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nodatchのブログ

鉄道が好きな旅行作家が、取材や出版などの個人的な話を書いていきます

伝説のディーゼル機関車V200形

2018-10-02 22:26:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第15弾

Dampf Nostalgie(蒸気ノスタルジー)というドイツのSLイベントがあって、ハンブルクを起点に特別SL列車を土日の2日間にわたって運転するというポスターを駅で見かけた。さっそく土曜日の分を申し込んで指定券を確保。わくわくしながら土曜日の朝、ハンブルク中央駅へ向かった。予定では01-10形蒸気機関車が列車を牽引することになっていた。しかし、ホームに入ってきたのは蒸気機関車ではなくディーゼル機関車を先頭にした列車だった。

構内放送やホームにいた関係者の話を総合すると、蒸気機関車が故障したので、この日のイベント列車はディーゼル機関車牽引に変更されたとのことだった。がっかりだが、このディーゼル機関車は、すでに現役を引退していた貴重なV200形。個人的には、嫌いな車両ではなく、メルクリンの模型も持っていた。気を取り直して、この日はV200形につきあうことにした。

列車はハンブルク中央駅を発車。一路、リューベックへ向かう。


リューベックからは、北西方向へ進むローカル線に乗り入れ、湖畔の町プレーンで大休止。湖を貸切の船で周遊したり、ランチを摂ったのち、停車中のV200形と列車をじっくり撮影する時間となった。






今にして思うと、これはこれで貴重な写真であった。

伝説の名列車、元TEEディーゼル特急に遭遇

2018-09-25 19:10:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第14弾

ドイツ第2の大都会ハンブルクのターミナル駅のひとつハンブルク・アルトナ駅で見慣れない列車に遭遇しました。往年の名列車、かつてTEE(Trans Europ Express=ヨーロッパ国際特急)として活躍したディーゼル特急VT11.5形です。とうに引退していたはずですが、偶然ホームに停車していたのです。実は、ドイツ再統一をひかえ、1990年7月27日から9月29日までの2カ月限定の記念運行だったのです。InterCity(特急列車)"Max Liebermann”(ベルリンゆかりの画家の名前)tとしてハンブルク・アルトナ駅とベルリンの間を1日1往復した列車に偶然遭遇したのでした。


よく見ると、車体にDRと書いてあります。西ドイツ国鉄(DB)ではなく、東ドイツ国鉄(DR)の所属でした。車体の色も元々はクリーム色の部分が白くなっていて、オリジナルとは微妙に異なりますが、先頭には堂々とTEEのロゴ。感激しました。

行き止まりのホームをぐるっとまわって、先頭部を撮影。19時08分発車とのことで急ぎました。



再びホームの先端へ。




サボ(行先表示板)もしっかり撮影しました。


発車を見送りましたが、翌朝、今度はベルリンから到着する列車を、ハンブルク中央駅で出迎えました。朝日を浴びて輝いていました。




乗車できなかったのは残念ですが(実は、アルトナ駅で少しだけ車内を見学したのです。写真は残っていませんでした)、2回遭遇できたので満足しています。

ハンザ都市シュターデとシティバーン

2018-09-25 12:05:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第13弾

エリカ街道の街めぐり取材、最後はシュターデでした。リューネブルクから一旦ハンブルクに出て、シティバーン(CITY BAHN)という近郊列車でハンブルクの西方にあるハンザ都市シュターデを目指しました。141形というやや小ぶりの電気機関車が牽引する客車列車。もともとはジルバーリンゲSilberlingeと呼ばれるステンレス客車をリニューアルし、塗装も変えた車両でした。






ハンブルク中央駅から50分ほど。現在は、Sバーンやメトロノームという第3セクターが運営しているようですが詳しいことは分かりません。

シュターデの駅は趣のある駅舎で、街の情景によくマッチしていました。


街の中心Pferdemarkt。広場の真ん中の人工池にたたずむ河童みたいな像が愉快でした。


街歩きをしたはずですが、写真が散逸して見当たらず。小さい街なのに鉄道模型の店があったり、薬局のショーウィンドウの中を汽車の模型が走っていたりと、そんなことが気になって撮った写真はありました(笑)




街中にトラムはなく、ラッピングバスが目に留まりました。


駅に戻ると妙な車両が停まっていました。架線の検査や修理をする702形という車両でした。


市内で一泊してハンブルクへ戻りました。

「北ドイツの真珠」ツェレの街を散策

2018-09-21 17:03:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第12弾

「北ドイツの真珠」と呼ばれるツェレCelleの街を散策しました。駅から歩いていくと、まずはツェレ城があり、ちょっと小休止。




その先が、いよいよツェレの街。木組みの家がずらりと並んでいて壮観でした。人気の観光地なので観光バスから吐き出された人、人、人でごった返していました。




何だかテーマパークみたいで落ち着かず、連泊していたリューネブルクの方が居心地がよかったと思いました。人が多すぎたので印象が良くなかったのでしょう。静かな時期に訪問すれば、また印象が変わったとは思いますが、人気の観光地ですから、空いている日はあるのでしょうか?

帰りも急行に相当するInterRegioで、行きと同じ103形牽引でしたが、「残念な」塗装の機関車でした。前回の写真と比べていただければ分かると思いますが、この赤主体の塗装はセンスが悪いとしか思えません。103形が可哀相です。



懐かしのインターレギオでツェレへ

2018-09-21 16:44:00 | ヨーロッパの鉄道
1990年夏のヨーロッパ旅行、デジタルアーカイブス、シリーズ第11弾

北ドイツのリューネブルク滞在中に、列車で40分ほどのところにあり木組みの家並が美しい街ツェレCelleを訪問しました。ハンブルクからハノーファーに至る幹線上にあるのですが、当時最速のインターシティ(IC=InterCity=特急に相当)は停車しないので、インターレギオ(InterRegio=急行に相当)を利用しました。





高速列車ICE(InterCity Express 俗称「ドイツ新幹線」)登場前だったので、こうした機関車牽引の列車がまだまだ幅を利かせていました。ほとんどの優等列車の先頭に立っていたのが卵型の103形電気機関車。珍しくなかったし、フィルムは限りがあるので、旅の後半になると、カメラを向けなくなることもしばしばでした。今考えれば、もったいない話ですが・・・ 

インターレギオの客車に用いられている青の濃淡と白の塗装は私のお気に入りでした。インターシティとは違って、列車名は付いていなかったのが、ちょっと残念でした。


客車は新製ではないようですが、車内はリニューアルされて何だかオシャレなインテリアでした。


InterCityは、まだ健在ですが、InterRegioは廃止され、103形もイベントで動くと大騒ぎする存在になってしまいました。ちなみに、写真の103形電気機関車はラストナンバーで保存機となっているとのこと。この写真をfacebookに投稿したところ、詳しい人から教えていただきました。
そういえば、1998年にツェレの近くで、ICEが脱線転覆して100人以上が亡くなるという大惨事が起きましたね。当時は、そんなこともちろん考えたこともなく、猛スピードで走る列車の旅を楽しんでいました。

インターレギオにもっと乗っていたかったのですが、このときはあっという間にツェレに到着。下車して撮った1枚は、ビストロカフェ車両。このときは立寄りませんでしたが、やはりユニークなインテリアです。この車内で軽食を摂ったり、ビールを呑むのが愉しみでした。