伯父の戦記_43_大型機の絨毯爆撃(2)

2007-09-30 | 伯父の戦記



 伯父の戦記「大型機の絨毯爆撃」の2回目です。
 戦場では、正に数秒の時間差、数メートルの位置の違いで生死が分かれる場面があります。そんな緊迫した場面の伯父の記録です。
 
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 飛行場から我が陣地迄は直線距離にして約200米である。従って敵機の爆弾投下の時間が数秒の誤差で、我が陣地は飛行場同様、木っ端微塵に吹き飛ばされる運命にある。

 私達はこうした時、先ず最初の爆弾の着弾地点を良く確認し、行動を取らねばならない。それは数秒後の生死に繋がるからである。生か死か?皆の目は血走り、一途に進入コースと爆弾投下、そして着弾地点に目が注がれている。

 今日の進入コースは少し右寄りだ。投下が遅い。危ない、避難すべきか?鼓動が胸を打つ。喉が乾く。生唾を飲む。敵機を睨む指揮所より何の連絡も無い。
 数秒後、爆弾は投下された。瞬間、ゴーゴーと砂利を流し落とすような凄まじい轟音である。覚悟を決める。

 着弾、真赤な火柱と共に炸裂音と土砂土煙が天高く舞い上がる。地響きが秒読のようにドス、ドス、ドスと地下から地面を持ち上げるように我が陣地に近づいてくる。防空壕の天井からは土砂がザーザーと落ちてくる。大地が大きく揺れる。体が踊る。胃袋に響く。皆の顔面は蒼白である。今来るか、今来るか?生唾を飲む皆の体は益々小さくなる。声を出せば全身の力が抜けてしまいそうである。唯々無言のままでこの恐怖と戦っている。
 生か死か?死は目前に迫っている?とにかく戦わずして爆撃の真只中にさらされる此の恐ろしさは、言語に絶するものであり正に地獄である。

 幸いこの日の爆撃も陣地の手前30米の所で終わった。もしこれがあと四、五発多く、又数秒遅く投下されていたならば、私達は云う迄もなく陣地諸共木っ端微塵となり、南の空に散っていたであろう。
 戦場とは本当に明日の我が命も分からない。又知ろうとしない心境である。それにしても、こうした苦しい毎日が何時迄続くのか?

 今日の敵機は20機、飛行場等の爆撃だけでは飽き足らず、飢餓寸前の我々が、日夜血と汗と泥にまみれ、多くの犠牲を払い耕作している芋畑迄を容赦なく目の前で次々と爆撃し、吹き飛ばして行く。
 情けないやら、悔しいやら、どうしようもない怒りを覚える。こうした爆撃は、今の私達にとっては死に繋がる大きな打撃である。昨日、苗を植え付けたばかりの畑、或いは収穫を目前にした畑等が広範囲に渡り被害を被る。従って時には労働意欲とも急速に減退し、食糧確保にも大きな影響を及ぼす結果となる。

 敵のこうした作戦は、我が日本軍と戦わずして効果を発揮し得る唯一の作戦であるようだ。そのため日を増すごとに我が日本軍は飢餓と病魔に苦しみ、戦力を失い、最後は死に追いこまれていく運命である。
 しかし私達は負けなかった。精神的、体力的苦痛を背負い乍も今まで以上に農耕作業を続けるのであった。灼熱の太陽の下で戦争が続く限り、体力の亡ぶ迄、正に地獄に生き、地獄に死す戦場の一駒である。
 (完)

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