IT翻訳 Nobuyuki の仕事部屋

ボランティアでソフトウエアーローカライズのために翻訳をしている。

別れ道

2007-04-25 22:48:24 |  Mozilla Org.


4月18日に初期食道がんの摘出手術をうけて、2、3日後に主治医から手術時の記録写真をまじえて手術についての詳細の説明を受けた。それらは、内視鏡で撮られた手術の記録であり、写真には手術の経過に従って時間が入っていた。

全部で7枚の写真だった。

①メスが入る前の患部の写真(がんの箇所は判然としない)←16:02:44
②ルゴールという薬剤を患部に吹き付けて、がんの患部を明確にしたもの
③-1食道から患部を切除した状態のもの(切除された部分がなにやら焼肉の肉片のように見える)
③-2食道から患部を切除した状態のもの←17:00:32
④患部を取り出して単体で撮影したもの(切除された薄い食道の粘膜で、白色。大きさ4x5cm)
⑤-1患部に赤い薬剤を塗布したもの(がんの部分は白濁しており、そうでない部分は透明)
⑤-2患部に赤い薬剤を塗布したもの(がんの部分は白濁しており、そうでない部分は透明)←17:13:58

がんと言うと、突起状になっているようなイメージを持っていたが、写真で見る自分のがんは扁平に伸びた組織であった。4x5cmほど食道の粘膜が切除されているが、その70%くらいががんであった。ルゴールを塗布した写真を見ると、粘膜が透明に見える部分と、白濁している部分に分かれる。がんの発生している粘膜は白濁しており、切除された粘膜上で、大陸のように広がっている。また一部大陸から離れた小島のように、小さく白濁している部分もあった。これはがんが、ある起点を中心にどんどん扁平に広がっているようにみえるが、実は、点在した複数の拠点からそれぞれにひろがり、繋がっているのかもしれない。

あと印象的なのは、扁平ながんは内視鏡で覗いても肉眼ではほとんど気づかないようだ。①の写真ではどこががんなのか、不明であった。薬剤を塗布して始めてがんの在りかが分かる。専門医が意識して見なければ、通常の内視鏡検査では発見されないだろうと思った。実際、昨年の8月に別の病院で、内視鏡を受けたが食道のがんは発見されず、胃のポリープを見つけてもらっただけである。

自分の場合は、主治医に注意深く食道を見ていただいてがんと分かった。つくづく命拾いをしたと思う。発見してくれた、主治医にあらためて礼を言った。一般に食道がんは自覚症状がないことが多いので、嚥下困難などの症状が出て、がんと分かった場合は手遅れになっているそうである。5年間の生存率は16%とも言う(これはインターネットで家内が調べた‐自分は怖くて調べる気にもならない)。

あと主治医に言われた事だが、初期食道がんは、とりわけ自覚症状がないそうである。自分は胸の違和感を覚えて、食道を調べてもらったが、その原因はがんのせいではなく、別の理由のためだろうとのことだった。それであれば、なおさらの事ラッキーであった。





退院の日

2007-04-24 16:32:53 |  Mozilla Org.


予定どおり本日退院。午前中に家内が退院手続きを済ませてくれて、ふたりで自宅に戻る。

ちょうど先週の水曜日の18日にがんの摘出手術をうけたから術後1週間である。3月22日に病院長から、最長でも2週間の入院と聞いていたので、順調に回復しているのだろう。明日から仕事再開である。がんだからと言ってのんびりしていられない。まだまだ学生の子をふたり抱えて、病床に臥しているわけにも行かない。それに、あまり長く仕事から離れると、仕事に対する意欲を失ってしまうのが怖い。

摘出手術は2時間ほどで完了した。ほぼ予定どおりである。全身麻酔による手術であり、手術台にのせられてほどなく意識を失うと、2時間は飛んでいるので、あっという間に目を覚ます感じだった。気が付くと、手術室から運び出されようとしていた。

病室に戻って家内から、主治医の話として、出血もなく穿孔もできなかったと聞いて安心した。局部の痛みはほとんどない。全く痛みが無いというのに近い。気になったのは、排尿のために膀胱までチューブを挿入されているので、その違和感と膨満感でなかなか眠れなかった。

翌日から水を飲み、重湯と人参ジュースが出た。食事の前に、アルロイドGという緑色のどろどろした水溶薬を飲むように言われた。食道の粘膜を切除した跡が、潰瘍状態になっている。潰瘍部を保護するための薬らしいが、どろっとした食感は、食物の食感ではなかった。薬と納得してちびちびと飲み下す。

こわごわと、重湯を飲み込むが、嚥下するときに胸が重い感じがした。痛みはなかった。主治医と、大学病院から招かれた食道内視鏡手術の専門医とペアで手術をしたということだが、さぞ名医なのだろう。術後の痛みはなかった。今流に言うと『神の手』なのかもしれない。

入院中は本も読んだが、朝からNHK‐BSで、大リーグ中継を見た。ちょうどヤンキーズとレッドソックスの3連戦をやっていてとても面白かった。レッドソックスが3連勝したが、いずれの試合も接戦で見ごたえがあった。両チームとも打線が活発で好打者そろいである。シリング、松坂という好投手も打ち込まれる。ヤンキーズ4番のA-RODとの対決が白眉であった。それに対して、夜に見た巨人阪神線は、つまらなかった。阪神ファンの自分としては、阪神の打線がつながらいのをいらいらしながら見ていた。第一戦で、狩野のサヨナラヒットで辛くも勝ったが、あそこまでもつれるのが情けない。もっと楽に勝たなければならない試合なのに。

入院中の一週間は、授かった休養期間のように思い、心身をリフレッシュするつもりですごした。娘と息子も見舞いに来てくれたが、案外元気そうにしている父親を見て、ほっとしてくれたようであった。

明日から、日常生活が再開する。

健康でいれることの喜びよ。



がんの告知とはまた

2007-04-17 06:48:36 |  Mozilla Org.

3月22日は忘れられない日となった。

人生で、不幸は前触れもなくやって来る。

近隣のある公立病院でがんの告知を受けた。食道がんである。

3月15日に内視鏡の検査をうけ、食道と胃から組織を摘出し、その細胞の検査結果から、胃の組織は良性で全く問題はなかったが、食道のものは悪性ということだった。

ただし、『不幸中の幸い(お医者さんの言葉によると)』は進行がんではなく、初期のがんであるから、内視鏡による手術でとれるし、浸潤(しんじゅん)もないであろうということだった。そして、診断書を提示され、セカンドオピニオンを求めることもできると言われた。もし、その公立病院で手術をするならば、関連の大学病院から内視鏡手術の専門のお医者さんを呼ぶ手当てをしていただけるとのこと。

私はその場で、処置の取り計らいをお願いした。がんセンタなど別の病院で、再度検査をする時間と労苦が大変に思えたからだった。それに、告知をされたお医者さんは、たまたまその病院の院長先生であったが、実にさりげなく、たとえがんでも現時点ではフェータルな問題でないことを説明いただけた。

実際その後の精密検査(エコーとCT検査)では、がんの転移や浸潤は認められなかった。

そして、内視鏡による切除手術を受けるために本日入院する。手術は明日で、一週間程度の入院となる。

実は、その公立病院でがん検査のための内視鏡検査をうけることになったのには少々込み入った経緯がある。

昨年の6月ころから、右胸に不快感や違和感を覚えるようになった。それは、食事をした後などに感じることもあった。痛みではないが、嫌な感じという程度である。そこで、昨年の8月に別の病院の消化器内科で、内視鏡検査を受けた。結果は問題なしということだった。もともと、慢性的に胃痛があったので、薬を処方していただきそれを服用した。ところが、今年になっても右胸の違和感や不快感がとれないばかりか、程度が強まったような気がしてきた。病院でその事を話したが、同じ薬(タケプロン)を処方され、薬を増やすような手当てをされた。

実は、私は今から30年ほど前、大学生の頃アカラジアという病気で、当時通っていた大学の付属病院で手術をうけたことがある。この病気は一般には知られていないが、大変厄介な病気である。食事ができなくなるのである。食べても胃にものが到達しない。ビールを飲むと鼻から戻ってくる。当時何も知らなかった私は、自分の身体に起こった変化に大いに戸惑った。それまでは、ごく普通に食事をしていたものが、ある日を境として、食べ物が徐々にのどを通らなくなっていくのだから。若いながら、この世の終わりだくらいに感じていた。

手術で嚥下困難の状況は改善されたが、この病気には完全治癒はないようだ。程度の差こそあれ軽度の嚥下困難はその後も残った。それに慢性的な胃炎や食道の炎症は継続した。『アカラジア』は食道がんの遠因になるという話も聞いていた。タバコをすう人が肺がんになりやすいように、食道がんになる可能性が高くなるそうである。

そんなわけで、最初の病院の診断になんとなくしっくりとしなかったので、別の病院を探すことにした。インターネットで、消化器外科で食道の専門医のいる病院を見つけ、診察を仰いだのが、2月の末ごろである。

内視鏡検査で食道を中心に見ていただいた。専門的な話になるが(以下の話はお医者さんから聞いたままである)、ルゴールという薬剤を食道内部に散布して、粘膜の変化を見る。正常な粘膜であれば、赤く染色される。染色されないところがあると、なにか問題がある。実際検査で、そのような部位が見つかって、そこから組織を採取された。その時点で、悪性かどうかわからなかった。お医者さんの話では、なんとも言えないとのことだったが、ひとつはがんであっても、進行がんではないので・・・・と言われた。

3/22日に家内と一緒に結果を聞きに行って、悪いほうの予感が的中してしまった。ただし、お医者さんは現時点では重篤な状況でなく、内視鏡で簡単にとれると言っていただけた上、その後の精密検査の結果も悲観する内容でなかったので、少しは慰められる。しかし、この1ヵ月のあいだ、不安な思いに悩まされてきた。食道がんは、進行が早いとも聞くので、もっとすぐに手術できないのか、やはりがんセンターに行ったほうがよかったのかなどなど。しかし、こうなった以上じたばたしても仕方がない、と思い直して、ふつうに仕事をして、子供の引越しなど手伝って、非常にあわただしくすごしてきた。

そして、本日入院する。あとは、運を天にゆだねるのみである。



花壇の日

2007-04-15 23:58:33 |  Mozilla Org.


今日も好天気、外にいると暖かいが、家の中ではひんやりとする。机に向かっていても膝の上に何か被せないと寒気がする。

いっそのこと外に出て、ガーデニングにいそしむ。スイートピーに支柱をたて、地を這うように伸びたつるを巻きつける。といっても重くてもろいつるを支柱にまきつけるのは簡単ではない。ビニールタイというバンドでつるを支柱に縛り付ける。これが思った以上の重労働であった。つるが縦横無尽に伸びているのを地面から引き上げるのが難しい。つる同士が細い髭を伸ばして絡み合っている。チューリップを巻き込んでいるのもある。力を入れすぎるとつるがぽっきりと折れてしまう。せっかく生育したつるを折ってしまうのはいかにももったいない。農家の人が売り物の果物を扱うように、細心に丁寧に作業を進めた。

一時間もすると、どうにか地を這っていたつるをすべて支柱に縛り付けることができた。さながら、スイートピーの緑の壁が完成した。その下には、チューリップが圧倒されるように咲いている。憐れにも、スイートピーのつるの中に閉じ込められてしまったチューリップもある。花びらが落ち始めたものもあった。

家内が来て、チューリップを見つけて、開花したばかりの花や、まだこれから開花しそうなものを園芸ばさみで切り取った。切花にして家に飾るのだ。彼女は、花好きであるが、園芸好きではない。虫が嫌いなのだ。土いじりをしていると、ミミズなど、様々な虫と邂逅する。そんな訳で、わが家では、生産者は私で消費者は家内である。

今日の収穫は荒れ放題になっていた花壇を整理できたことだ。夕食時、台所におかれた花瓶のチューリップを見てそう思った。ピンクの花が三輪、白い花びらのが二輪、ガラスの花瓶に活けられていた


新しい仕事部屋を作る

2007-04-14 20:24:02 |  Mozilla Org.

今日は大掃除の日であった。

子供部屋を夫婦の書斎に変える日。

長女のHと長男のNは、この3月末からもう東京で暮らし始めている。4月から長女は大学3年生、長男は今春高校を卒業して専門学校に入学した。

長女は2年間都心にある大学に自宅から通学していた。通学時間はほぼ2時間、本人は独り暮らしを希望していたが、両親としては若い女子を独り暮らしさせるのは何かと気がかりで、自宅通学をさせた。不本意で、新入生当時はブーブー言っていたが、そのうち自宅通学の気安さにも慣れて、何も言わなくなった。

長男も東京に進学することなったので、家族会議で住まいのことを話し合ったが、長男は東京で生活したいとのこと。それでは、いっその事、長男長女二人で住むことはどうだとなった。二人で住んでくれるならば、親としても何かと安心である。二人としても異存はないようだった。長女も、自宅通学を続けるよりは、弟と一緒でも、親元を離れて暮らす事を選択した。

家内としては、長男を独りで生活させて娘はできれば自宅通学を継続してほしかったようだ。しかし娘には、親元を離れて生活したいという思いが残っていたらしく、長男が東京で生活するならば、たとえ一緒でも、東京に行きたがった。

そんな訳で、主のいない子供部屋を整理した。それまで、私は屋根裏に自分の仕事部屋をもっていたが、長男の部屋へ移ることにした。屋根裏部屋はそれなりに、孤高とした思いに耽るのにはいいが、出入りの度に折りたたみ式の階段を上り降りするのは、結構しんどかった。それに、夏場は太陽の反射熱で蒸し風呂のような状態になるので、使えない。そこで、夏場だけは、夫婦の寝室へ移動してそこを仕事部屋としていた。

がらんとした主のいない長男の部屋。彼がこの部屋を使い始めたのはいつだったかよく憶えていない。それまで、親子4人が夫婦の寝室に寝ていたのを、子供部屋にベッドを入れて、それぞれ独りで寝させることにした。多分小学校の低学年であったと思う。自分の部屋で独りで眠る事になった最初の夜、独り寝になれていない長男は、よく眠れなかったようだった。

10年ほど、この部屋を使った長男。もう、彼がこの部屋を自分のものにすることはないだろう。ベットもマンガ本もすべて東京の新居に送ってしまった。それでも、残っている学習机の引き出しを開けると、集めていたドラゴンボールのカードや、色鉛筆、プラモデルの加工用の工具などが残っていた。

自分のパソコンや、ステレオセット、CDなどを屋根裏部屋から下ろす。家内は、二人の子供の残った衣装の整理をした。実は来週、用事があって二人とも帰省する予定なので、要るもの不要なものの最終意思確認をできるように、整理しておいた。

そうこうするうちに、長いようで短い一日が終わった。夫婦二人で車に乗って、少しはなれたスーパーマーケットまで夕飯の材料を買いにでかけた。

一日の大掃除をねぎらうように、ビールで乾杯して夕食を済ませた。



お化けスイートピー

2007-04-10 19:10:17 |  Mozilla Org.
今年も花の季節がやって来た。

この時期になると、様々な花が花壇に彩りを添える。パンジー、ビオラ、ノースポール、デージー、チューリップ、カスミソウなどなど。

わが家の今年の花壇は、シャスタ・デージーとチューリップ、それにスイートピー。今はチューリップが見ごろである。赤、白、紫、黄色と美しく咲き揃っている。ところが今年はチューリップがスイートピーの中に埋れて今ひとつさえない。スイートピーの蔓がところ狭しと花壇に蔓延しているせいで、花壇を占領されてしまった。

もしスイートピーがいなければ、可憐なシャスタ・デージーと彩り豊かなチューリップが調和して、印象的な花壇であったのにと思う。それぐらい、スイートピーの蔓が花壇をところ狭しと這いずり回っている。

それにしてもスイートピーの生育の旺盛さには驚かされる。ここ数年間スイートピーを植えていなかったので、今年は種を一袋全部植えたところ、こんなになってしまった。

もちろん、スイートピーが嫌いなわけではない。花はまだこれからなので、むしろ待ち遠しいくらいである。そこで、今地面を這っている蔓を、竿にからませるように、持ち上げる必要がありそうだ。スイートピーもそれを望んでいるのかもしれない。

この1ヶ月間いろいろ忙しいことがあって、花壇のことは気になっていたがそのままにしていた。

わが家も4人家族が、今や家内と二人きりになってしまった。ここで、花壇を整備するくらいの時間的な余裕も持てるというものだ。おもむろに、それではお化けスイートピーをなんとかしなければ・・・・・・ (^-^;