By The Way 母の容態

2007-11-17 | 母のこと
 昨日はRed Hot Chili Peppersのアルバム“By The  Way”を何度か繰り返し聴いていました。 昨日は宿直明けに早番という勤務で、二人ペアで主に入所者の水分補給等を担当する業務でした。 ペアの先輩Oさんと雑談する時間もあり、お互いの家族の近況のことにも話は及びました。 私の母は約2年の入院生活を送っていますが、Oさんのお父様も現在入院中で、その容態が思わしくなく、 . . . Read more
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難病医療費助成申請書(更新)兼同意書

2007-09-22 | 母のこと
 久しぶりに母のことを書きます。 私の母が「クロイツフェルト・ヤコブ病(プリオン病)」という病気に罹って入院生活を送っていることは、このブログで何度か書いています。 その母は、今年の2月頃に体調を崩して心配した時期もありましたが、それ以降は容態はとても安定しています。血色も良く、2月頃に頻発していた血尿の症状も見られません。ずっと続いていた微熱も収まっています。 ただ、身体の拘縮は徐々に徐々に進行 . . . Read more
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暖冬で救われました&「ふるさと」音源アップ

2007-02-10 | 母のこと
 今年の冬は暖冬で、東京(都心)で氷点下まで気温が下がったことはまだ無いそうです。でも、私が住んでいる、勤務している地域は東京でも西の方、多摩地区です。都心よりもだいぶ寒いところですから、気温が氷点下になることは間々あります。 そして、母が入院している病院も東京都と埼玉県の境に位置している場所なので、ここもまた深夜や明け方には相当に冷え込みます。  母が罹ってしまったクロイツフェルト・ヤコブ病は . . . Read more
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母の面会

2006-12-05 | 母のこと
 昨日は午後2時過ぎに母の面会に行きました。普段は午後5時台に行われる鼻腔への経管栄養補給の時間に合わせて行くことが多いのですが、買い物の都合などでいつもより早い時間になりました。 そのことが幸いして、母の面会に来てくださったお二人の方とご一緒することができました。 そのお二人は、母とは40年来のご近所付合いをいただいているWさんとⅠさんでした。母とお二人とは、それぞれの子供が近い世代だったことか . . . Read more
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母の入院・衣類について

2006-10-28 | 母のこと
 10月26日で母が入院生活に入ってから1年が経過しました。 東京・府中にある都立神経病院に入院して、そこで約半年を過ごし、今はかつて母が勤めた病院に居ます。今の病院での入院期間の方が長くなりました。  母の治療には効果的なものは無く、栄養補給を続けることと、衛生環境を保全することが主なものです。 汗をかきやすい母は、今の季節に入ってもタオルケットを軽く被せただけで臥床しています。衣類は身体の拘 . . . Read more
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母を在宅介護していた頃 5

2006-10-01 | 母のこと
 昨年の10月の初旬に地域の総合病院で受診した帰り、昼食を食べるためにファミレスのデニーズに行きました。母には既に痴呆症状が現れており、自分が何を食べたいのか判断がつかなくなっていました。 私が母に魚料理の和定食を勧めて、お膳に載せられたその和定食がテーブルに運ばれてきたのですが、母はなかなか手をつけようとしませんでした。箸を右手で持って、お椀を左手で持つ、というような基本的な動作に戸惑ってい . . . Read more
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母を在宅介護していた頃 4

2006-09-19 | 母のこと
 母が最後に自分で入浴できたのは、昨年の9月の終わり頃だったと思います。それより少し前にはガス給湯機やシャワーや水栓の使い方が分からなくなってしまい、浴室の外からそれらの使い方を伝えていました。 給湯機の使い方を誤ると、高温のお湯をシャワーから出してしまったり、浴槽のお湯の温度を高温にしてしまったりといった危険性も心配されます。幸いそのような誤操作はなかったのですが、10月に入ると歩行が困難になっ . . . Read more
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母を在宅介護していた頃 3

2006-09-12 | 母のこと
 在宅介護をする中で、必要な介護状況に応じて様々な道具・器具が必要になってきます。 私の母の場合は、急激に介護を必要とする場面が現れたため、慌ただしくそれに対応する道具・器具を準備しました。 最初に購入したのはポータブル・トイレでした。母は病気の発症の初期、歩行にふらつきが見られ始めました。ベッドやソファーから立ち上がって数歩進んだところで壁に手をついてつたい歩きをしたりしていた姿を目撃してから数 . . . Read more
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母を在宅介護していた頃 2

2006-09-04 | 母のこと
 母の在宅介護が始まった二週め、昨年の10月初旬には母はもう外に出て歩くことも少なくなりました。食欲も減退し始めており、胃腸も丈夫で何でもよく食べていたのに、食卓に並べたおかずに手が伸びなくなっていました。 そんな母が私に最後にリクエストした食べ物は、「万世」のすき焼きでした。家から車で10分ほどのところに「万世」のレストランがあるのですが、そこで食べたすき焼きを母がまた食べたくなったようです。  . . . Read more
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母を在宅介護していた頃 1

2006-09-01 | 母のこと
 昨年のお彼岸明けの頃の母は、急速に痴呆症状が進行していました。この頃はまだ普通に歩行できる等、身体能力は通常どおりだったのですが、金銭の計算ができなくなったり、昼夜の感覚がずれてきたり、感情が不安定になって不安を訴えたりといった状態が現れていました。  針式の掛け時計をじっと見つめる母が「時計の見方が判らない」と訴えることもありました。ただ、携帯電話が表示するデジタル表示の時刻は判るようで、こ . . . Read more
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母が病気を発症した頃のこと

2006-08-24 | 母のこと
 母の変調に初めて気づいたのは、昨年の9月に入った頃でした。 私たちが最初にきづいた変化は、ごく一般的な「痴呆」症状のようなもの、一般常識的な言葉遣いや、行動といったものに母が躊躇してしまう姿でした。  例えば、昨年の9月のお彼岸のとき、母方の墓参のために千葉県の成田市に私が運転する車で出かけましたが、そのときにも妙な言動・行動が見られました。前方を走る車のブレーキランプが点灯するのを見て、母は . . . Read more
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母が入院した日のこと Ⅰ先生への感謝

2006-08-16 | 母のこと
 昨年の9月に変化が現れた母を、その不思議な症状がいったい何の病気か分からず、かかりつけのクリニックを始まりに、いくつもの病院を受診して回りました。総合病院、高齢者向けの病院、神経系の病院...しかし、いずれの病院でも母の病気が何なのか判断できず、母と私は、いわば「たらい回し」にされていました。 そのたらい回しにあっている間にも、母の状態は日に日に変化が起きていて、発症の頃は自力で歩くことができた . . . Read more
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レッチリと母のこと

2006-08-14 | 母のこと
...医師の説明が正しければ、母の余命はあと数ヶ月です。  もう言葉も交わせず、身体を自ら動かすことができず、鼻腔から栄養を得て過ごす母と病室で過ごして、帰るときにはたくさんの洗濯物を持って病院を後にするとき、車の中でなんとも表現しにくい気持ちになります。 見舞いの帰りの車の中でも\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\"Red Hot Chili Peppers\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\"には何度も何度も力をもらえた気がします。彼らの音楽を知る方にとっては、そんな落ち込みそうなときに聴く音楽?と感じられるかもしれません。でも、音楽の聴き方、感じ方は人それぞれですから、私のように感じても、それはアリだと思います。 . . . Read more
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