新潟日報毎月第1・3・5金曜日掲載の
「ファーマーズ・ハイ」を知っていますか?
私の尊敬する農家さんのブログ「フリョウノウミン」はかなり有名ですし、新聞も多くの県内の方が読んでいると思います
本当に偶然にも同じ大学、同じ学部、同じ学科の同級生で、在学中はお互い全く面識もなく、新潟に来てから知り合ったという不思議なご縁のある方です
今日の新潟日報「ファーマーズ・ハイ」は私にとって、とても興味深く、心に残るものだったのでご紹介します。
そがさんの書く文章はブログも本(がちんこ農業生活)も新聞記事も人を惹きつけますね
ユニークな文章の中に農業をする中での熱い思いなどがあって、共感、感銘を受けます
実は私も海外での農業を考え、タイ、ベトナムと農業実習にいったことがあり、いろいろな刺激を受けて帰ってきました。
高校生の頃から「農業をやる!」と心に決めていて、その当時から英語が好きだったので、漠然と途上国での農業指導や食糧不足問題などにも取り組めたら良いな、と考えた時期もあったのです。
大学中、お金を貯めて海外へ農業実習に行き、タイでは3週間現地の人と一緒に生活をして、山岳民族の方の村にいったり、農場で働いたりしました。(もちろんさつまいもを追い求めていろんなさつまいも体験もしましたよ)
一人旅だったのでかなりタイ語もマスターし日常会話はできるようになったのにな・・・今じゃすっかり忘れました
そんな中で自分の未熟さを思い知ったんです。
海外で何かやろうという前に、まだまだ私は日本の農業を知らないじゃないか、農業の原点も知らずに「農業指導」なんてできるわけがない!!!と。
それで、本格的に日本での就農を考えるようになったんです。
今、思うと異国での体験があったからこそ、日本で農業をできる有難さ、日本のいいところを実感できるようになったんだと思います。
そがさんと私は立場は全然違い、「農家の息子」であることにコンプレックスを持っていたようですが、私は「非農家であること」が就農するときの大きな壁になっていて「東京生まれの東京育ち」はある意味でコンプレックスでした。
でも中越大震災の時に「マイナスをプラスに変える発想で頑張ろう」って思うようになってから私の中で何かが変わりました。
地震で「小千谷」が有名になった今だからこそ、動きやすいんじゃないかって。
「こせんたに」なんて読まれちゃっていたのにしっかり「にいがたけんおぢやし」が有名になれたじゃない
じゃあ自分自身だっていろんな意味で「客寄せパンダ」になったっていいじゃないかって。
今回の記事の中で
「自分の過去をプラスに転換できたこと」
「今ある自分は過去の積み重ねの集大成」
「農業をすることに誇りを持てた」
とあり、私の心にすごく響きました
夢を描いた10代
夢と現実に葛藤した20代
夢を形にできる自分に近づいた30代
過去があるから今の自分がいるんだと、なんだか改めて実感し
「明日から頑張ろう」
と思えた一日でした
「ファーマーズ・ハイ」を知っていますか?
私の尊敬する農家さんのブログ「フリョウノウミン」はかなり有名ですし、新聞も多くの県内の方が読んでいると思います
本当に偶然にも同じ大学、同じ学部、同じ学科の同級生で、在学中はお互い全く面識もなく、新潟に来てから知り合ったという不思議なご縁のある方です
今日の新潟日報「ファーマーズ・ハイ」は私にとって、とても興味深く、心に残るものだったのでご紹介します。
そがさんの書く文章はブログも本(がちんこ農業生活)も新聞記事も人を惹きつけますね
ユニークな文章の中に農業をする中での熱い思いなどがあって、共感、感銘を受けます
実は私も海外での農業を考え、タイ、ベトナムと農業実習にいったことがあり、いろいろな刺激を受けて帰ってきました。
高校生の頃から「農業をやる!」と心に決めていて、その当時から英語が好きだったので、漠然と途上国での農業指導や食糧不足問題などにも取り組めたら良いな、と考えた時期もあったのです。
大学中、お金を貯めて海外へ農業実習に行き、タイでは3週間現地の人と一緒に生活をして、山岳民族の方の村にいったり、農場で働いたりしました。(もちろんさつまいもを追い求めていろんなさつまいも体験もしましたよ)
一人旅だったのでかなりタイ語もマスターし日常会話はできるようになったのにな・・・今じゃすっかり忘れました
そんな中で自分の未熟さを思い知ったんです。
海外で何かやろうという前に、まだまだ私は日本の農業を知らないじゃないか、農業の原点も知らずに「農業指導」なんてできるわけがない!!!と。
それで、本格的に日本での就農を考えるようになったんです。
今、思うと異国での体験があったからこそ、日本で農業をできる有難さ、日本のいいところを実感できるようになったんだと思います。
そがさんと私は立場は全然違い、「農家の息子」であることにコンプレックスを持っていたようですが、私は「非農家であること」が就農するときの大きな壁になっていて「東京生まれの東京育ち」はある意味でコンプレックスでした。
でも中越大震災の時に「マイナスをプラスに変える発想で頑張ろう」って思うようになってから私の中で何かが変わりました。
地震で「小千谷」が有名になった今だからこそ、動きやすいんじゃないかって。
「こせんたに」なんて読まれちゃっていたのにしっかり「にいがたけんおぢやし」が有名になれたじゃない
じゃあ自分自身だっていろんな意味で「客寄せパンダ」になったっていいじゃないかって。
今回の記事の中で
「自分の過去をプラスに転換できたこと」
「今ある自分は過去の積み重ねの集大成」
「農業をすることに誇りを持てた」
とあり、私の心にすごく響きました
夢を描いた10代
夢と現実に葛藤した20代
夢を形にできる自分に近づいた30代
過去があるから今の自分がいるんだと、なんだか改めて実感し
「明日から頑張ろう」
と思えた一日でした
ちょっと真面目なコメになりますが、りっちゃんが日本で学んでいる農業は機械化が進んでいますが、途上国では機械化する資金がないため手作業が主流ですよね。
私の持論なんですが、“農家”っていうのは、『機械も乗りこなせて、小道具も使える』それが農家なんじゃないかと思ってます。
鍬も使うしスコップも使う。きっと途上国での指導となると、そういう手作業の“技”も必要になってくると思います。だからりっちゃんには幅広く何でも上手くなって欲しいと思ってます何か手助けが必要な時は遠慮なく言ってくださいね
りっちゃんの夢が限りなく現実に近づくことを、私は影ながら応援しています
でも一番の弱点は・・・
機械とマメさかな;;;
そこらへんのフォローをお願いしたいですよ;;;