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nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

居心地のよかったリューネブルク

2018-09-18 20:14:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第10弾

リューベックでの連泊を終えて、リューネブルクに移動しました。ラッツェブルク、メルン経由のローカル線で行ったのか、一旦ハンブルクに出て、ハノーファー方面へ向かう幹線で行ったのか、今となっては思い出せません。

リューネブルクは通りを挟んで東駅と西駅が相対していて面白い構造でした。最初に降りたのが西駅で、こちらはローカル列車用の駅。列車の写真が2枚でてきました。

電気機関車が牽引していますからハンブルク~ハノーファーをつなぐ幹線のローカル列車

こちらは、ディーゼル機関車なので、リューベック~ラッツェブルク~メルン~リューネブルクをつなぐお馴染みのローカル線。ディーゼルカーが主体でしたが、1日に何本か客車列車も走っていました。

さて、西駅は趣のある駅舎でした。

一方、優等列車(といってもわずかなインターシティとインターレギオしか停車しませんでした)の発着する東駅です。

四半世紀以上前の話です。今は、どうなっているのでしょうか?

そして駅を後に街へ向かいます。

ヨハネ(聖ヨハニス)教会が聳える街並みはリューネブルクの代表的情景です。


街の中心Marktplatzです。


イルメナウ河畔の情景


かつては岩塩の採掘で栄えた町なので塩博物館がありました。敷地内にあった機関車風の車両が気になったのか、こんな写真が出てきました。

リューネブルクといえば少し離れたところに広がるリューネブルガー・ハイデが有名です。観光馬車にも乗りましたが、時期はずれだったため、一面紫に染まるエリカ(ヒース)の原を見ることはできませんでした。

たまたま、日本人の女性がいたので写真を撮ってもらいました。28年前の夏の思い出でした。

<参考>
ヨーロッパ鉄道旅行写真アーカイブス一覧は、こちら

バルト海の保養地トラーヴェミュンデ

2018-09-17 23:37:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第9弾

リューベック中央駅からバルト海の保養地トラーヴェミュンデまで列車で往復しました。リューベックはトラーヴェ河畔の街ですから、トラーヴェミュンデとはトラーヴェ川の河口と言う意味。列車で片道20分ちょっとのところでした。

ステンレスの近郊型客車は、メルクリンの鉄道模型でおなじみのもの。幹線の普通列車やローカル線ではよく乗った車両です。

客車列車なのに機関車がない!いえ、後部から押していくプッシュプルトレイン、ドイツ語ではPendelzugとかWendezugと呼ばれる列車で、これもドイツではよく見かけるタイプの列車でした。
途中にいくつか駅らしきものはあったのですが、廃墟みたいですべて通過。快速列車という表示でしたが、この路線を走る列車は、すべて快速。リューベック中央駅を出ると、停車駅はトラーヴェミュンデの3つの駅だけでした。トラーヴェミュンデ何とかという駅が3つあり、最後はTravemuendeStrand、訳せばトラーヴェミュンデ海岸駅です。

せっかくなので海岸まで歩いて行きました。といっても、すぐでしたが・・・。







リューベック市内に滞在中はどんよりとした天気が続き、ひとりで過ごしていると重厚な街並みが暗い雰囲気に感じられ、落ち込むことしきり。久しぶりに広々とした海を眺めているうちに気分がさわやかになり、気が晴れたのを覚えています。

帰りの列車はディーゼル機関車が先頭に立ち、リューベック中央駅を目指して走っていきました。


ティル・オイレンシュピーゲルゆかりの町メルン

2018-09-17 16:38:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第7弾

リューベック滞在中に日帰り小旅行で最初に訪れたのはメルン。リューベック中央駅からローカル線で25分くらいのところです。

リューネブルク行きの列車は2両編成のディーゼルカー。写真では2編成連結されて4両編成になっていました。当時としては最新型車両でした。

メルンの駅舎は小さいながらも風格がある建物でした。鉄道模型の駅のモデルとして考えてもいいですね。

メルンの町おこしとして大々的にPRしているのは、伝説のいたずら者ティル・オイレンシュピーゲル。クラシック音楽が好きな人だったら、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」で名前はご存知でしょう。この像が、ティル・オイレンシュピーゲルです!

彼は、ここメルンで亡くなったとのこと。病死説もありますが、R.シュトラウスの交響詩ではいたずらがたたって絞首刑になっています。

 ともあれ、ティル・オイレンシュピーゲルゆかりの地ということで、町のいたるところで彼の名前を見ることができました。

ティル・オイレンシュピーゲル小学校。子供の絵が楽しいですね。

ティル・オイレンシュピーゲル庵?レストランのようです。
小さい街でしたが、見どころが多く楽しめました。

<参考>ヨーロッパ鉄道旅行写真デジタル・アーカイブス一覧は、こちら

リューベック中央駅

2018-09-17 15:45:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、シリーズ第5弾

国際列車「アルフレッド・ノーベル号」をリューベック中央駅で下車。1990年のドイツの旅は、ここからスタートでした。

荘重な駅舎は貫録があります。このあたりの路線は非電化で、ディーゼル機関車が構内にたむろしていました。





行き止まりの終着駅ではなく、通りぬけのできる中間駅でしたが、大きなドームで覆われたターミナル駅。1990年は、すでにベルリンの壁が崩壊し、10月にはドイツ再統一となったのですが、すでに東西ドイツの行き来は自由で、鉄道も2つの国鉄が併存していましたが、車両はかなり自由に往来していました。最後の写真のように、旧東ドイツのディーゼル機関車を旧西ドイツのリューベックで見かけることも珍しくはありませんでした。

国際夜行列車『アルフレッド・ノーベル』号

2018-07-25 19:35:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、シリーズ第4弾

ノルウェーの首都オスロからドイツへ向かいました。乗ったのは、国際夜行列車『アルフレッド・ノーベル』号。発車はオスロ中央駅です。

centralstationのスペルがsentralstasjon。英語ではなくてノルウェー語なのです。

発車案内板には、17時発ハンブルク行きと出ていました。


ホームに出ると、列車が横づけになっていました。ノルウェーなのに、スウェーデンの電気機関車が先頭に立っていました。国境まで2時間ほどですが、大きな都市がなさそうなので、付け替えの手間を省くためでしょう。

私が乗るのは1等寝台車。TEN(Trans Euro Nacht、英語ならNightです)のロゴが付いていました。



客車の行先表示板(サボ)も見ておきましょう。


個室寝台は手狭で、窓寄りに洗面台があるところなど、旧国鉄のブルートレインのオロネ25みたいでした。

17時発車とはいえ、夏の北欧ですから、日はまだ高く、しばらく走っても昼間の列車のような車窓でした。

撮影場所は、まだノルウェーなのか、すでにスウェーデン領内に入っていたのか、今となっては分かりません。

スウェーデン第2の都市ヨーテボリで進行方向が変わり、ようやく日が暮れ、夜のスウェーデンを走っていきます。食堂車はなく、1等寝台の客は、倉庫のような別室で温かい食事を食べることができました。ムードはなかったですが、美味しい食事でした。

寝ている間に、スウェーデン南部のヘルシンボリからフェリーに客車ごと載せられ、カテガット海峡を渡ってデンマークのヘルシンオアへ。上陸後、首都コペンハーゲンを経て、ロービューへ。再び列車ごとフェリーに乗せられ、バルト海を渡って、ドイツへ向かいました。

たぶん、目が覚めたのはフェリーの中。ドイツのプットガルデンで上陸し、窓から外を見ると、すでに朝となっていて、赤いディーゼル機関車が列車を牽引していました。


列車の編成は寝ている間にかなり変わっていて、ヨーテボリかヘルシンボリでストックホルム初の車両を併結していたようでした。このときは、ハンブルクまで行かないで、リューベックで下車したと思います。写真が残っていないのが残念です。