JR立川駅がちょっと変わりました

2007-09-30 | Weblog
 普段、よくJR立川駅を利用しているのですが、今日から駅の姿が少し変わりました 今までこの駅は、改札口が一ヶ所だけでしたが、新たに「西改札」が開設されました。乗降客がとても多い駅なので、一ヶ所だけの改札では朝・夕は大混雑していましたが、新たな改札口が出来て、多少は混雑が緩和されるでしょう。 ただ、立川駅で友人・知人と待ち合わせるとき、「改札を出たところ」がいつもの場所だったのですが、新しい改札口が . . . Read more
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伯父の戦記_43_大型機の絨毯爆撃(2)

2007-09-30 | 伯父の戦記
今日の進入コースは少し右寄りだ。投下が遅い。危ない、避難すべきか?鼓動が胸を打つ。喉が乾く。生唾を飲む。敵機を睨む指揮所より何の連絡も無い。数秒後、爆弾は投下された。瞬間、ゴーゴーと砂利を流し落とすような凄まじい轟音である。覚悟を決める。 着弾、真赤な火柱と共に炸裂音と土砂土煙が天高く舞い上がる。地響きが秒読のようにドス、ドス、ドスと地下から地面を持ち上げるように我が陣地に近づいてくる。防空壕の . . . Read more
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伯父の戦記_42_大型機の絨毯爆撃(1)

2007-09-28 | 伯父の戦記
このところカビエン飛行場には、味方戦闘機等の雄姿はまったく見られず淋しい限りである。つい二三ヶ月前迄は、朝夕激しいエンジンの音が聞こえていた。しかし今はそれも聞こえない。唯々主のいない飛行場を呆然と望む時、何か強い友を失ったようで、心の何処かに空洞が出来たようで誠に不安な毎日が続く。敵機は我が戦闘機(零戦)が不在を幸いとばかり、今日も又大型機で爆撃を敢行していく。数ヶ月前迄は、こうした事は決して許 . . . Read more
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伯父の戦記_41_激戦地としての兆候現る

2007-09-27 | 伯父の戦記
その兵隊達の姿は、申し訳ないが兵隊と呼べる姿ではなく浮浪者であった。衣服はボロボロ、顔は埃と垢で真っ黒となり、痩せ細り、髪や髭は伸び放題、体中は皮膚病に冒され、その上熱帯特有の病魔マラリヤ、デング熱、腸チフス、潰瘍等で苦しみ、正に死力を尽くしての撤退であった。中には上陸して間もなく、力尽き戦友に抱かれ息を引き取る兵隊もいた。私はこうした哀れな兵隊を見る度に人事として見過ごす事は出来なかった。食糧も . . . Read more
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雑記

2007-09-26 | Weblog
 昨日と今日は連休でした。私たちの仕事は年中無休ですから、一般の休日とは必ずしも一致しません。だから休日の過ごし方も一般的な人たちに比べて少し違う点があるかもしれません。 昨日は日中に父の墓参に行きました。お彼岸前半に行った際に頼んでおいた「塔婆」が出来上がったので、それを供えてきました。 塔婆はお彼岸毎に供えることにしていますが、これは職場に入所しているOさんの勧めから始めたことです。Oさん曰く . . . Read more
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伯父の戦記_40_陣地構築

2007-09-25 | 伯父の戦記
我が中隊は、翌朝早くから灼熱の太陽の下で設営隊員の応援を得て、陣地構築に取りかかった。椰子林から椰子の大木を伐採する者、運ぶ者、石の代わりに穴を掘りリーフを採集する者、炎天下それは大変な労働である。汗は滝の様に流れる。休む時間が無い。風土に慣れていない上、体力を酷使するので気分が悪くなる者続出。それでも休む事は許されない。歯を食いしばり頑張る。気が遠くなる。励ましの声があちこちに聞こえる。豊臣秀吉 . . . Read more
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伯父の戦記_39_上陸初日の空襲

2007-09-23 | 伯父の戦記
突然、誰かが叫んだ。爆音だ爆音だと。一瞬耳をすますと確かに爆音である。私達は未だ戦斗の出きる態勢ではない。とにかく200米程先のジャングルに逃げ込むことにした。探照灯が敵機を補足した。その閃光の中に四発の敵機が白く浮かんだ。そして一直線に我が方向に向かって近づく。私は敵機を見ながら無我夢中で走った。爆弾の落下してくる音シュルシュル、シュルシュルと。私は瞬間的に地面に飛び込む様に伏せる。倒れている大 . . . Read more
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難病医療費助成申請書(更新)兼同意書

2007-09-22 | 母のこと
 久しぶりに母のことを書きます。 私の母が「クロイツフェルト・ヤコブ病(プリオン病)」という病気に罹って入院生活を送っていることは、このブログで何度か書いています。 その母は、今年の2月頃に体調を崩して心配した時期もありましたが、それ以降は容態はとても安定しています。血色も良く、2月頃に頻発していた血尿の症状も見られません。ずっと続いていた微熱も収まっています。 ただ、身体の拘縮は徐々に徐々に進行 . . . Read more
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伯父の戦記_38_大自然の美しさ

2007-09-21 | 伯父の戦記
私は南の島に来て初めて味わう夜を心地よく迄満喫したいと思い、ホロ酔い気分でテントから外に出た。そこに見たものは先ず夜空の美しさである。吸い込まれるような青さ、星はダイヤをちりばめた様に輝き、手で掴んで見たい衝動にかられた。月は黄金の色鮮やかに大きい。眼下に目を転じれば、これ又なんと素晴らしい光景であろう。椰子の葉には夜露が宿し、その葉は微風に揺らぎ、月の光を反射してか?暗い中にも緑と黄金の光をピカ . . . Read more
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伯父の戦記_37_上陸祝い

2007-09-21 | 伯父の戦記
上陸祝いの準備も整い、ビールの栓があちこちで心地よい音と共に抜かれていた。この時の隊長は正に戦国時代の武将そのものであった。そして静かな口調の中にも力強く、中隊編成から始まり、出撃、航海、上陸までの経過を語り、部下の労をねぎらうと共に今後の厳しい戦斗対策を披露した後、隊長の音頭でカンパイ、戦友達は隊長の訓辞を肝に命じながらも何ヶ月振りかでビールを一気に飲み干した。この時のビールの美味さはなんと . . . Read more
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The Police Coming...

2007-09-18 | Music
Bass&Vocal+Guitar+Drumsという最小編成のバンドのステージはとてもシンプルでした。彼等はスタッフを含めて7人だけでワールド・ツアーを行っていたそうです。まるでインディーズのバンドが世界に出て行ったような構成です。  バンドはとてもまとまっていたのでしょう。熱気を感じました。ライブの模様は当時のFMラジオでも録音・放送されましたが、もちろんその放送はカセット・テープに録音して、 . . . Read more
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伯父の戦記_36_最終目的地カビエンに上陸(2)

2007-09-17 | 伯父の戦記
上陸用船艇に乗船の命が下った。味方水上機が一機、我々の上陸を歓迎するかのように上空を旋回している。海上では次々と船艇が鳥海を離れ上陸地点に向かった。  ここで一番心配される事は敵機の来襲であった。遠く沖合では鳥海が我が子(我々のこと)の無事上陸完了迄はと、身の危険を顧みず見守っていてくれた。  そのお陰と云おうか運が良かったのかは別として、とにかく無事上陸を完了した。沖合の巡洋艦鳥海は、上陸完 . . . Read more
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冷たいのは嫌

2007-09-16 | Weblog
福田さんに対しては、私は嫌なイメージをもった事があります。  それは数年前、小泉前総理大臣が北朝鮮を訪問して、拉致被害者の方々の消息が伝えられたときの事です。  被害者の消息をご家族に伝える役目を負ったのが当時の官房長官だった福田さんでした。福田さんはご家族に説明する際、ホテルの一室にご家族みなさんを招き、ご家族ごとに説明するのではなく、「あなたのところは生きている、あなたのところは死んでいる . . . Read more
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♪さとうきび畑♪

2007-09-14 | Music
 7月に施設でのライブを終えて、次回のライブは来年度の予定ですが、思うところあって次回で演奏する曲の準備を進めています。 このブログで戦争を体験をした伯父の手記を掲載したり、8月にテレビで戦争関連の番組を見たり、両親が買い求めていた戦争ドキュメントのビデオを見たりしているうちに、施設でのライブの中で戦争に関連する曲を採り上げてみたいと考えるようになりました。 現在80代以上の方は、10~30代に戦 . . . Read more
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伯父の戦記_35_最終目的地カビエンに上陸(1)

2007-09-13 | 伯父の戦記
しかし再び闇の海となる。10分程して鳥海に到着。外舷には縄梯子が下ろされていた。私達はそれを利用して迅速冷静に乗り移った。  鳥海は直ちに闇のラバールを出港した。暫くすると艦間拡声器からカビエン迄は数時間である。その間はよく寝ておくようにと伝達している。しかし誰一人として眠る事は出来なかったようだ。目指す上陸地点カビエンとは一体どんな島なのか?何も聞かされていない。味方が既に上陸しているのか?無 . . . Read more
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