ちまき)」が厄除け〈厄難消除)のお守りなんだろう。

「ちまき」は古くは「茅巻き」と書いたようで、古来より人々は茅に特別な力を感じていたようで、その力により災難から逃れようとしたものだ。

以前、「夏越大祓」で書いた「茅の輪くぐり」もこの「茅〈茅がや)」の力を借りたものだ。

祇園祭は、山鉾の巡行に代表されるが、実際は七月一日から七月三十一日までの非常に長い祭りである。
その最終日の七月三十一日に行われる「疫神社夏越祓」は、八坂神社の摂社である疫神社に茅の輪を設けてそれをくぐり厄を祓う行事で、まさしく茅の輪くぐりなのだ。
その時に「蘇民将来之子孫也」〈茅之輪守といわれる〉と書かれた護符をいただき、粟餅もいただくということだ。

祇園祭の粽にも「蘇民将来之子孫也」と書かれていたが、さて「蘇民将来」とはなんであろう。

備後国風土記にある逸話で、武塔天神(最初に天神堂に祀られた天神〉が諸国を旅している途中に、巨旦将来という裕福な者の家に一夜の宿を請うたところ断られ、蘇民将来という貧しい者の家に一夜の宿を請うた。蘇民将来は、貧しいながらも粟で作った食事で厚くもてなした。
蘇民将来のもてなしに、自分が武塔天神であるとあかし、茅の守りを持つものは、今後疫病や災難から逃れられると約束して、その場を立ち去った。
その後の疫病で、巨旦将来の子孫は死に絶えたが、蘇民将来の子孫は末永く繁栄した。
この逸話の武塔天神が、神の習合に合わせて、いつしか牛頭天王になり、スサノオノミコトになっていったのだ。
各地にある蘇民祭といわれる祭りは多くはこの逸話に基づいたものである。

このように、茅、粟餅、そしてさらに念押しとして「蘇民将来之子孫也」とはっきり告げて、災難や厄病から守ろうということである。
祇園祭の最終日に夏越祓を行う「疫神社」こそ、蘇民将来を祀った神社なのである。
これにより、祇園祭自体が大掛かりな「夏越大祓」であることがよくわかるのである。

そろそろ、八坂神社から山鉾町に戻ろう。
コメント
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