一昨日と昨日の一泊二日で、福島県会津地方に出かけました。 目的は、猪苗代湖の畔にある「野口英世記念館」を見学するためです。
野口英世の名をご存知ない方は少ないと思いますし、私自身も子供の頃にその伝記も読んで、近代史の偉人の一人であることは知っています。大人になってから改めて野口英世の生涯を知る機会を得ました。
記念館は、彼が生まれ育った家を当時の場所にそのまま残しています。補修は当然行なわれているのですが、当時の雰囲気はよく残されていました。
幼いときに火傷を負った囲炉裏もそのまま、母親・シカが生計のために植えた桑の樹も一部が残されています。
今回の見学で、最も感銘を受けたのは、英世が米国で活躍していた明治の末期に母が送った手紙でした。その原本が記念館に展示されています。
全文は長いので分割して掲載します。
充分な教養を受けられなかった母・シカが懸命にしたためた文章です。
遠い異国の地に離れてしまった息子の活躍、世間にも誇れるような成功に喜び、身を案じ、でも帰ってきて一目だけでも会いたい、そんな思いのたけが詰まっているようです。
原文のままでは意を理解することが難しいため、簡単な訳文も併せて掲示されています。これも分割して掲載します。
英世が帰国したのは、母が手紙を送った明治45年から3年過ぎた大正4年でした。母との再会は果たしていますが、その後は帰国していません。
野口英世は細菌学の権威となり、黄熱病の研究・対策のためにアフリカに赴き、現地で1年ほどを過ごした結果、自身が黄熱病に罹り現地で亡くなりました。
最期の言葉も記録されています。
「私にはわからない」
黄熱病の原因のことか、治療法のことかは不明ですが、最後まで研究に打ち込んだ殉死でした。
彼のお墓は米国・ニューヨークのウッドローン墓地にありますが、その墓碑には下の写真と同じ墓碑銘が記されています。
大人になってから知る野口英世の生涯は、母・シカの存在を併せて接してみると、子供の頃に得た知識とは違った側面が見えます。来て良かった。そう思える旅行でした。
野口英世記念館の場所は下記のとおりです。
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