八月一日は「八朔」である。
八朔といっても果物ではなく、八月朔日の略称である。
この日は徳川家康が、江戸に入城した日で、江戸時代では正月に次ぐ紋日(祝日)となっていた。
八朔(旧暦の八月一日)は夏から秋へと季節が移る時期である。珍しい苗字に「八月一日」と書いて「ほづみ」と読むものがある。この日は稲穂をはじめて摘む日として今でも八朔祭というものが日本各地に残っている。豊年や大漁をあらかじめ祝う行事だ。また、親類や主家にはじめて摘んだ稲穂を送る行事があったようだ。
この行事は道教の「中元」(旧暦の七月十五日で盂蘭盆会〈お盆〉の起源)と結びついて贈答の風習になったのではないだろうか。だから中元は立秋までに済ませるのではないだろうか。
1580年のこの農業的に大切な日に江戸城に入城したのは、家康の農業地帯の新領地へのデモンストレーションだったのではいか。
八朔は「江戸お討入りの日」として、諸大名・旗本は、白帷子を着用して登城、将軍に祝詞をのべる習わしがあった。
吉原でも紋日として、遊女たちは白小袖を着て馴染みの客を待った。
果物の「八朔」の由来についてはこちらをどうぞ。→八朔
八朔といっても果物ではなく、八月朔日の略称である。
この日は徳川家康が、江戸に入城した日で、江戸時代では正月に次ぐ紋日(祝日)となっていた。
八朔(旧暦の八月一日)は夏から秋へと季節が移る時期である。珍しい苗字に「八月一日」と書いて「ほづみ」と読むものがある。この日は稲穂をはじめて摘む日として今でも八朔祭というものが日本各地に残っている。豊年や大漁をあらかじめ祝う行事だ。また、親類や主家にはじめて摘んだ稲穂を送る行事があったようだ。
この行事は道教の「中元」(旧暦の七月十五日で盂蘭盆会〈お盆〉の起源)と結びついて贈答の風習になったのではないだろうか。だから中元は立秋までに済ませるのではないだろうか。
1580年のこの農業的に大切な日に江戸城に入城したのは、家康の農業地帯の新領地へのデモンストレーションだったのではいか。
八朔は「江戸お討入りの日」として、諸大名・旗本は、白帷子を着用して登城、将軍に祝詞をのべる習わしがあった。
吉原でも紋日として、遊女たちは白小袖を着て馴染みの客を待った。
果物の「八朔」の由来についてはこちらをどうぞ。→八朔